久々知くんの恋人(2)
久々知くんは私をつついたときの姿勢のまま固まっている。
伸ばされたままの人差し指に手を近づけてみる。私の手は久々知くんの指先から第一関節くらい…ううん、それよりもちょっとだけ小さい。
自分が昔遊んでいた人形くらいの大きさになっているらしいことを実感してまた泣きたくなる。
久々知くんに見られているのが居た堪れなくて、頭から被った布を片手で引き下げることで顔を隠した。
◆◆◆
こんなことが有り得るのか。
先ほどからそわそわと落ち着かない名前をじっと観察しながら、頭では妙に冷静に物事を考えているのを自覚する。
――いや、もしかしたらこの思考自体が混乱している証拠なのかもしれない。
人形ならこんな繊細な動きはできないだろうし、温度だってもってない。
こんな風に泣きそうな表情を浮かべることも――有り得ない。
「名前」
「夢、みたいだよね。ほんとに、信じられないよ、こんな…」
思わず呼びかけた俺を避けるように、サッと俯いて布を掴む名前の手が震えている。
我慢しなくていい。むしろしないでほしいのに、それを上手く伝えられない自分がもどかしい。
いつもなら抱き寄せて宥めるところだけど、今それをやったら潰してしまいそうだ。
少し考えて、俺は片手で包むようにして蹲った名前に触れた。
びく、と震えた名前が僅かに顔をあげる。
それを見返しながら、安心させるように笑った。
「大丈夫だ」
「久々知く…」
「俺がずっと一緒にいるから。もちろん名前が戻る方法だって探すし、俺にできることならなんでもする……だから、その、なんだ……」
「…………いいの?」
うまく先を続けられない俺に、名前はポツリと呟いた。
「久々知くんに、頼っても…」
「当たり前だろ」
「絶対、迷惑かける、けど…それでも?」
たどたどしく続ける名前につい溜息がもれる。
ぎくりと身を強張らせてしまった名前を見て軽く後悔したけれど、この溜息は名前が思ってるような(たぶんマイナス方面に捉えてるんだろう)ものじゃない。
「俺は、名前の何だ?」
「す、好きな人」
「…………いや、うん。そう、なんだろうけど…そうじゃなくてだな…」
ここは“恋人”って言うとこだろ。
――というか不意打ちでそういうこと言うのやめてくれ。抱きしめたくなるから。
思わず名前から顔を逸らして口元に手をやる。
ちら、と彼女を見れば不安そうに首を傾げていて、全く敵わないと思った。
「俺も…名前が好きだから、頼られたいんだよ」
ここまで言えば通じるだろう。
通じなかったら――そのときはまた別の言い方を考えよう。
名前は俺を見上げたまま瞬きを繰り返し、唐突に被っていた布に身を隠した。
俺から見たそれは手のひらに乗る大きさの白い小動物みたいだ。ぷるぷる震えてるところがまさにそれっぽい。
八左ヱ門に聞けば似たような動物を例に挙げてくれるかもしれないなと思いながら、名前の挙動にどうしたんだと声をかけた。
「だって、いきなり…す、すき、とか…!」
「……あのな……そっくりそのまま返す」
少しの間そうしていた名前は、落ち着いたのか顔を上げ布を肩の辺りまで下げると立ち上がった。
「よろしくお願いします」
深々と頭を下げながらの挨拶につい苦笑を返す。
そういう遠慮をしないでいいのにと思いつつ、これが名前らしさなのかもしれないと思い直した。
「早速なんだけど」
「うん」
「その…布団を…」
「収納は」
「それはいい!部屋の隅に寄せてくれれば!」
すかさず言葉を添える名前に思わず声を立てて笑うと、彼女は不満そうにしたあとフッと肩から力を抜いた。
「……久々知くんがいて良かった」
「…やっと笑った」
「え?」
「なんでもないよ」
本当は俺の前に出てくるつもりじゃなかったんだ、とか、女性の部屋の物入れは勝手に開けちゃ駄目だとか、堰を切ったように色々話し出した名前を見下ろす。
文句らしきものを連ねる名前には悪いけど、行動して本当によかったと思う。
「久々知くん、適当でいいって…!」
「でもなんか変な感じだよな。俺が名前の布団畳むとか…制服はどうする?あれ?名前?」
要望どおり畳んだ布団を部屋の隅にやってから聞くと、名前がさっきまでの場所にいない。
目印みたいなものがないと見失いやすいな。鈴とかつけるか?
制服を手に逡巡する俺の視界の端で動く白いものを目で追う。
小さいサイズの名前は布団の上で、またもや蹲ってプルプル震えていた。
可愛いな、と同時に飼育という単語が浮かんで慌てて首を振る。
近寄ると「本当恥ずかしい」とブツブツ言ってるのが聞こえて、名前はやっぱり名前だと安心した。
久々知くんの恋人
1953文字 / 2011.03.28up
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