カラクリピエロ

生物委員会(13)



ふっと頭上から影が差し、久々知くんがいた位置に立花先輩が座る。
まるで見ろとでも言うように指で机を叩かれて、のろのろと視線を上げた。

「…なにが悪いかわからない、という顔だな」

三郎が残していった手ぬぐいを握り締めて正直に頷くと、立花先輩がフッと軽く笑う。

「久々知に見合いのことを教えたのは私だ」

さらりと言われて先輩を凝視すれば、立花先輩は薄く笑みを浮かべたまま「私を責めるか?」と聞いてきた。
立花先輩にさえ漏れていなければ、今のこの状態はなかったんだろうか。

先輩に知られたのは……、私自身の気の緩み。
久々知くんの歓迎準備で作法室が使えないから、と私を呼び出し(火薬委員会の活動報告を受け取るため)、内容を確認してもらっているときに小松田さんが母の手紙を持ってきたからだ。

日取りの調整云々でうんざりしていたせいもあって、つい「恋文か?」というからかいに馬鹿正直に答えてしまった。

その後は立花先輩の口車に乗せられて、気付けば場所まで喋らされていたという有り様。

「――名前、お前にとって見合いとはなんだ?」

そのときにされた質問がもう一度繰り返される。
私は立花先輩の膝を見ながら、まったく同じ答えを返した。

「……面倒な、行事です」

母に決められた日時と場所で、ただつまらない会話をして小細工を仕込み、向こうから断らせるための――ある意味、授業の補習のようなもの。

「では久々知にとっての“名前の見合い”はどうだろうな」
「え…?」

新しい質問に、心臓が大きな音を立てた。
――久々知くんにとっての、とはどういうことだろう。
反芻しながら徐々に速くなる鼓動を押さえるように胸元を握る。

名前、お前は自分基準の思い込みで行動するところがある」
「…はい」
「率直に言えば自分勝手ということだが……悪いと言っているわけではないぞ」

いつになく優しく言いながら私の頭を撫でるから、治まったはずの涙がまた出そうになって軽く唇を噛んだ。

「ただ…、逆の立場だったらどうするか――」

逆、と呟く私に、立花先輩は「考えてみるといい」と付け足して、もう一度私の頭に手を置いた。

(……久々知くんにお見合いの、話)

促されるまま想像しようとしたのに、たったそれだけで“嫌だ”と思ってしまうなんて……本当に自分勝手。

勝手にズキズキ痛み出す胸を押さえつけ、首を振る。

――ちゃんと考えないと…ここで逃げたくない。

もし久々知くんが私と同じように“見合いなんてどうでもいい”って考えで、当日は軽く買い物にでも行くような調子で見合いを受けに行く――最初から断るつもりだからと、私には何も言わずに。私の知らないところへ……

行ってほしくない、無理ならせめて教えておいてほしい。
私が久々知くんにしたのはこれと同じことなのに、身勝手なことを思う。

ふっと久々知くんの悲しそうな顔が浮かんで消える。

『……なんで、話してくれなかったんだ?』

あのときの言葉を思い出して、パタ、と手の甲に涙が落ちた。
関係ないからか、なんて…どんな気持ちで聞いたの?

「…久々知くんも、同じだって…思っても…いいですか…」
「さて。私は久々知じゃないからな。それは本人に聞くしかないだろう」

考えろって言ってくれたのは立花先輩なのに、最後をあっさりはぐらかす。
先輩は側に落ちていた扇子を拾い、それを私の額につきつけた。
軽く押さえられているおかげで顔が上げられない。

「――だが、恋愛は対等なほうが楽しいと私は思う」

トン、と額を突かれ、優しく微笑む立花先輩と目が合う。
何も言葉が出てこなくて凝視していたら、表情がにっこり笑顔に変わった。

「では、私への礼は夕飯に付き合うことで返してもらおうか」

いつもなら反論するような内容だけど、今回はそんな気が起きない。
立花先輩へ素直にお礼したい気持ちもある……それ以上に、久々知くんに会うのが怖いと思うなんて――

「時には焦らしてやるのも手だぞ」
「っ、立花先輩…」
「まあこの先は名前が自分でなんとかするんだな」
「…………はい」
「鉢屋には既に私と食事をすると伝えてある、行くぞ」

私を促す先輩に連れられて作法室を出る。
握り締めたままだった手ぬぐいでもう一度目元をぬぐって、立花先輩の後に続いた。

食堂の戸をくぐる直前、そっと中を見回す。
目に見える範囲に五年生の色は見えず、ホッと息を吐き出した。
少なくとも竹谷は居るかと思っていたけど、移動したんだろうか。

名前、こちらだ」

おいで、と誘導されるまま先輩についていく。
立花先輩と一緒に食事をとるなんて、もしかして初めてじゃないだろうか。覚えてないだけかもしれないけど、少なくともここ最近では全く無い。
食堂のおばちゃんも「珍しいねぇ」と驚いたくらいだ。

「残すなよ」
「…はい」

とは言っても食欲が全然なくて、全部食べきれる自信がない。
いつ五年生のみんなと鉢合わせるかを考えると落ち着かず、一向に箸が進まなかった。
けれど立花先輩は私のことなんてお構い無しに、時折作法委員会の様子を挟みながら委員会体験の話を聞きたがった。

こうして話をしていると立花先輩は話運びが上手いなと実感する。
普段は苛立つことが多いものの、今日ばかりは当たり障りのない世間話だからか、それもない。

「――おや、先輩方お揃いで」
「喜八郎、まさか今まで穴掘りか?」
「ええ、心ゆくまで楽しみました」

ふらりと通りかかった喜八郎はそのまま私の隣に腰を降ろす。
手には何もなく、ご飯を食べにきたんじゃないのかと首をかしげて喜八郎を見た。

「……名前先輩、元気ありませんね」
「…わかるんだ」
「それくらいなら」

言いながらテーブルに伏せる喜八郎を立花先輩が窘める。
顔が泥だらけだ、髪が埃まみれだと注意され、のそりと身を起こした彼は確かに泥だらけだった。

「手は綺麗ですよ」
「そういう問題じゃないだろう。名前も何か言ってやれ」
「…喜八郎、ご飯食べないの?」

元気に注意する気にはなれず、ただ思いついたことを口にする。
小さく溜息をついた立花先輩を見ると、急に肩が重くなった。

「喜八郎、重い」
「眠いんです」
「だったら部屋で寝るのをお勧めするよ」
「――やっぱり、元気ないですね」
「…うん、少し考え事してるから」

心配してくれてるらしいのを感じて正直に答えると、喜八郎は寄りかかっていた身体を起こし、またテーブルに上体を伏せた。
喜八郎、と立花先輩の注意が飛ぶ。

「久々知先輩のことですか?」

立花先輩の呼びかけなんて気にせず問いかけられた内容に、思わず喉を詰まらせた。

「……そんなにわかりやすい?」
「勘です」

ふいと顔を逸らされながらの答えにふーんと相槌を打ち、食事を再開させる。
食堂のおばちゃんの作ったご飯なのに、あまり味がしない。
お箸を揃えていつの間にか立花先輩が注いでくれたお茶を飲む。

――どうしよう、もう食べられない。

名前先輩、もう食べないならください」
「これ?…食べかけだけど」

構いません、と頷く喜八郎のほうへ膳を押しやる。
静観していた立花先輩は、私たちの様子に溜息をついて何かを呟いた。
小声すぎて聞き取れなかったけど、聞き直したところで答えてくれるとも思えない。

「喜八郎、攻め時を間違えるなよ」

そう言い残して用事があると席を立つ立花先輩を見送りながら、喜八郎が無言で頷く。

「戦でも行くの?」
「いいえ」

聞いてもしれっとした答えが返ってくるだけ。
喜八郎との会話は大抵こういうものだから、特に気にすることもない。
たえず動くお箸をぼーっと眺めていたら、ずいっと口元に煮物を持ってこられた。

「っ、喜八郎、」
「どうぞ」

ぐっと腕を押し返し、必要ないと伝える。
残念ですと淡々と述べながら、結局は自分で食べる喜八郎は何がしたいのかわからない。

触れ合う食器の音を聞きながら喜八郎がしていたみたいに顔を伏せる。

会いたい。
会って、謝りたい。
それから久々知くんが私と同じことを思ったのかを確認して…………あのとき答えられなかった質問に、全部答えたい。

「…勇気出さなきゃ…」

自分に言い聞かせるように口にすると、パチン、と箸を置く音が聞こえた。

「――……久々知先輩で、いいんですね?」
「え?」
「ごちそうさまでした。名前先輩、また後で」
「き、喜八郎、今のどういう意味!?」

空になった膳を持って去って行こうとする背中に呼びかける。

名前先輩が元気じゃないときに言ってもフェアじゃないので」

喜八郎は一度足をとめて振り返り、それでは、と軽く頭を下げる。

――結局、私の疑問に一切答えてもらえてないことに気づいたときには、喜八郎の姿はどこにもなかった。

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