後輩は先輩に尽くすものだと自分に都合よく言い放った立花先輩は、にっこりと綺麗な笑顔でぴらりと紙を渡してきた。
先生の判子が押された火薬持ち出しの許可証。
「嬉しかろう」
「…………素直に「はい」と言いたくありません」
先輩のために火薬を運ぶ役目は既に何度か経験している。が、今日は風が冷たいから外に出たくない。
委員会があるかどうか聞き忘れたから、久々知くんがいるとも限らないし。
「そうか…仕方ないな。久々知に会ったら“名前が会いたくないと言っていた”と伝えよう」
「その手には乗りません。久々知くんにそんな嘘通じませんよ」
「この私が五年を騙しきれないと?ならば試してみようじゃないか」
巧くかわせたと思ったのに、かえって活き活きしだす先輩は自信満々だ。
久々知くんなら大丈夫だと思うのに、万が一を考えてしまう。
都合よく動かされているのがわかるだけにものすごく悔しい。
けれど――結局、私は折れてしまった。
いつか絶対やり返してやろうと心に決めた。
外はやっぱり寒くて風の音が強い。
せめて火薬委員会が活動していますようにと祈りながら焔硝蔵へ足を向けると、ちょうど三郎次が蔵の中から出てくるところだった。
「三郎次!」
「こんにちは、苗字先輩。久々知先輩なら裏ですよ」
「ありがと……って、私を見るなり久々知くんて……」
火薬をもらいに来たんだから間違ってないと思うけど、私の用事といえば久々知くんと認識されているようでなんだか複雑だ。
……それもたぶん間違ってないんだろうけど。
「ちょっと先輩、どさくさにまぎれて頭を撫でないでください!縮んだらどうしてくれるんですか!」
「大丈夫大丈夫、あと2、3年すれば一気にぐぐっと…伸びちゃうから…」
「がっかりする意味がわかりません!」
私の腕を掴んで止める三郎次に、いっそ縮めと念を送ろうかと一瞬だけ考えて手を離した。
この大きさが可愛いのに。
「あ、名前ちゃんだ。いらっしゃーい」
「こんにちは斉藤さん」
「兵助くんなら裏にいるよ~」
「…………ありがとうございます」
三郎次に続いて斉藤さんまでそうきますか。
確かに間違ってませんけど。
ここで“実は伊助に用があります!”と言ったらどうなるんだろう。
そんなことを考える私をよそに、三郎次は好機とばかりに私を斉藤さんに押し付けて、自分は久々知くんを呼びに行くからと逃げ出した。
もうちょっと話をしてくれてもいいのに。
遠ざかる小さい背中を見送りながら、ふうと息を吐き出す。
「残念だったねぇ」
私を押し付けられた形の斉藤さんがふにゃりと顔を緩ませるから、ついそれにつられて私も苦笑した。
「三郎次が駄目でもここには伊助もいますから。ね、伊助?」
「うわっ、な、なんで……」
私の後ろをこっそり移動していたらしい伊助を捕まえて、暖をとるように抱き寄せる。
目を白黒させる伊助は私を見上げ、自分の胸元で交差している私の腕を掴んだ。
「斉藤さんが目で追ってたからねー」
「え、ぼくのせい!?」
「伊助はあったかいなー」
「名前ちゃんなにか言って!」
びゅう、と吹く風で身体が冷やされる。それに気をとられて、結果斉藤さんを無視してしまったようだ。
まぁいいかと勝手に自己完結しながらぎこちなく固まってしまった伊助を見ていると、いじめっこ心理がちょこっとわかる気がする。
作法の一年生はこういう可愛い態度をとってくれないから新鮮でもある。
「あ、あの、あの、苗字先輩、」
「はいはい」
「放して、ください。なるべく早く」
「じゃあ久々知くん来るまで」
「だ、駄目です!それこそ駄目です!」
思い切り首を振る伊助の結われた髪が腕にあたってくすぐったい。
「伊助がそこまで言うなら、しょうがない」
必死な様子に笑いながら解放すると、急に腕を引かれて驚いた。
とん、と軽い衝撃が、と思ったら背中全体があったかくなって、首元に腕が回される。それに反応する暇もなく、耳元で小さな溜息――久々知くんの声が聞こえた。
どうやら今度は私が固まる番らしい。
寒いと言っていたのが嘘のように、急激に体温が上がっていく。
私の視界に映ってるのは久々知くんの腕と困ったように笑っている斉藤さんと、ほっとした顔の伊助だけだ。
反射的に久々知くんの腕を外そうと掴んだものの、外れない。
目が合った斉藤さんは「うん、わかった」と何がわかったのかそう言って、伊助を促して視界から消えた。
「くく、ち、くん――」
「名前は寒いんだろう?」
「じゅうぶん、あったまりました…」
「そっか。うん、確かにあったかいな」
言いながら、久々知くんは確かめるようにより強く私を抱き締めるものだから、益々体温が上がる。もう顔まで熱いし、絶対耳まで赤くなっている。
頭巾があってよかったと思った。顔は当然見えてないだろうし、耳が赤いのもばれないで済む。
そう思ったのに。
「首赤いな」
「ひゃぁ!?」
解放してくれたと思ったら久々知くんの右手がそっと首を撫でるから、つい奇声を上げてしまった。
さすがに文句を言おうとした直後、こめかみの辺りに口付けられた。
「なっ、」
「…………やっぱり真っ赤だ」
強引に振り返ろうとしてた途中で固まる私に、久々知くんはどこか楽しそうに笑う。
当たり前でしょうとか、久々知くんのせいでしょうとか、色々言いたい事があるのに私の口は音を紡いでくれない。
動揺していたらいつのまにか向き合う形になっていて、私の腰の辺りで久々知くんの手が組まれていた。逃げられない。近づいてくる顔に見惚れる。
綺麗だなと思いながら瞬きをして、ハッと現状を把握した。
「う、わっ、ちょっ、ちょっと待った!」
「…………」
自分の手で久々知くんの口を押さえる。
なんで?と目が問いかけてくるけど、むしろこっちが聞きたいです。
混乱する私に気づいているのか、久々知くんがふと目を細める。
久々知くんの口を押さえる私の手を更に久々知くんが押さえ、唇に押し当てたかと思ったら――ちゅ、と音を立てて吸われた。
驚いたのと恥ずかしいのと、ただでさえ混乱していたのにもう爆発しそうだ。
なのに久々知くんはそんな私をみてクス、と小さく笑った。
「…よし。気が済んだ」
「っ、からかって」
「ないよ」
私の言葉をすかさず遮って、久々知くんはそのまま私の額に口付けを落とした。
ぱっとそこに手をやる私を見て微笑むと、また私を抱き寄せる。
「伊助には積極的なんだもんな」
「…………え?」
「俺もたまには名前に抱きつかれたいんだけど」
「…………」
「何か言うことは?」
「………………好き」
思いついた言葉を言うと、久々知くんはぴくりと小さく震えて「ああもう」と言いながら大きな溜息をついた。
ぎゅうと思い切り抱き締められるのがうれしくて、ドキドキして、少し苦しい。
だって他に出てこなかった。可愛い、も浮かんだけどそれは嬉しくないみたいだから。
伊助や一年生は、久々知くんと全然違うのに。そんな風に考えながら、今度は少し頑張ってみようと思った。
「――――……外でよかったな」
「ん?」
「ところで、名前は俺に用だったんじゃないのか?」
解放してくれながら言う久々知くんの言葉で、私はここへ来た目的をようやく思い出した。
用事を言いつかってから大分時間が経っている気がする。
戻った後先輩にからかわれるのが目に見えてうんざりしたけれど、今から急いでも意味が無いならもう少しだけ、先輩を待たせてもいいかな。
「――久々知くんに会いに来たんだよ」
言うと、久々知くんは嬉しそうに微笑んだ。
堂々と嘘をつく名前さんと気づいてるけどあえて言わない久々知。
あなたの温度を知りたい
3211文字 / 2010.12.07up
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