カラクリピエロ

睡眠促進


※久々知視点/委員会体験ツアー終了後




数日にわたる課題を兼ねた忍務が無事に終わって一息つく。
途端、緩みそうになる緊張の糸を張り直し、静かに深呼吸した。
――報告が終わるまでが忍務の内だ。
最後の最後でヘマをしたら敵わないと早々に学園を目指して踵を返す。途中からは着物を変えて何食わぬ顔で帰路を歩いた。

「小松田さん、戻りました」

返ってくるのはおなじみの間延びした声。これを聞くと気が抜けそうになるなと思いながら、差し出された表に名前を書いて木下先生の部屋へ足を向けた。

どうやらまだ委員会中らしいというのを通りすがる用具委員や保健委員の様子で確認しつつ、疲れと眠気と食欲とで思考が埋まる。そんな中、ちらりと名前の姿が浮かんであの声と笑顔で『おかえり』が聞きたいなと思った。それから彼女を抱きしめてやわらかさと体温を感じながら“ただいま”って返すんだ。

先生の部屋が目に入り、首を振って思考を切替えながら忍務内容を反芻する――漏れはない、はずだ。
いつだって報告の瞬間は緊張するが、単独の場合は特にだと思う。

無事に報告を終え、静かに戸を閉める。精神的な疲弊も相まって、長い長い溜息がその場に落ちた。
豆腐が食べたい。だけど今の状態では食べている途中で寝てしまいそうだ。

部屋に戻るつもりだったのに、ふらふらと向かった先はなぜか焔硝蔵。俺はそんなに委員会活動が好きだったのかと自問しながら蔵を覗けば、あるはずのない桃色が見えて疲労の濃さに笑いたくなった。

「…名前

戸口に寄りかかりながらこぼれた声に反応して幻影が振り向く。結われた髪が揺れ、丸くした瞳を何度も瞬かせてからふんわりと笑顔を乗せた。

「久々知くんおかえり。どこも怪我してない?」
「……名前?」
「なあに、って、わ!?」

脳内で名前の動きを再現するのは得意だけど、やけに現実感が――――本物か。

名前だ…」

気遣わしげに寄って来た彼女の腰に腕を回して、華奢な身体を抱きしめたところでようやく実感する。
鼻孔をくすぐる甘い匂いは馴染みがないものだけど、抱きしめた時の頭の位置とか柔らかさ、纏う雰囲気。なにより俺の本能が名前本人だと告げていた。
名前はもごもご何かを言っていたけれど、俺が自分の顔を彼女の頭にぐりぐり押し付けているうちに静かになった。

「兵助くんは今日も来ないって聞いてたんだけど、課題終わったの?」
「はい、さっき。部屋に戻る途中です」
「……久々知先輩の、というか五年生の長屋ってこっちじゃないですよね?」
「まだ委員会中みたいだったから寄った、のか?」

三郎次の問いに返す答えが我ながら曖昧だとは思うが、勝手に足が向いたとしか言いようがないから仕方ない。

「てっきり苗字先輩がいるからかと思いました」
「…………なるほど、確かに」

伊助が言った一言に頷いてみたものの、すぐ名前に「いやおかしいよね!?」とつっこまれた。
無意識に引き寄せられたんだとしたらすごいと思うんだが。

「く、久々知くん、くすぐったい」
「さっきから甘ったるい匂いするんだけど、どうしたんだこれ。香かなにか?」

ひ、と息を呑んだ名前が腕をつっぱねようとするのを押さえ込み、目でタカ丸さんに答えを求めると手をすばやく振って「違う違う」と苦笑された。

「今回はぼくじゃないよ」
「…じゃあ名前?」
「そうだけどそうじゃないっていうか、ちゃんと話すから、と、とりあえず、離してください…」

弱々しく委員会中だから、と言われてしまえば自然と拘束は緩む。気づけば名前は火薬の管理表を腕に抱いて、まさに火薬委員の仕事真っ最中の様子だった。

名前は火薬委員会に移ってくれたのか?」
「臨時の、手伝い。久々知くんの代わりに」
「えー。兵助くんもこう言ってることだし、名前ちゃん火薬委員になろうよー」
「…お言葉だけありがたくもらっておきます」

名前がちらりと俺を見て困ったように笑う。
それを補うように、タカ丸さんが事情を説明してくれた。

「課題で五年い組がみんな不在になったでしょう?だから学園長先生の指示で、名前ちゃんが抜けたところの穴埋めしてくれてたんだよ。前に体験したからちょうどいいだろうって」
「じゃあここと、学級委員長委員会ですか」
「うん。あと作法委員会にもちゃんと顔出してたみたいだから、日替わりで三つ掛け持ち?」
「三つも…」
「まあ火薬委員会ってそんなに仕事ないしねー。けど名前ちゃんね、兵助くんの代わりになれるようにって頑張ってたよ」

あとで褒めてあげて、とタカ丸さんが言うのに頷きながら、三郎次と伊助に合わせてしゃがんでいる名前を見つめる。
彼女も学園長先生の思いつきのせいで忙しくしていたのかと同情めいた気持ちが湧いているのに、またそんな機会があればいいと非情なことを考える俺もいる。
だってずるいじゃないか、俺が不在のときに限って火薬委員会に参加してるなんて。

「学級委員長委員会のほうも、委員長代理で三郎くんが残ってるからそんなに忙しくないとは言ってたかなぁ」
「はあ」

ぼんやりと生返事をしているうちに終了の鐘が鳴る。
委員会活動の報告はタカ丸さんの役目だというので、ありがたく先に帰らせてもらうことにした。なんだかんだで疲労は蓄積しているし、眠気も居座っているから部屋に戻ったら一眠りしたいところだ――もちろん、名前の話を聞いてから。

「――ね、久々知くん、あの、私、逃げないよ?」

僅かに乱れた言葉にはっとして足を止めると、名前は胸を押さえて軽く一呼吸した。
それから俺の隣に並び、小さく笑って繋いだままの手を握り返してくる。寄り添ってにこにこするばかりか「久々の久々知くんだ」なんて嬉しそうに言うものだから、気恥ずかしくなって頬を擦った。微かに熱が上がってる気がする。

「今回の忍務は長かったね」
「…寂しかった?」

少しの期待を織り交ぜながらからかうように言えば、名前は一度瞬いてから視線を逸らすと微かに頷いた。
下を向いたまま戻ってこない頭のてっぺんを見つめたまま、やられた、と意味もなく思う。頬と耳の熱さで、顔が赤くなってるのを自覚した。

「…………久々知くんは?」

微かに聞こえた問いかけに心臓がうるさくなる。俺もだとか当然だとか…ずっと、触れたかったとか。言葉は色々浮かんだが、何ひとつ口からこぼれることなくただ彼女を抱き寄せる。
いっそ今夜はこのまま抱き枕になってくれないだろうか。閨事抜きで構わないから。

「久々知くん?」
「…今日は名前を帰したくないくらい」

びくりと名前の肩が跳ねる。名前は俺の胸に頭を擦りつけながら、控え目に俺の着物を握った。
――ああ、やっぱり帰したくないな。
隙を見て布団に引きずりこんで、抱きしめたまま寝てしまえばいけそうな気がする。

彼女からふわふわ漂ってくる甘い匂いに軽いめまいを覚えながら、眠気の増した頭を振った。
上目で見上げてくる名前の頬がうっすらと染まっている。僅かに開いた唇が赤くてやわらかくておいしそうだ。と、思った次の瞬間にはその柔らかさを自分の唇でもって確かめていた。触れて、やわく食んで、舐める。
驚いて丸くなった目が可愛くて自然と笑みが浮かんでしまう。角度を変えようと微かに離した瞬間「な、」と声が聞こえたけど、ちょうどいいとばかりに舌を差しこんでしまったから、名前の言おうとした言葉は艶めいた呻きにしかならなかった。

「…それで、一緒に寝てくれるか?」
「…………え?」

ぽやんとした顔と微かに乱れた呼吸。名前の思考力が低下しているのをわかっていながら「一緒にいて」と変化球を投げる。
心なしか赤が濃くなった唇をそっとぬぐって笑いながら見つめれば、名前は頬に触れたままの俺の手のひらに擦り寄ってくるものだから、せっかく解放したのにまた触れたくなった。
額に口づければくすぐったそうに笑う。もうこれが返事ってことでいいんじゃないか。

「うん、じゃあ行くか」

ふわふわしたままの名前の手を引いて自分の部屋に戻る。
寝転がったらそのまま眠ってしまいそうだったから、先に話を聞くつもりで彼女を抱えて座り込んだ。ぱちぱち、数回瞬いた名前がハッとしたように肩を揺らす。宥めるように抱きしめてゆっくりと名前の背を叩いた――この動きは眠気が増すな。

「久々知くん、眠い?」
「んー…、うん」
「なら話はあとでにして、布団、で…痛!」
「だめ」

今日は名前を抱きしめて寝るって決めたんだから。
さっきいいって言ったよな。それで、起きたらたくさん甘やかしてやりたい。ああでも多少は名前を振りまわして困らせるのもいいかもしれない。
なんたってかわいい俺の恋人は、どんなことをしてもかわいい反応をくれるからな。

名前は、どっちがいい?」

勝手にくっつこうとする目蓋をしばたかせながら、いつのまにか自分の下にいる名前に聞くと、彼女は戸惑いがちに困った顔をする。
さっきのはどこからどこまで声に出せたのか、思い出せない。
どうやら自分で思っていたよりは身体が限界で、部屋にいることで一気に押し寄せてきたらしい。名前を離してしまわないように腰に腕を絡めつつ、自分の隣に転がす。ふわっと甘ったるい香りが漂って微かに眉根が寄った。香なんか使わなくていいのに。いつもの、そのままの名前がいい。

「そのままで…じゅうぶん、」
「久々知くん?」
「…おきたら、ちゃんという」

――――だからそれまでここに居て。

言葉代わりに腕を交差させ、名前の頭を胸に抱き込んだのを確認してから目を閉じた。





「………………うわ」
「三郎、兵助いたの?寝てる?」
「寝てるならほっといて飯行こうぜ」
「うーむ…、これは私たちが布団を敷いて運んでやるべきか?」
「は?雑魚寝でもしてんのか?」
「どうし……って、うわ」
「ほらな、雷蔵だってそういう反応だろ!?」
「うーん……どうしようね」
「…やっぱほっとこうぜ。変に触るとめんどくせぇって絶対」
「――そうだな。起きた時に軽食でも作ってやればいいか」

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