カラクリピエロ

不器用な彼の甘え方


お風呂に入ってさっぱりした気分で部屋に戻ってみたら、文机につっぷしている人影を発見して飛びあがるほど驚いた。
叫ばなかったのはきっと奇跡に近い。

咄嗟に携帯していた苦無を投げつけたけど、相手はその場から動きもせず、あっさり自分の苦無で弾き返しながら溜息をついた。

「――お前は私を殺す気か?」

呆れ混じりにかけられた声で、ようやくそれが見知った気配――三郎だったことに気づいて、へなへなと座り込んでしまった。

激しく脈打つ心臓を押さえて大きく息を吐き出しながら、私だって一言文句を言ってやりたいという気分になっていた。
今日は忍務(しかも重要そうなもの)に行くから来ないと言っていたくせに。

頭の中でぐるぐる回る反論は声にならず、いまだ落ち着かない心音を宥めようと灯りをつける。
くせ者かと思った。口からこぼれた呟きには悔しさが滲んでしまったけど、仕方ない。

「馬鹿だなお前は。侵入者だったらこんなところでのんきにしているわけがないだろう」
「そうだけど……あれ、今日は不破くんじゃないんだね」

持ち上げた灯りの向こうに見えた姿に少し驚く。
三郎といえば不破くんの格好をしているのが普通で、それに慣れてしまった。
他に割合よく見るのはしんべヱ(私が文句を言うと余計楽しそうにするのが腹立つ)と、…………そういえば、今の姿も最近よく見る気がする。
気に入ってるんだろうか。それとも忍務用?

名前
「わっ、あぶ…、危ないよ三郎!」

燭台を持ったままだったのに、急に腕を引かれてそれを落としそうになった。
危うくボヤ騒ぎを起こすところだったと、今度こそ文句を言おうとした。けれど、口を開いた直後に燭台を取り上げられ、せっかく灯した火を吹き消される。

三郎の行動にぎょっとする私のことなんかお構いなしで、突然抱きしめられた。
それも…ぎゅう、と力いっぱい。

背中に回る腕と、髪に埋められる顔。それを実感した途端、熱が上がってきて恥ずかしい。落ち着かなくて身じろいだら、動きを封じるように力が強くなった。

「なななななに、なに、なに?どうしたの!?」
「……少しは落ち着いたらどうだ」

真っ暗にされたうえにこんなに密着した状態で落ちつけるわけがない。
しかもいつもより嫌味成分が減っているように聞こえる声が、ますます落ち着かない気分にさせる。

混乱しながら身を固くしていると、ふと力が緩んで肩に三郎の頭が乗った。
驚いて思わずびくっと跳ねてしまったけど、三郎は何も言わないまま、ゆっくり長く息を吐く。

「…………疲れてる?」

いつもと違う様子に心配の方が先に立って、ドキドキがいくらか治まる。
なのに、三郎は何も答えてくれない。
忍務に行ってきたんだろうし、たぶん合ってると思うけど……

静まり返った部屋の中、段々と目が慣れてきた。
三郎のそばには見知らぬ荷物が転がっている。それを見て、忍務帰りに直接来たのかもしれないとぼんやり思っていたら、ふと三郎が顔を上げた。

私の手首を掴んで持ち上げて、肩に乗せろとでも言うように半端な位置で離す。
三郎の肩に触れた拍子に彼の装束を掴んだのは、反射みたいなものだ。
ぱっと離したときには自分の腕の下を三郎の腕が通り、私の腰を支えるように指が組まれていた。

布越しにそれを感じて背筋を伸ばし、再び装束を掴む。今度は思い切り力を入れてしまった。

「……知ってはいたが、お前は鈍すぎるな」
「な…!?」

はあ、とため息混じりに呟かれ、不満が渦巻く。
そう思うならちゃんと言葉にしてくれればいいのに。
普段から“言って欲しい”ってお願いしてるけど、聞いてくれないのは三郎の方だ。

「いいから、少し黙ってろ」

文句が飛び出る直前に釘を刺され、消化不良のまま押し黙る。
そうやって命令口調なのも、言い返したくなる原因じゃないかと思うんだけど。

言われたとおり黙っている代わりに、三郎の様子をじっと見る。
灯りをつけてしまいたいと思う反面、はっきり見えないおかげで恥ずかしさが減るのはいいかもしれないとも思う。

三郎はなんだか言うのを迷っているような雰囲気で、微かに声を漏らした。

「…………私を、庄左ヱ門か彦四郎だと思ってだな」
「は?」

三郎を一年生に見立ててどうしろと。
――意外なのは、言いながらも変装しようとしなかったところ。私を囲うように組まれた手はそのままで、わずかに俯く程度しか動かなかった。

「…だから……自分の部屋に帰りもせず、わざわざ…苦労してまで名前のところに来てるんだ、わかるだろ!?」
「………………わかりにくいよ」

ぐっと言葉を詰まらせたのを聞きながら、三郎の肩に置いたままだった手に力を入れて腰を浮かせる。
何か言われる前に彼の首に腕を回して、ぎゅっと抱きついた。

心臓がものすごくうるさい。照れくさくて自分から抱きつくなんて滅多にしないけど、でも…こうしてほしいんじゃないかって、思ったから。

三郎はびくっと震えた後、組んでいた手を外して私の背中に添える。少しずつ力が入れられて、ぴったりくっつくまで(くっついてからも)ドキドキしっぱなしだった。

「…言ってくれたほうが、絶対、早いのに」
「………………言えるか馬鹿」
「ばっ、馬鹿って、今言う!?だいたい一年生だと思ってってなんなの、思えるわけないでしょ!」
「想像力が足りないんだお前は」
「三郎には可愛げが圧倒的に足りないよ」

言ってから、可愛げのある三郎ってどんなのだろうと想像してみようとしたけど、うまくいかなかった。
もし、私が庄左ヱ門や彦四郎と同じように三郎を可愛がったとして、嬉しいんだろうか。

「――…とりあえず、ムカつくな。そのあと名前に倍返しを考える」
「言いだしたの自分のくせに…」
「もういいだろう、この話は」

言いながら三郎は私の肩に顔を押し付け、緩く息を吐き出す。

「…今日は疲れた」
「――、……お疲れさま」

吐息混じりに漏らされる一言が、やけに嬉しい。
勝手に緩んでしまう顔を伏せながら返したら、直後に強く抱きしめられてドキッとしてしまった。

自分の重心がぐらりと前に傾いたことにびっくりしながら、三郎にしがみつく。
仰向けに寝転んだ彼は満足そうに笑いを漏らしているけど、三郎を下敷きにしている私の方はそろそろ限界だ。

三郎の上から退くために腕を立てたのに――三郎に支えを崩されて彼の胸に顔面をぶつけた。

「ちょっと、」
「……名前、灯りはどこだ」
「え」

ごそごそ動いている三郎は、きっと彼自らが取り上げた燭台を探しているんだろう。
うっかり倒して油をこぼされたりしないように、先に予備の灯りを用意してしまおう。
そう思って手探りで心当たりに向かおうとしたら、今度はいきなり肩を抱かれて押さえこまれた。

「――お前は私がいいと言うまで動くな」
「? なんで?」
「……………………目のやり場に困る」

ぼそりと返された内容を反芻して、急に自分の格好を意識してしまった。
あとはもう布団を敷いて寝るだけの、寝巻き姿。当然だ、お風呂を済ませて寝るつもりだったんだから。

何も言えなくなった私をよそに、燭台を見つけたらしい三郎が念を押すように「動くなよ」と呟く。

明るくしたら結局同じなんじゃないかとか、先に着崩れを直させてほしいとか――他にもごちゃごちゃ考えていたような気がするけれど、なぜか火をつけるのに苦戦しているらしい三郎が、時折散る火花で照らされるのを見たら…全部、吹っ飛んでしまった。

――――顔、赤くなってるよ。

今日は変装じゃないの?
部屋を暗くしたのはそのせい?
灯りがついたら、質問してもいい?

…なんとなく“火花のせいだ”って答えが返ってきそうな気がするけど。

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