久々知くんの恋人(3)
あんなに不安だったのが嘘みたい。
大分落ち着いている自分を自覚して、布を掴み直すついでに久々知くんを見上げる。
こんな珍妙な事態を受け入れてくれて嬉しい、信じてくれて嬉しい。
混乱して“どうしよう”しか浮かばなかった私に躊躇い無く手を差し伸べてくれることも。
久々知くんが優しく笑い返してくれるから――なんだか照れくさくて俯いてしまった。
◆◆◆
名前は俺が桃色の装束を手にしていることに気づいたのか、隅に追いやられた布団をペシペシ叩いて(動作が一々可愛く見えるのは気のせいじゃないと思う)、この上に置いて欲しいと言ってきた。
「そういえば、その布はなんだ?寒い?」
被ったまま離さない布が気になって聞けば、名前は交差させた部分を握って俯きながら「服の、代わり」と呟いた。
「…着てるの、寝巻きだから…」
付け足された情報に納得すると同時に、布――手ぬぐいかと思っていたけど、ただの端切れらしい――が足りないせいで見えている足元を注視してしまう。
忍たまと同じ、白い寝巻きから裸足がちらりと覗く。所在無げにすりあわされる両足に心臓がドクリとなって、慌てて首を振って自分の目を強引に引き剥がした。
「久々知くん?」
「いや、なんでもない!服が欲しいんだな!?」
「う、うん……でも人形サイズって持ってないでしょ?さすがに低学年の子も人形遊びする歳じゃないし、人形より――」
名前はパッと口を押さえてその先を誤魔化したつもりらしいが、恐らく“忍たま遊びのほうが楽しい”だろうな、と心の中で考えてしまった。
「となると、作るしかないか」
「でも…繕い物ならともかく、着物は時間かかるし…」
「……時間……名前、話変わって悪いんだけど、授業はないのか?」
「え?あ、うん。しばらく山本シナ先生が出張されるらしくて、課題が……あ!か、課題、もらってない!」
バッと顔を上げて立ち上がった名前が俺の横をすり抜けて部屋の戸口へ向かって走る。
名前は焦るとそれしか考えられなくなるときがあるなと思いながら、彼女を視線で追いかけた。
案の定、少し走った名前が立ち止まり、気まずそうな顔で戻ってくる。
「…無理でした…」
「だよな」
「止めてよ」
「だって可愛いから、止めるの勿体無い」
笑ってしまった俺に、名前は顔を赤くして無言で俺の膝をペシペシ叩いた。
いつもと大きさが違うからか、反応もちょっと変わるらしい。
名前が何をしても“可愛い”に行き着く思考回路に開き直りながら、俺は懐から預かりものの教材を出して名前に見せた。
「これか?」
「なんで!?久々知くん手品師!?」
予想以上の驚き方をする名前にまた吹き出しそうになって、慌てて口を押さえる。
名前の友人から預かったと説明すると、ホッとしたように表情を緩めた。
――いつ戻れるかわからないけど。
暗黙の了解のように言葉にするのを避けて課題を名前の文机に置くと、彼女が「ありがとう」と言いながら笑った。
「…ちょっとごめん」
「え、わ、わあ!?」
一応の断りを入れて、名前をそっと掬うように両手で持ち上げる。
忙しなく瞬きを繰り返す名前は、驚いたせいか頑なに離さなかった布を手放してしまったらしい。
ひらりと落ちるそれを見送っていたら、手の中から振動を感じて名前に視線を戻した。
「絶対落とさないから」
「う、ん…だい、じょうぶ、平気。でもやっぱり、服、欲しい」
できれば忍装束、と希望を付け足す名前は胸元を握りながら深呼吸を繰り返す。
女性用の着物は動きづらいから、動きやすい程安心感が増すのかもしれない。
わかったと返答しながらそう結論付けて、俺は名前の視線を見返した。
「どこいくの?」
「俺は授業あるからな、その前にご飯」
「わ、私も?」
「ずっと一緒にいるって言ったろ」
ぱちぱちと素早く瞬きをした名前はほんのり頬を染めて頷く。
それを確認した俺は無性に名前を抱き締めたくなったけど、その衝動を深呼吸で逃がした。
名前を片手で抱えて(驚かせたらしく、親指を掴まれた)名前が手放した布を拾うと、それを彼女に手渡しながら上着を捲った。
「…………え?」
「肩の上かこの中。俺としてはこの中に入って欲しいけど、一応名前の希望も聞こうかと思って。頭の上だと俺が確認しづらいから…やっぱり二択だな」
手渡した布が名前によってものすごく捩れている。
俺の顔と上着の中を交互に見て、彼女はためらいがちに俺の服を握った。
「あ、危ないから」
「…そう、だな」
ああやばい、口元が勝手に緩む。
意外にも積極的に行動する名前が懸命に装束の中に移動するのを視界の端にいれながら、俺は何度目かの深呼吸を繰り返していた。
久々知くんの恋人
1968文字 / 2011.03.29up
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