カラクリピエロ

まるで、ひめごと(5)


「痛く、ない」
「…………ってて…大丈夫か?」
「――!! うん、ありがとう。……ごめんなさい…」

私の下敷きになってくれた久々知くんに謝ると、苦笑交じりに私の頭を撫でながら「俺も」と付け加えた。

「ごめん、思いっきり引っ張ったからだよな。…………でも、これは没収させてもらう」
「っ、だ、だめ!返して!」

いつの間に取ったのか、久々知くんの手には私の犬笛が握られている。
反射的に手を伸ばしたら、より遠くへ遠ざけてにっこり笑った。

「札と交換」

当たり前と言えば当たり前の交換条件。
だからって、せっかく(ものすごく恥ずかしい思いをして)奪い取った札を手放すのはどうしても惜しい。

優しく私を呼ぶ久々知くんをチラと見て、ゆらゆら揺れている犬笛を確認する。最悪、影丸の笛だけでも取り返せればなんとか――

「――名前が考えてること当てようか」
「えっ!?な、なんのこと!?」
名前は見すぎなんだよ。わかりやすい。そういうところ可愛いけどさ」

その言葉にドキッとしながらも、バレバレなら今すぐ行動すれば逆に取れるかもしれない。
ゆらゆら、揺れる獲物を追う。

「だからほら」
「あっ」
「簡単に避けられる」

持ち上げているのが疲れたのか、高度の下がったそれに手を伸ばすと、あっさり避けられたばかりかそのまま腰を抱かれてしまった。

「く、久々知くん、笛は、預けるから…だから」
「逃がせって?」
「…………」

至近距離の久々知くんからぎこちなく目を逸らしながら、だめだろうなと思う。
だって犬笛なんて持ってたって0点にしかならない。
私が久々知くんの立場だったとしたら絶対断る。

「……いいよ」
「え!?ほ、ほんと!?」
名前がもう一度してくれたら」

意味がちゃんと浸透してこなくて、久々知くんを凝視する。
久々知くんは指で私の唇を撫でて「さっきのはあんまりだ」と呟いた。

「さっきのって…………」
名前からしてくれるなんて滅多にないのに、いつも一瞬でじっくり余韻に浸る暇もくれないし……騙し討ちなんてさ」
「んっ…」

あごを持ち上げられて口を塞がれ、反射的に目を閉じる。
すぐに離れた唇に一度頭を振って、精一杯睨み付けた。

「く、久々知くんだって、私に、したくせに」
「…………」

声が震えてしまったのが恥ずかしくて、つい視線を逃がす。
その間も私に注がれる視線の強さは変わらず、なぜか私が追い詰められている気分になった――今は私が反撃していたはずなのに。

落ち着かなくて言葉を探していたら、手首を捕まれて引っ張られる。
私の腰に回されていた腕の力が増して、咄嗟に空いていた手で久々知くんの胸元を押したけど無駄だった。

「ん、ぅ」

まるで言葉を奪うように口付けられて、久々知くんの舌が滑り込んでくる。
口内をくすぐられ、舌を絡めとられてきつく吸われて、びくっと勝手に身体が跳ねた。

「――や……も…、むり」
「っ、名前が悪い」
「わた、し、なにも……ん、んっ…」

ちゅ、ちゅ、と何度も啄ばむような口付けの合間に息を吸う。
それでも苦しくて久々知くんの胸を叩くと、角度を変えてちゅうと吸い上げたあとに、ようやく解放してくれた。

荒い呼吸なのも、顔が赤いのも見られたくなくて俯いたままもたれかかる。

久々知くんは私の髪を撫でながら力の入らない私の手に触れ、やんわりと指をほぐした。
それをぼうっとした頭で見ていたら、指と指を絡めるように握られて、ただでさえ速い心臓が跳ねる。

「……そろそろ時間だな」
「………………?」

久々知くんの台詞が合図だったかのように、裏山に大砲の音が響き渡った。

タイムアップを告げる大砲は一度では終わらず、山の数箇所(と学園)で上げられているのか、連続して何度か鳴った。
近場からの音に身を竦ませると久々知くんが大丈夫、と言うように私の手を握りなおしてくれる。
その優しさに胸がキュンとしてしまう。ついさっきまで意地悪だったのに、こんなのずるい。

名前、立てるか?」

問いかけに答えるよりも、同時に私の首にかけられる犬笛に気を取られる。
触れて感触を確かめて――自分が手ぶらなことに気づいた。
久々知くんから取った札を握り締めていたはずなのに、ない。

バッと顔を上げると勢いに圧されたらしい久々知くんが僅かに身をそらす。
その胸元に、揺れる木札が、三枚。
呆然と札を引っくり返すと“久々知”が二枚と“苗字”が一枚。
間違いなく私のだ。

「な、な、なんで!?」
「なんでって……俺が名前から取り返したからだろ」

いつ、と聞き返そうとして口を覆う。
久々知くんはそんな私を見てくすくす楽しそうに笑った。

そのまま立ち上がり、集合場所に行こうと言いながら私に手を差し伸べてくれる。

その手を睨むように見て、次いで久々知くんに視線を移す。
にっこり笑顔が嬉しい反面、無性に悔しい。

名前?」
「…………立てない、から、連れてって、くだ、さい」

私は唇を軽く噛み、搾り出すように口にする。
恥ずかしすぎて泣きたくなってきた私をよそに、久々知くんがまた座り込む。
いきなりのことに驚いていたら、急に抱き締められて悲鳴と一緒に肩が跳ねた。

「……名前が、可愛すぎて、困る」
「っ!?」
「はー…………待てるかな俺……」
「え?」

聞き返したつもりだったのに、久々知くんは無言で私の肩に顔を埋めている。
ぎゅうぎゅう苦しいくらいの腕の中、もがいて両手を出すと、控えめに久々知くんの背中に回した。

「…………相当、ヤバいと思うんだ」
「なんの話?」
「理性」

りせい、と何度か反芻しているうちに、首元に口付けられてゾクッとした。
うろたえて久々知くんを呼ぶと、チクリと小さな痛みを残して久々知くんが身体を起こす。

「久々知くん、いま…」
「……ごめん……たぶん見えない、と思うから」
「!?」

パッと口付けられた場所を押さえたら、ほんのり頬を赤くした久々知くんが、口を覆いながらもう一度ごめんとこぼす。
…………ものすごく、すっごく恥ずかしいけど、そんな顔されたら、怒れない。

「……だ、誰にも、見えないなら、いいよ」

久々知くんだから。
嫌じゃ、なかったから。

本当の本音は胸の奥に押し込んで、途切れ途切れの返事をすると、久々知くんはほっとしたように笑った。
この表情も、すごく好き。

行こうと促されるまま(と言っても立てなかったから背負ってもらって)、集合場所である頂上へ到着すると、私たちは最後の方だったらしく、既に集まっていた上級生がザワザワと騒がしかった。

ゆっくり降ろしてもらい、ちゃんと立てたことに安心する。

久々知くんにお礼を言って彼を見送ったところで(斉藤さんを捜すらしい)、背後から声をかけられた。

「…………名前
「た、立花先輩!!」
「久々知と一緒に来たというのはどういうことだ、取ったのか?」
「おち、落ち着いて、聞いてくださいね!?」
「いいからさっさと――――ないな」
「一度は取りましたけど、取られたからです!」

目を細めて私の嘘を見抜こうとする立花先輩をじっと見返す。
だって嘘はついてない。

久々知くんと口裏を合わせているんじゃとか、情に流されたかと詰め寄られている最中に凛とした声が割って入った。

「立花くん、苗字さんは嘘をついてないわよ」
「「山本シナ先生!」」

私と先輩の声が被る。
先生はにっこりと綺麗な笑みを浮かべて私の両肩に手を置くと、苗字さんは彼女なりにすごく頑張ってました、と言ってくださった。

「シナ先生…!」
「でーも、逆転されたのはマイナスです」
「ひっ!!せせせ、先生!?」

感動した次の瞬間、人差し指を振りながらのお説教モードに飛び上がる。
その口ぶりは、まるで見ていたかのようではないですか。

「あら、今回審判は先生方で分担してるって聞いてない?ついでにあなたの補習もかねていたから、私はなるべく苗字さんの周辺で動いてたの」
「き、聞いてません、どっちも!!」
「補習の件は言ってませんから当然です。途中までの頑張りは、ちゃんと評価しておきますからね」

パチンとドキッとするようなウィンクをして、シナ先生がどこからか取り出した出席簿にメモを取る。

最初から最後まで余すことなく…というわけではなさそうだけど、見られたのは確からしい。
呆然として、唇を震わせて泣きそうになっていた私を慰めるように、立花先輩が肩をたたいた。

「まあ、今回仕置きは不問にしてやろう」

途中から静かだったのは、どうやらシナ先生に圧倒されていたらしい。
何度かポンポンと叩かれていると、音もなく喜八郎が現れて(札は首に下がったままだ)、そろそろ上級生分の集計が出そうですと報告した。

「…喜八郎は、誰からも取ってないの?」
「取ろうと思ったんですが、逆に取られそうになりましたので罠を仕掛けながら逃げました」

――喜八郎の通った跡は罠だらけ。
淡々と溢される内容に耳を傾けながら見ていたら、目が合って首を傾げられた。

「喜八郎の罠、誰が引っかかったのかと思って」
「そうですね…善法寺先輩にタカ丸さん、不破先輩、三木ヱ門、滝夜叉丸…あとは見ていないのでわかりません」
(……四年生が喜八郎以外全滅してるんだけど……)

それで札が一枚も取れていないというのも不思議な気がする。
疑問をぶつけてみたら、罠に掛かったときには既に札を持っていなかった(四年生)、先の通り逆に取られそうになった(五、六年生)ということらしい。

「そういえば立花先輩は……二枚も取ったんですね」
「ふふん、実に楽勝だった。うまくいけば鉢屋のも奪えたんだが、あいつは口が上手いな」
(立花先輩といい勝負だと思います)
「顔に出ているぞ名前

あはは、と誤魔化し笑いをして札を見せてもらう。
引っくり返すと“潮江”と“食満”それぞれ4点と3点だ。

「立花先輩が7点で、喜八郎が5点だから」
「全部で19点ですね」
「……微妙なところだな」

眉間に皺を寄せて、立花先輩が溜息をつく。
騒々しい箇所を静観していた先輩が言うには、七松先輩が追いはぎのように(絶対誇張だと思う)札を狩っていたらしい。

「参戦しなかったんですか」
「隙あらば横から奪おうと思っていたんだが、逆に狙われてしまった」
「七松先輩に?」
「――ではなく、長次にな」

くく、と楽しそうに喉で笑う先輩と中在家先輩の対決はどんな感じだったんだろう。
想像をめぐらせていたら、学園長先生が「結果発表じゃー!!」と叫ぶ声が聞こえた。

結果発表、と力強く書かれた題字の下に記載された委員会の中に作法はない。

一位、図書委員会(22点)
二位、学級委員長委員会(21点)
三位、体育委員会(20点)

ジト目で結果の張り出された掲示板を見る立花先輩から、ちょっとずつ距離をとる。

「…………名前

びくっとして愛想笑いを返したら、にっこり綺麗な笑顔が返されてゾッとした。

「いやいやいやいや、今回お仕置きなしって言いましたよね!?私が頑張ったからって!!」
「でも名前先輩の点があったら図書に並んでまし」
「喜八郎は黙ってて!!」

慌てて喜八郎の口を横から塞いで立花先輩に向き直る。
確かに、あと3点あれば現在トップの図書に並ぶけど、これはあくまで“上級生の”結果であって、下級生分を合わせたら追いついて追い抜くかもしれない。

「現時点で作法が四位という事実が気に入らない」
「すみません、ごめんなさい!私が悪かったです!」

勢いよく謝れば、先輩はふう、と溜息をついて「藤内たちの結果を待つか」と言ってくれた。

ああよかった。
みんな頑張ってくれてるだろうし、これで少しはトップに近づくといいんだけど。

ほっと胸を撫で下ろして辺りを見回したら、久々知くんと目が合った。
微笑まれたことにドキッとして僅かに俯きながら、今日はほとんど久々知くんに振り回されて終わったなと思った。






「……図書圧勝でしたね」
「負けちゃったねー」
「……やけに嬉しそうだな名前
「だってもう3点とかどうでもいいくらいの引離されっぷりじゃないですか」
「だいたい、兵太夫が任せておけって言うわりに、点数を集めなかったからだ!」
「そういう伝七だって、“間違いない!”なんて自信満々で0点ばっかり拾ってた!」
「こら、お前らやめろって言っただろ!先輩方、すみませんでした…」
「みんな良く頑張ったよ!お疲れ様!」
「そうそう。名前先輩に比べたらお前たちの方がよっぽど貢献してるよ」
「喜八郎!!」

「………………まあ、今回は二位に甘んじてやるか」

「立花先輩も何か言ってやってくださいよ!」
「事実だろう、認めたらどうだ」
「ひ、酷…!」
「「苗字先輩ちょっと聞いてください」」
「それより私を慰めて!」

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