カラクリピエロ

縁日にいきましょう(4)


「――じゃあ一口もらおうかな」

食べますか、と冗談混じりで聞く伊助に、名前は素早く数回瞬くとにっこり笑ってそう返した。
普段は滅多に聞くことがない(少なくとも俺は)くのたまとしての口調を珍しく思いながら名前を見る。彼女は笑顔のまま伊助に合わせるように身を屈め、指先で自身の唇に触れた。

「食べさせてくれる?」

名前が言い終わるよりも早く、ズザッと音を立てて伊助が距離をあける。
ブルブル勢いよく首を振る伊助は本気で怯えているようで、止めに入ろうとしたものの少し気の毒なように思えた。

「ごめんなさい、すみません久々知先輩!」
「…………俺!?」
「これ!どうぞお二人で!」
「お、おい伊助!」
「待ってよ伊助、僕も……あ、からくり屋敷はこの先まっすぐです。きっと来てくださいねー!」
「庄左ヱ門!?」

豆腐の乗った皿を押し付けられ、反射的に受け取った途端伊助が走り去る。
庄左ヱ門は後を追うように走りだしながら、手を振って俺たちを置いて行った。
案内を始めたときから積極的とは言えなかったが、このまま行かないかもしれないとは思わないんだろうか。

(――…思わない、よな)

呆気に取られた顔で固まってる名前を横目に考えを改め、気づかれないよう苦笑する。
声をかけると微かに肩を震わせて、困ったように笑った。

「置いていかれちゃったね」
「場所はわかるから大丈夫だろ。それより名前
「ん?」
「俺も見たい」
「? 何を?」
「伊助にやったみたいに“お願い”して見せて」

持ったままの豆腐を示して言えば、名前はわずかに目を見開いた後あっという間に頬を染めた。
名前の首が振られるたびに髪飾りがシャラシャラ音を立てる。
それを聞きながら距離を詰めると名前は俺を押しとどめるように腕を挟み、「無理」と小さく呟いた。

「どうして?」
「ひゃ!?」

耳も真っ赤だなと思いながら唇を寄せて問いを吹き込む。びくっと跳ねて俺の肩に額を押し付けてくる彼女が可愛くて仕方ない。
くすくす漏れてしまう笑いを堪えつつ名を呼べば、抗議するように胸を叩かれた。

「――君たちさぁ、営業妨害だよ」

ただでさえ場所が悪いのに、とぶつぶつ文句を飛ばしてくる方向を見れば、屋台を構えた向こうで肘をついて溜息を吐き出す善法寺先輩がうちわで自身を扇いでいた。

「…場所は悪くないと思いますが」

もう少し行けば“からくり屋敷”があるようだし、その行き帰りに寄る客くらいいそうなものだ。
俺の胸元を掴んだまま動かなくなった名前を見下ろしながら答えれば、善法寺先輩はさっきよりも大きな溜息をつく。

「…………久々知、他に言うことないのかい?」
「“妨害”はお互い様ですから」

笑顔で愛想よく返す俺を見て呆れた顔をする先輩は“可愛くない後輩だ”と口を動かし、対象を名前に変えた。

「……名前
「は、はい!」
「美容と健康に良いお茶があるんだ」
「え…えーと、試飲ですか?」
「あはは、まさかぁ。僕を助けると思って!」

情に訴える作戦なのか善法寺先輩は身を乗り出して言うけれど、名前はあっさり「ごめんなさい」と断った。

「興味はありますけど、美味しいかどうかわからないものを飲みたいと思いません。先輩を助けるって意味もわかりませんし、そもそもそんな意欲が湧かないというか…」

目を逸らし、俯きがちで傍目には申し訳なさそうに見えるものの、彼女の口からこぼれる言葉は案外辛辣だ。
笑いそうになるのを堪えていると善法寺先輩は額を押さえ、保健委員会のためでもあるのに、と呟いた。

名前はこれからも世話になるだろうから、投資してってもいいと思うんだけどなあ」
「き、決めつけないでください!……この屋台って委員会のものなんですか?」
「うーん…、僕らの課題のついでというか」

聞けば、六年生にはこの縁日を利用した課題が課せられているらしい。
きり丸があちこちで先輩たちを見かけたというのもそのせいだろうか。

詳細は教えてもらえなかったものの、売上金は委員会の活動に回して良いとされているようで、各委員会の委員長はより気合いを入れているんだとか。

「……それって久々知くん――あの、委員長代理の委員会には当てはまらないんですか?」
「鉢屋が連絡して回ってたからそんなはずないと思うけど」
「え」

――そんな話は一言も聞いてない。

思わず手のひらに力を入れてしまい、名前の細い指先を感じて慌てて手を開く。
ぱっと離れたのは束の間で、名前は躊躇いがちに俺の手に触れ、指先をひっかけて緩く握った。
薬指と小指だけが名前の指と絡んでいるのが少しくすぐったいと思いながら、伝わってくる温かさにほっとする。

「久々知のところは斉藤が参加してるだろ?」
「え…?」
「だから火薬委員会は斉藤が“代表として参加する”って本人が名乗りを……あれ、まさか聞いてないの?」

ここに到着した直後に見かけたタカ丸さんを思い出す。
善法寺先輩の言う通りなにも聞かされていないが、あの出し物は委員会のためでもあったんだろうか。

あ、と声をもらした名前の様子を伺えば、彼女は俺を見て申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「? 名前、帰りにタカ丸さんのところ寄ってもいいか?」
「――う、うん」

不思議に思いながら聞く俺に、名前は快諾してくれたが、頷いた後も表情を曇らせたまま…今にも謝罪の言葉を口にしそうだ。

「どうした?」
「…………あのね、もしかしたら斉藤さんの邪魔しちゃったんじゃないかって…あっ、邪魔はする気だったんだけど、その、違うの、そうじゃなくて!」

言いながら混乱してきたのか名前は焦ったように首を振り、小さく「ごめん」と呟いた。

結局謝らせてしまったことに不甲斐ない気分を味わいながら、額を軽くぶつけ合わせる。

「何を気にしてるのかわからないけど、名前が謝ることなんか何もないだろ?」

自然と上目遣いになる名前に理性がぐらつくのを感じつつ、それを押し込めて彼女の言葉を反芻する。

――久々知くんが斉藤さんに捕まっちゃうかもしれないし……

タカ丸さんと遭遇した時の行動は、名前がしなかったら俺が起こしていたものだ。

(……嬉しかったんだ)

罪悪感を滲ませながらも「邪魔はする気だった」なんて、思いがけず聞けた名前の本音だって……嬉しい。
あの場は誤魔化してしまったけれど、今になって名前が気にすることになるなら、はっきり言っておけばよかったんだろうか。

「――仲がいいのは結構だと思うけど、一応僕もいるの忘れないでね」
「すみません」
「…思ってないだろ」

お詫びというわけではないけれど、そっと屋台のカウンターに皿を置く。
コトン、と音が鳴り、微かに揺れる豆腐を見て先輩はなぜか嫌そうな顔をした。

「………………久々知、これ水分飛んでるよ」
「大丈夫です」
「いや意味がわからないよね!?悪いと思うなら商品を買ってくれた方が何倍も嬉しいなぁ」
「……はぁ……それなら、からくり屋敷の帰りに寄ります」
「あ、ほんと?」

ぱっと表情を入れ替えて念押ししてくる先輩に頷き返し、名前の手を引いてその場から離れる。
先ほどから無言だった彼女は、目が合うときゅっと唇を引き結び、じわじわと頬を染めていく。それを隠すように手の甲で口元を押さえる仕草にドキッとした。

名前?」
「……忘れてるつもり、ないのに…久々知くんのことばっかり、考えちゃうからかな」
「…………」
「直る気が、しないんだけど」

名前の声を聞きながら、咄嗟に脇道に逸れたのは微かに残っていた理性のおかげだろうか。
足を止め、戸惑いがちに俺を呼ぶ彼女を両腕で抱きしめて、ちらりとそんなことを思った。

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