カラクリピエロ

生物委員会(閑話:久々知・中編)



夜通し走ったことで体力も消費して自分の中で答えも出した。
ゆうべは食欲が出なかったけど、今朝はちゃんと食べられそうだ――朝食を食べながら今日の計画を立てようと下山して、風呂に寄ってから食堂へ向かう。と、うんざりした様子で七松先輩に向き合っている立花先輩と遭遇してしまった。

昨日の今日で、なんとなく気まずい。
挨拶だけして済ませようと思ったのに、立花先輩は目があった瞬間にっこりと笑って(なぜか鳥肌が立った)俺を手招いた。

「おはよう久々知、丁度いいところへ」
「おはようございます」
「仙蔵、わたしの話はまだ終わっていないぞ!!」
「うるさい。小平太、先にこっちを説得しろ。久々知が了承したら私も考えてやる」
「最初に言っていたのと違うじゃないか!」
「状況が変わったんだ、仕方なかろう」

口を挟めないまま会話の流れを拾っていたが、「な、久々知!」と朗らかな笑顔で背中を叩かれて座らされる。
はあ、と曖昧な返事をした途端、前の席に座っていた七松先輩が身を乗り出して「じゃあ許可を出せ」とわけのわからないことを言い出した。

「…すみません、何の話ですか?」
「だから、わたしに名前を貸せと言っている」
「は?」
「小平太は名前を錘に使いたいんだそうだ」
「…え?」
「仙蔵は意固地で融通がきかん!いくら言っても“駄目だ”の一点張りでな」

当たり前だ、とため息交じりに零す立花先輩が俺を見る。
わずかに細められた目と弧を描く口元に気を取られていたら七松先輩に呼ばれた。

「聞いているのか久々知!」
「…無理です」
「なんでだ!?」
「……誰にも触らせたくないからです」

思いつくまま口にする俺の返答を反芻しているらしい七松先輩が瞬き、立花先輩が笑い声をあげる。

「誰にもって、それは無理だろ」
「そう言ってやるな小平太。お前だって大事なものを人に預けたくはないだろう?」
「預ける相手によるぞ」
「だから、お前はそれに値しないということだ」
「…………もう行ってもいいですか?」
「待て待て久々知。笑ったのは謝ろう、すまなかった」

からかわれているような苛立ちと名前の扱いが不満で席を立とうとしたけれど、立花先輩に引き留められ(実際謝られたことに驚いたのもある)、相手を見返す。
七松先輩が「納得いかん」と言いながら箸をすすめるのを横目に、立花先輩は満足そうに微笑んだ。

「…あの、どうして名前を錘に、なんて話が出てるんですか」
「まず重さが丁度いいだろ?それに柔らかくてあったかくて持ってて気持ちいいからだ!あと賑やかでおもしろいしな!」

――聞くんじゃなかった。
思わず固まっていた俺は、同意を促してくる七松先輩に返す言葉を探す。
けれど、どうしても嫉妬と苛立ちが邪魔をして上手く形になってくれなかった。

「なあ久々知、わたしに“いいぞ”って言うだけだ」
「…名前は、」
「うん?」
名前は俺のです!だから先輩にも、他の誰にも、触ってほしくありません!」

気づけば立ち上がって七松先輩を見下ろしていた。
何度か瞬きをした七松先輩が「久々知のものなのか?」と聞き返してくる声と、肩を震わせてくつくつ笑う立花先輩の声が重なる。

「まぁ座れ久々知」
「…………」

促されるまま腰を下ろす。
俺は自分の言ったことを思い返して口元を押さえたけれど、妙にすっきりした気分になっていることに戸惑っていた。

(…………“俺の”って)

直前まで名前を物扱いされていることに不満を覚えたのに、自分だって同じことをしてる。
――だけど…咄嗟に口から飛び出たのは間違いなく自分の本音。

(俺の、…俺だけの、名前だ)

誰にも渡したくない。
もちろん、見ず知らずの相手になんかもっての他だ。
一晩かけて出した答えを思い出しながら両手を握りしめ、先輩二人の会話に耳を傾けた。

「小平太、もう諦めろ。時間切れだ」
「なんだそれは、わたしが負けたみたいじゃないか」
「おや、お前にしては察しがいいな。それとも横恋慕してでも名前が欲しいのか?」
「…うーむ…それはなんか面倒だな」

さらりと出てきた“横恋慕”にぎょっとしたが、七松先輩の反応は淡白なもので立花先輩が呆れた顔で溜息をつく。

「久々知、これの相手は私に任せて構わん」
「は…」
「貸しにしておくからな」
「…………はい」

にっこり笑顔で言われてどっと疲れが出る。
解放されたことで席を立つと、先輩方も片づけをして食堂を去る様子を見せた。

「――喜八郎の方もよろしくな」

「え?」

振り向いたときには立花先輩が食堂の戸をくぐるところで、呼び止める間もなく見えなくなってしまった。

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