カラクリピエロ

縁日にいきましょう(8)


出されたお茶を一口飲んだ名前の雰囲気が変わる。
時間をかけて湯のみを置くと懐から手ぬぐいを取り出し、それを口元に当てて細く長く息を吐きだした。

「――大丈夫…じゃ、なさそうだな。水飲むか?」

無言で何度も頷く名前に持参していた竹筒を渡す。
水を携帯するのは癖のようなものだけど、持っていてよかった。

「全部飲んでいいよ」
「………………はー、も…しぬかとおもった……ありがとう」
「どういたしまして」

しみじみと、どこかぎこちない感じで言う名前に笑い返したところで善法寺先輩が顔を出す。
途端に立ちあがった名前は開口一番「苦すぎです!」と文句をぶつけた。

「効きそうだろう?」
「こんなんじゃ効果期待する前に飲む方を諦めちゃいますよ…」
「これでも飲みやすくなったんだけどなぁ。終いには文次郎まで音を上げちゃって、これ以上の改良は無理だったんだ」

あはは、と笑って頭をかく先輩の話を聞いて名前が顔を引きつらせる。かわいそう、と呟いていることからして、きっと付き合わされた先輩に同情でもしているんだろう。
ほんのり苛立ちが湧いて、そんな自分に呆れながら興味本位で名前が放置したお茶を一口もらった。

「――ゲホッ、ゲホゲホッ、な…、なん、」

なんだこれ。
苦さに舌が麻痺してその一言すら言えない。好奇心で手を出すものじゃなかったと思いながら口を押さえる。

「え!?く、久々知くん、飲んじゃったの!?」

いつのまにか名前が隣に戻ってきていて、泣きそうな顔で俺の背中をさすっていた。

「水は…もう無いし…せ、先輩、水!」
「え、さっき全部使っちゃったよ。汲んでこないと」
「私がいきますから場所教えてください!」
「酷いな名前、久々知が毒でも飲んだみたいじゃないか」

名前の慌てように対して善法寺先輩が不満そうな顔をする。
彼女は無言でそれを肯定すると、水場を教えてほしいと先輩を急かした。

「――わっ、久々知くん、離して」

今にも飛び出していきそうな名前の腕を掴んで首を振る。
座るように促すと眉尻をさげて「でも」と言いながら腕を揺らし、俺の手を外そうとするものだからやや強引に彼女を座らせてしまった。

「そうだ久々知、水はないけど豆腐ならあるよ。……っと、はーい、いらっしゃいませー」

客が来たのか、強引にそれを押し付けられ、片手で皿を支えながら膝に置く。
改めて見れば俺が伊助に貰って、ここに置いて行ったものだった。
伊助、雷蔵に続いて善法寺先輩にまで食べ物を渡されるなんて…今日はそういう日なんだろうか。

「久々知くんが食べてる間、水汲んでくるよ」

ゆらゆらと腕を軽く揺らす名前の動きに力が緩む。
するりと抜け出してしまう直前で掴みなおし、代わりに名前を見つめた。

「…座ってろってこと?」
「ん」

頷いて、ついでに喉の調子を整える。
また数回咳が出て、口の中に残る苦味のおかげで眉間に皺が寄った。
おとなしくなった名前は不意に力をぬいて、逆にぴたりとくっついてくる。反射的にびくついた俺の反応に嬉しそうに笑って、軽く寄りかかってきた。

かわいい。
抱きしめたい。
口づけをして、それから――…

また理性がグラグラしているのを自覚して息を吐きながら目を閉じる。
頭を振って思考を追い払い、箸を強く握りしめた。

(……全部帰ってからだ。急いては事を仕損じるって言うしな、うん)

自制自制、と心中で唱えつつ豆腐を口に運ぶ。
あまり味がわからないのはお茶のせいだろうか。

「…ほんとはね、甘いもので相殺できるんじゃないかなって思ったの」

名前は手首に下げていた巾着を膝に乗せ、飛び出ていた棒を指でつつく。きり丸が売ってたべっこう飴だろう。
俯いてるせいで俺からは表情が見えないけれど、苦笑している気がした。

「でもまだ開けたくなかったから…」
「…名前、そんなに飴好きだったっけ?」

問いかけながら、豆腐の力で回復していることを実感して内心ホッとする。
名前は雰囲気を一転させてくすくす笑うと頭を預けてきた。

「これは、特別。久々知くんにもあげられない」
「…………食べる気はないけど、なんか…そう言われたら取り上げたくなるな」
「だめ。私のだもん」

俺をからかうように言う名前と目が合う。
悪戯っぽく笑った名前にドキッとしたところで、次に行こうと腕を引かれた。気づけば豆腐は完食済みだ。

――俺にお預けをくらわせておいて、こうして煽ってくるなんて。
名前は結構酷いんじゃないかと思いながら善法寺先輩に皿を預けに行くと、見るからに祭りを満喫中の勘右衛門がいた。

「戻るに戻れない僕の気持ちがわかるかい?」
「おれには嫌ってほどわかりますけど、そのうち慣れますから。にしても、善法寺先輩のとこ本当に人来ないんですね」
「はは…もう店閉めて足を使ったほうがいい気がしてきたよ」
「雰囲気が悪いんじゃ――あ!名前浴衣じゃん!可愛い可愛い、やっぱ女の子の浴衣いいな~」
「あ、うん、ありがとう」

見つかった途端、身を乗り出してくる勘右衛門に圧倒されたらしい名前が数歩下がる。
無意識なのか、俺の方に身を寄せてくるのがたまらなく可愛い。

「兵助、デレっとしてないでちょっと用事頼まれてくんない?」
「……面倒なことじゃなければ」
「学園戻ったらさ、八左ヱ門に“ごめん半分食べちゃった”って言っといて」
「いいけど勘右衛門の方が早いかもしれないぞ」
「そしたら謝るって」

へらっと笑って焼き鳥を二本渡された。…うん、やっぱり今日はそういう日らしい。
名前を呼ぼうとしたら、ちょうど善法寺先輩と何かを話している最中だった。

「学園にいるってことは八左ヱ門…というか生物委員会は屋台出してないのか?」
「あれ、屋台のこと知ってんの?」
「善法寺先輩に聞いた」
「そっか。ま、別に隠し通す気なかったもんな」

自分でも食べ始めていた勘右衛門は肉の減った串を揺らし、俺には意図的に黙っていたことを匂わせた。

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