カラクリピエロ

ある雨の日に


※久々知視点/『こーるまいねーむ!』よりも前




「まいったな…」

持っていた火薬壷を一旦足元に置いて、降り出した雨を見ながら溜息をついた。
雨脚は弱く、音もほとんど聞こえない。この勢いならば上着でもかければ火薬を湿気させることなく運べるだろうか。

こんなことなら焔硝蔵に傘の一本でも用意しておけばよかった。

(いや、雨傘じゃ運びづらいか…笠の方がいいかな)
「あ、よかったまだ居た!」
「…苗字?」

蔵の中が薄暗くなったかと思ったら、軽く息を切らせた苗字が雨傘を手に戸口に立っていた。
一旦それを閉じて背を向けた彼女は水気を払いつつ自身の前髪をちょいちょいといじる。その後、こっちに向き直り「一緒に帰ろう」と言いながら笑った。

「助かるけど…探しに来てくれたのか」
「え、あ、ううん、飼育小屋の帰り!偶然、見かけて」
「ん? でも、さっき“まだ居た”って言ったよな?」
「…………」

うう、と唸りながら眉根を寄せる苗字は、なぜか悔しそうに見える。
それから一瞬だけ俺を見て小さく息を吐くと、困ったように笑った。

「実はね、夕飯のお誘いに行ったときに尾浜くんから聞いたの。久々知くんは焔硝蔵に火薬取りに行ってるよーって」
「そうなのか、わざわざありがとう」

下がっていた視線が上がり、彼女の頬が仄かに色づく。
満面の笑みで頷く苗字を見て妙に照れくさくなった。

助けられているのは俺なのに、彼女の反応は俺が苗字のためになることをしたみたいだと錯覚しそうになる。
そんなことを考えながら、いつか勘右衛門が言っていた『仔犬みたい』という話が脳裏をよぎった。

念のために上着を被せてから壷を抱える。
それを見て、戸口で待っていた苗字が傘を広げた。傘の油紙の部分が頭に当たったから、少し俯く。
彼女は俺より小さいんだなと一見してわかることを改めて感じながら、つい観察するように見つめてしまった。

「あ、ごめんね。これくらいならどうかな」

俺が見ていたせいか、苗字は慌てて腕を上げる。
無理をさせるつもりはなかったのに、どう伝えたらいいのかわからなくて、大丈夫だとぎこちなく返すだけになってしまった。

「久々知くん濡れてない?」
「…苗字こそ。その、疲れるだろ。ごめん」
「疲れとか、感じる余裕は…」
「うん?」
「な、なんでもない!だいじょうぶ!あ、そこ気をつけて」

ぶんぶん音がしそうな勢いで首を振ると、急に冷静に足元を示される。
雨で消されそうになっている目印を確認して、落とし穴でも開いてるのかなとそれを眺めた。

「よくわかったな」
「…あれ喜八郎の掘った穴だから…この前作法室の周りに掘るなって怒ったからかなぁ」

見慣れていると言外に言いながら溜息をつく苗字が、今度はムッとしながら綾部の掘った穴に落ちそうになった時の話を聞かせてくれる。
喜八郎が、一年生なんて、立花先輩が悪乗りして、藤内まで――流れるような話の合間に挙げられる名前は作法委員のもので、怒っているようなのにどこか楽しそうにも見える。

「まったく仕方ないんだから」

呆れたと言いたげな表情で締めくくられたそれに、思わず吹き出してしまった。
きょとんと目を丸くした苗字が首を傾げる。さすがに失礼だったと思って謝ると、ますます不思議そうに変化した。

「楽しそうだなと思って」
「そうかなぁ…ともかく、久々知くんも気をつけてね。最近この辺がお気に入りみたいだから」
「ああ、ありがとう」
「~~~~~ッ、」

礼を言えば、彼女は何度か口を開閉させた後勢いよく首を振り、ぎこちなく(やや大きめの声で)「着いたね」と言いながら傘を下げた。

「あ、あの、一人でべらべらしゃべってごめんね。先に、食堂行ってるから、またあとで」
苗字!」

一息に言ってさっさと背を向けるから、引き止めるつもりで呼びかける。
思いのほか強くなってしまったそれに自分で戸惑ったものの、苗字が無事足を止めてくれたからよしとしよう。

「な、なに…?」
「いや、本当に助かったよ。ありがとう」
「ううん、全然!むしろ私が…」

言いながらジリジリ下がって行く苗字に自分から近づくと、彼女の肩口が濡れているのが目に入ってドクリと心臓が鳴った。

苗字、これ」
「ひえっ、あ、う、私、おばちゃんに傘返してこないとだから!行くね!」

赤い顔で言うなり反転して駆け出した苗字を呆然と見送る。
彼女の肩に置いた手が、置き去りにされて半端な形で浮いていた。
こっちを気遣うばっかりで自分は二の次なのかと憤りに似た――だが違う感情が湧く。
それに気づけなかった自分にも同じような感情を抱きながら、浮いたままだった手のひらを握り締めた。

+++

「――名前
「ん?」
「離れすぎ。もっとこっち寄って」
「うん」
「もっと」
「え、もっと!?これ、くらいで、どうかな。歩きづらくない?」
「……とりあえず、抱き締めたくなった」
「……なっ……」
「まあそれは後にして。壷が軽かったらなぁ……名前に持たせて俺が傘差すのに」
「私が傘担当で!」
「ほら、また離れてる」

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