カラクリピエロ

生物委員会(9)



後ろでは竹谷と一年生が「痛い」とか「そっち行った」などと騒いでいるのが聞こえたけれど、なんだか追い払うような勢いで促されたから、私は騒ぎを無視して(ついでに息を一つついて)井戸へ向かった。

汲み上げた水に自分を映して、軽く乱れていた装束を整える。
上着が崩れた程度だけど、だらしない姿を後輩には見せたくないし、追い出してくれて良かったのかもしれない。

先ほどの騒動で精神的に疲れたから、気分を改めるために顔を洗っていると、苗字先輩!と声をかけられた。

「あ、僕手ぬぐい持ってます、使ってください」
「…ん、ありがとう一平」

自分の懐にも常備されているけど、水を払っている手に直接触れさせてくれたから、ありがたく使わせてもらう。
顔を拭いて一息つく私の横で、虎若が桶を無造作に並べていた。

「水汲み?」
「はい!掃除は終わったので、水を替えてあげるところです」

そういえば二人は馬の世話をしていたっけ、と思い至って様子を眺める。

「冷た!もー、気をつけてよ虎若」
「あははっ、ごめんごめん!」

井戸の水を桶に移す過程で、水を跳ねさせて一平の顔を濡らす虎若と、それを腕でゴシゴシこする一平の返しが思いのほか穏やかで妙に和んでしまった。

「一平、これ使って」
「あ。すみません……あれ?これ僕のじゃ、」
「私のと交換。一平のは洗って返すから、一平も私に洗って返すこと」
「は、はい。ありがとうございます」

笑って言うと、一平が私の手ぬぐいを握り締めて頭を下げるから、つい衝動に任せて頭を撫でる。
ついでに虎若の頭も撫でると、予想外だったのか目を大きく見開いて何度もパチパチ瞬きを繰り返した。その様子がまた可愛くて和む。

「虎若と一平でそれ全部運べるの?」
苗字先輩、僕結構力持ちなんですよ!」
「だめそうだったら分けて運べばいいし」
「でもさ、それはちょっと面倒だから一度に行きたいよ」
「前にもそう言って、転んで全部無駄にしたのは虎若だよね」
「うっ…そうだけどさぁ…今日はいける気がするんだ!」

ドンと胸を叩く虎若を見ながら不安そうに眉を潜める一平。
これが伝七と兵太夫だったら嫌味合戦になりそうだなぁ、と普段見ている一年生を思い出して、会いたくなる。
それと連動するように久々知くんが思い浮かんで、心臓が不安を感じて嫌な音を立てた。

「……苗字先輩?」
「大丈夫ですか?竹谷先輩を呼んできましょうか?」
「! だ、だいじょうぶ!それより、運ぶの私も手伝っていい?」

心配そうに覗き込んでくる二人に慌てて言って、返事を聞く前に水の入った桶を二つ持ち上げて馬小屋の方へ向かう。

終わったら真っ先に会いに行って、立花先輩とどんな話をしたのか、作法室の様子はどうだったのかを聞こう。
それから…久々知くんにも私の話を聞いてほしい。頑張ってきたよって胸を張って報告したいから、今はこっちを頑張る。

「せ、せんぱーい!」
「待ってくださーい!苗字せんぱーい!」

虎若と一平に呼ばれて足を止める。
振り返ると桶の水をこぼさないように、でも急ごうとしているせいか、よろよろした足取りでこっちへ向かってくるのが見えた。

追いついてきた二人が「速いですね」とか「苗字先輩も力持ちです」とにこにこしながら言ってくれるから、それに癒されて肩から力を抜いた。

「竹谷先輩と苗字先輩はどちらが力持ちなんですか?」
「……虎若、私、そんなに力あるように見える?」
「竹谷先輩もすごいですよね!それに優しいし、かっこいいです」
「一平、ここに竹谷いないよ?」

「――どういう意味だよ」

汲んできた水と古いものを入れ替えながらのやりとりの途中、背後から低い声。
笑いを返せば、竹谷はジト目で私を見た。

「まあ……優しくてかっこいいって一平の評価もわかるよ」
「ほんとかよ」
「委員会中は特にそうかもね」
「…煽てても仕事は減らさねぇからな」
「え。減らしてくれる気あったの?」
「…………」

なぜか盛大な溜息と共に後ろ頭を掻いて視線を落とす竹谷。
それはともかく、日数でも仕事量でも、減らしてくれる気があるならそれを利用したい。
方法を考えだした私を邪魔するように、竹谷は一年生を労ってから「次行くぞ」と次の場所へ促した。

「――優しくてかっこいいなら…なんで俺の評価はいまいちなんだ?」
「なにいきなり」
「女が好きなタイプにその二つはよくありそうだろ?」
「うん、久々知くんとかね」
「お前の好みは聞いてねぇ!っていうか兵助はモテんのか?」
「…知らない」
「嘘付け」

間髪入れずつっこんでくる竹谷を思わず睨む。
あまり触れたくない話題なのに、私の事情は関係ないとばかりに肘でついてきた。

「竹谷の評価が微妙なのは、そういうところが原因じゃないの」
「あ!?」
「優しい“けど”それ以上にがさつだし乱暴だしデリカシーに欠けるし、かっこいい“けど”そのかっこいい姿を見られる相手がほとんど後輩に限定されてるから、それ知ってるくのたまは稀だと思う」
「ぐっ……も、もういいって!」

聞きたくないと両耳を手で押さえる竹谷の正面に回る。
竹谷の性格なら、私がはっきり口を動かせば読唇術を使って読み取るはず。
見たくないのに、つい見てしまうというやつ。

「――だからね、」
「ああああもうやめてくれ!俺が悪かったから!!」
「まだ何も言ってないのに」
「な…なんてやつだ…」

苦々しい顔で私を見てくる竹谷が「このくのたまめ」と悪態をつく。
私はそれににっこり笑って光栄です、と返した。

「おかげで俺の繊細な心が抉られたじゃねーか」
「…………」
「…………なんか言えよ」
「っ…、あははははっ」
「わ、笑うな!!」
「だって、自分で言ったくせに、照れてるから」
「どうせ“繊細”なんて俺には似合ってねぇよ!」

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