カラクリピエロ

生物委員会(閑話:久々知)



俺の胸に顔を埋めて、装束をきつく握って離さない名前を抱きしめながら、“初めてだ”と思う。
こうして名前から抱きついてくるのも、離すまいとするように力を込めるのも――俺にすがりついて泣き出すのも…初めてだ。

「……名前?」

呼んでも身じろぎひとつしなくなった名前を慌てて見下ろす。
相変わらず装束は握られたまま、俺に寄りかかっているのは変わらないものの、両目はすっかり閉じられていた。

「…………」

――昨日も、相当…泣いたんだろうか。
一目でそれとわかる目尻をそっと撫でて、唇で触れる。
名前を抱え直しながら頬に手を滑らせると、少し火照っているようだった。
これは先ほど彼女が泣いていたせいかと思い返して、心臓が速くなる。

名前の泣き顔を見たのは初めてじゃない。だけど見ているだけで胸が痛くなるような、あんな泣き方をするなんて、知らなかった。
たまらずに腕の中に閉じ込めて肩口に顔を埋めて、微かに聞こえる嗚咽が治まるのを待ちながら……このままずっと、泣いている名前を見ていたいという矛盾した感情が湧いた。

(…泣いてるのが俺のせいだったから…かな)

自己分析しながら名前の指を開かせて装束から外す。
ぴくりと動いた指先と、微かに寄る眉根を見て自分の口元が緩んだ。
桜色の唇に触れたくなる衝動を必死に押さえこんで、代わりに額へ口づける。

(…………勝手に触りすぎか)

そろそろ名前を起こしてここから脱出して、念のため医務室に行って――それから名前とじっくり話がしたい。声が聞きたい。

なのに俺は声をかけることもせず、名前を抱き込んだまま彼女の髪を梳く。
名前は温かくて心地好いなと思いながらゆるく息を吐き、目を閉じた。

「――おーい、兵助ー、いつまでそこにいんのー」

呼びかけに視線を上げれば勘右衛門が苦笑して覗き込んでいた。

(さすがに、いつまでもこうしているわけにはいかないか)

いささか残念に思いながら名前を軽く揺すって声をかける。
名前はわずかに瞼をあげて数回瞬き、弾かれたように顔をあげた。

「……、」
「どうした?」

不安げな表情で見上げてくる名前の手をやんわりと覆う。
自分の手の中で彼女の手が動くのがくすぐったくて指を開くと、指先を握られてドキッとした。
内心の動揺を抑えるように名前の手を握り返す。視線を下げた彼女が瞬きするのを見下ろしていたから…名前がほっと息を吐くのも、嬉しそうに頬を緩めるのも間近で見て、思わず唇を引き結んだ。

「…そ、そろそろ出るか」

こくりと頷く名前を立たせて頭上を仰ぐ。
勘右衛門は大きくため息を吐き出してからこちらに手を伸ばしてくれた。

ちらと名前を見る。
七松先輩からも言われたとおり、自分以外の誰にも触れさせないなんて不可能だ。
自分の中で折り合いをつけ、先に行くように促した。

名前じゃ手が届かなかったろ?俺が持ち上げるから勘右衛門に引き上げてもらってくれ。いいよな?」
「もちろんいいよ」

勘右衛門の快諾を受けて、おろおろしていた名前を抱き上げる。
いきなりすぎたのか短い悲鳴とともに抱きつかれて思考が飛んだ。

名前、こっち。手伸ばして」

勘右衛門の声で我に返った俺は軽く頭を振って、手を伸ばす彼女を支える。
現状についてはなるべく考えないようにしようと目の焦点をぼかした。

勘右衛門の助けを借りて脱出した後、名前は気を失うようにして目を閉じた。
倒れこみそうになる彼女を慌てて支えながら、落とし穴のすぐそばに座り込む勘右衛門に礼を言う。

「ありがとう、助かった」
「どういたしまして。おれが行くまでさ、ずっとああだったの?」
「ああだった、って何がだ?……よっ、と」

また怪我してるかどうかを聞きそびれたと思いながら(たぶん大丈夫だと思うけど)、名前を抱き上げる。
跳ねるように立ち上がり、隣についてくる勘右衛門は長屋の方を眺めて呆れ交じりに一つ溜息をついた。

「いちゃいちゃしてたのかってこと」
「…………まあ」

してたと言えばしてたんだろうなと思って返せば、どうりで、と呟くのが聞こえた。

「兵助、あの辺って四年の部屋あるよな」
「あるな」
「騒ぎになってたんだよ」
「…ふーん」

それがどうかしたのかと見返したら、今度は苦笑された。
勘右衛門にしては回りくどい。
先を促すと、“騒ぎ”の原因は俺と名前だと言われて瞬いた。

他にも目覚まし代わりの爆発音だとか、それに誘われて部屋を出た途端落とし穴地獄に見舞われたとか――どっちも綾部の仕業だ――が重なったせいもあるようだが。

「何かまずいのか?」
「…んー、まあ噂になるくらいじゃない?今も進行形で注目浴びてるしさ」
「噂は好都合だけど……」

名前を見られるのはなんだか気に入らない。
さっさと医務室へ運んでしまおうと速度を上げようとしたけれど、名前を起こしてしまいそうな気がしてやめた。
代わりに心持ち隠すように抱え直す。

「そういえばさ、答え出たの?」
「俺が、名前を貰うんだ」
「……………………は?」

――俺がしたいこと。
――名前にしてほしいこと。

まだ彼女に全部伝えられてない。
名前が手を伸ばしてくれたから。俺を求めてくれたから…もう躊躇うのはやめにしようと決めた。




-閑話・了-

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