久々知くんの恋人(4)
久々知くんには安全なところを選んだみたいに言ったけど、本当はなるべく近いところにいたいだけ。
肩だってもちろん近いけど、懐って特別な雰囲気があるし…
それに…今はぎゅってしてもらえないから…せめて…
(――って何考えてるの私!!)
かあっと勢いよく顔に熱が集まる。
頭を振ってそれを追い出すと、同時に真っ暗な空間に思いきりつっこんでしまった。
装束の重なった部分って結構高い位置にあるみたい……
◆◆◆
「――ひゃあ!?」
「名前!?」
急な悲鳴に思わず装束を開いて様子を伺うと、頭をさすりながら照れくさそうに笑う名前がこっちを見上げていた。
バランスを崩して変に着地しただけのようだ。よかった。
「名前、そっちじゃなくてこっちの…うん、そこにいてくれ」
「…なんか色んな匂いする」
「え!?」
忍たまの敷地に戻るべく準備をしていた俺は、名前のその台詞に動きを止めた。
おかしいな、別に洗濯をサボったりはしてないはずだけど。
というか…臭いが染み付いてるとか、忍として駄目だろ。
「臭うか?」
「そういうんじゃなくて…ほんのり…あ、火薬かな?」
「あー……ごめん」
「なんで?あと石鹸と…久々知くんの匂いだね」
「…………」
名前がなんだか嬉しそうに言うから。だから、俺が絶句してしまったのも仕方ないことだ。
彼女の姿が見えないせいでそう聞こえただけかもしれないけど。
名前からも俺が見えてないのは幸いだ。絶対赤くなってるし、声を出すのも憚られる。
動いてないと駄目だ。どうしても意識してしまう。
「移動していいか?」と一言だけ聞いて彼女から了承を得た俺は、来たときよりも素早くくのたま長屋から脱出した。
名前の部屋はともかく、くのたま長屋(というより、くの一教室の敷地そのもの)はあまり長居したい場所じゃないしな。
朝食をとるべく食堂へ向かう。
一度部屋に戻ったときに勘右衛門に先に食べてていいと伝えたから、もしかしたら皆は居ないかもしれない。
居ないほうがいいんだろうか。
ふと小さい名前のことを皆にも言うかどうかを考える。
(でも俺だけで解決って難しいだろうしな…名前が嫌がるか?)
「――正直…ちょっと、怖いけど。でも久々知くんがいるから平気」
「……それが素だから怖いよな……」
「どういう意味?」
「名前には敵わないってこと」
「?」
わからない、と訴えてくる名前に笑って、彼女がいる辺りにそっと手を添える。
急に静かになってしまった名前の温かさを感じながら、友人たちの驚く顔も楽しみだと思う余裕が出てきた。
ついでに三郎に名前の装束を縫ってもらえるように頼んでみよう。
落ち着けるような姿勢をとろうとしているのか、名前がもぞもぞ動いている気配がする。
――虫獣遁の練習したときってこんな感じだったか。
自然と考えるのを避けているらしい俺の思考を、彼女はあっさりと悪気無くぶち壊してくれた。
「…あったかい」
眠くなってきた、とぼんやり言うのを聞きながら、俺は深呼吸では追いつかなくなりそうな衝動に一抹の不安を覚えていた。
朝の食堂にも関わらず、人は大分まばらだ。
今日は授業の開始時間が遅めで本当に助かったと思いながら、食堂のおばちゃんから朝食を受け取る。
「遅かったねぇ久々知くん、今日はお豆腐あるよ!」
「ありがとうございます」
嬉々として返事をする俺にサービスしたからね、と笑顔で付け加えてくれたおばちゃんに感謝しつつ、テーブルに向かいかけた足を止めた。
「おばちゃん、匙を貸してもらっていいですか」
「匙?かまわないけど…動物の持ち込みは許しまへんでぇ!」
「ち、違います!」
途中で目尻を釣り上げた表情に急変したおばちゃんから匙を受け取って、急いで離れる。
いつから気づいていたのか、こっちを見てニヤニヤしている三人と不安気な一人(雷蔵)に思わず溜息をついてしまった。
「兵助、一人か?」
「…そう見えるか?」
身を乗り出してくる三郎に薄く笑いながら返すと、それが意外だったのか三郎は訝しげに眉を潜めた。
「名前、具合悪いとか?」
「…………ある意味、悪いのかな」
心配そうに聞いてくる雷蔵に、ふざけて返す意地の悪さは持ち合わせていない。
だから俺なりの真面目な回答だったのだが、八左ヱ門は「回りくどい!」と湯のみをやや乱暴に置いた。
「はっきり言えよ兵助、そういうアレで名前は動けないってことか?」
「…お前の方がよっぽど回りくどいだろ」
「だから~、色っぽい話かって聞いてんだよ!」
「意味がわからない」
「っていうか八左ヱ門、昨夜はおれたちも名前が帰るまで部屋にいたでしょ」
「だからその後抜け出してさ」
「その後って…自主鍛錬したじゃん。兵助だってふつーに参加してたよ」
「じゃあ、その後!」
「いや~、さすがに兵助も体力余ってない――」
「二人ともいい加減にしようか」
雷蔵の両こぶしが勘右衛門と八左ヱ門の額で鈍い音を立てるのを聞きながら(二人は無言で蹲った)、とりあえず黙り込んでいた三郎に対して確認の意味で「三郎は手先器用だよな」と問いかけた。
「…それがどうかしたか?」
「いや、着物を縫って欲しいんだ。こういう忍装束」
自分の制服を軽く引きながら言うと、三郎が益々眉をひそめる。
同時にもぞっと動いた名前が、小さく俺を呼んだ。
久々知くんの恋人
2236文字 / 2011.03.29up
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