カラクリピエロ

【閑話】兵太夫の誤算



――“兵太夫、『楽しみに待ってて』だって”

苗字先輩から伝言だと伊助から教えてもらったのは昨日。
笑ってたけど笑ってなかったとか、よくわかんないけど怖かったとか、伊助が苗字先輩を思い出しながら腕をさすっていたのが印象的だった。

先輩をひっかけるためのカラクリ、まだ完成してないんだけどなぁ。

昨日は立花先輩から、“今度五年生(たしか久々知先輩)が作法室に遊びに来るから、その準備をしよう”って言われて、そっちにばっかり気をとられてたせいもある。

伊助から聞いた苗字先輩の様子からすると、今日中に『は組』まで来ちゃうかもしれない。
もちろん嫌だなんて思わないけど…ただ出迎えるだけなんて面白くないじゃないか。

「兵太夫、考え事?」
「…んー…苗字先輩をびっくりさせたいんだけど、なにかない?」

制服に腕を通しながら聞いたら、三治郎は袴の紐を締めていた手を止めて「うーん」と唸った。

「あ、虫使うとか」
「それは僕らも巻き込まれるからだめ」
「あー…」

苦笑いで三治郎が納得したように頷く。
三治郎は生物委員だから、飼育小屋でパニックを起こす苗字先輩を見たことがあるのかもしれない。

着替え終わって教室に向かいながら色々案を出してみる。
途中で加わった喜三太が「なめさんは?」って壷を見せてくれたけど、先輩ってなめくじ平気だっけ…?

「あ、ボク聞いたことあるよ、苗字先輩なめさん好きですか~?って」
「そしたら?」
「にこにこしながら『ありえない!』って言ってた」
「だめじゃん!」

驚かせたいけど嫌がらせしたいわけじゃないんだよね。
うんうん唸る僕の隣で、三治郎がにこにこ笑う。

なに?って首を傾げたら「兵太夫って苗字先輩のことすごい好きだよね」なんて言われて、思わず足を止めてしまった。なんでそうなるのさ。

「だって昨日からずーっと苗字先輩苗字先輩って言ってるよ。気づいてない?」
「それは、だって、伊助が、」
「ボクも苗字先輩好き~」
「“も”ってなんだよ喜三太!僕は別に…そりゃ嫌いじゃないよ委員会の先輩だしさ」

僕を置いて先を行く三治郎と喜三太を追いかけながら言えば、ますます楽しそうに笑われてしまった。

追いついたときには『は組』の教室についてて、一度にとんでくる朝の挨拶に埋もれた。
不満にくちびるを尖らせて、いつもどおり席に向かう。

「――ねえ、黒板消しが一つ足りないんだけど、誰か知らない?」

庄左ヱ門が言うのを聞いて教室の前の方を見たとき、急に左足が沈んだ。

「うわっ!?」
「ちょ、痛ー!!?」

身体が傾いて、そのまま三治郎にぶつかって転ぶ。
何か触った。
そう思った瞬間、頭に軽い衝撃があって視界は真っ白――チョークの粉で咳き込むはめになっていた。

「ゲホッ、ゲホゲホッ!う~、窓、窓開けて!」
「もう開いてるよ兵太夫」
「なに、これ、ゲホッ!目、痛!!」
「三治郎、無理してしゃべらないほうがいいぞ」

もうもうと立ちのぼる粉で周りが全然見えない。
声からすると、僕に答えたのが虎若で、若干笑い混じりなのが団蔵か。
みんながバタバタ扇いで粉を窓の外へ逃がす。その間に僕は畳に嵌った左足を救出した。

「見事にやられたなぁお前たち」

くっく、と楽しそうに笑いながら出席簿を片手に土井先生が入ってくる。
ほぼ同時に「土井先生」と呼びかけた僕らに、先生は丁寧に仕掛けの説明をしてくれた(すぐ忘れちゃったけど、これは先生には内緒だ)。

「兵太夫、これはお前宛てじゃないか?」

言いながら先生が黒板消しを拾って僕に見せた。
貼り付けられた紙には見慣れた字。

――“おしおき!”

苗字先輩だ、間違いなく。
三治郎は運が悪かったなぁ、と苦笑した土井先生が改めて粉まみれになっている僕を見る。

「…さすが『は組』の黒板消しだな」
「土井先生……」
「ああすまん。頭巾と上着は洗ったほうがいいだろうから、今から――」

「おはよー、兵太夫!」

先生が僕と三治郎を変わりばんこに見て言う途中、教室の戸が開いて明るい声が響き渡った。

「あれ、土井先生おはようございます。早いですね」
「おはよう。昨日の発言が気になってな」

にっこり笑った苗字先輩はなぜか先生にお礼を言って、視線を一度上へやってからゆっくり僕に移した。

「うーん、大成功……とは、言い切れないかな。ごめんね三治郎」

片手を頭の後ろに当てて、けろりと笑顔で言い放った苗字先輩に、僕と三治郎は揃って顔を引きつらせる。
文句を言おうとした途端、ずいっと手を向けられて反射的に口を閉じてしまった。

「頭巾と制服、貸してくれる?三治郎もね」
「なんですかいきなり」
「なにって…洗うんだよ。これから授業ですよね?」

言うなり手早く僕の頭巾を剥ぎ取りながら土井先生に問いかける先輩に、呆気にとられる僕ら。

「ほらほら、兵太夫」
「ちょ、引っ張らないでください!自分で脱ぎますから!!」
「はいありがとう。それじゃ、またあとでね」

いきなり来て自分のしたいことだけして、あっという間に去っていった苗字先輩。
まるで台風みたいだ。

ぽかんとしていたのは僕だけじゃなくて『は組』全員。
いつの間にか、手を振る先輩に応えるように上げていた自分の右手をそっと下ろす。

授業開始の鐘で我に返った先生が授業を進めようとしていたけど、みんなそれよりも苗字先輩が気になるらしい。
先輩が去っていった戸とか、苦無が刺さったままの天井とか、黒い内着姿の僕や三治郎をチラチラ落ち着かない様子で見ていた。

「びっくりさせるどころか、させられちゃったね」

三治郎が苦笑して言うのを聞いてついムッとしてしまう。

そうだよ。
本当なら僕が先に先輩を驚かせるはずだったのに、まさか教室に、しかもゆうべのうちに仕掛けるなんてさ。
しかも畳に穴開きっぱなしだし。座りづらい。

「……三治郎、怒ってないんだね」
「僕?別に怪我してないし…洗濯してもらえてちょっと嬉しいくらい」

そりゃ、そうだけど。
しいて言うなら、上着がないせいでいつもより涼しいくらいかな。

ぴらっと“おしおき!”って書かれた紙を取り出す。
伊助への伝言がこんな形で戻ってくるなんて…と考える僕の耳に、いきなり団蔵の声が飛び込んできた。

「団蔵うるさい」
「だって!『は組』でおれだけだって言うんだよ!」
「なにが?」
「さっきのくのたまの先輩知らないの、おれだけだって!」

やけに興奮している団蔵を虎若と伊助がまぁまぁと宥める。
…っていうか、団蔵以外は知ってるって、そっちのほうが驚きなんだけど。

「僕たちは苗字先輩の“体験ツアー”がきっかけだね」

庄左ヱ門がふんふん、と頷いて自分と伊助、金吾を順番に指しながら言う。
それに「そうだね」って返しながら笑う伊助と金吾。

「わたしは医務室でよくお会いするよ…あまり話したことはないけどね」

これは乱太郎。

「ボクたちは」
「立花先輩と遊んでもらうときに」
「「ね~」」

しんべヱと喜三太。
二人はパチンとお互いの手を合わせながらにこにこしていた。

指折り数えて残った顔ぶれを見渡してみる。
三治郎と虎若は生物委員だから、先輩のペット関係で関わりがあるんだろうなって思うけど。

「……きり丸も?」

聞くと、頭の後ろで手を組んでいたきり丸は親指と人差し指で円を作り、ニッと笑った。

苗字先輩ならオレのお得意様だぜ」
「え!?」
「先輩がネズミ飼ってるの知ってるか?」
「うん」
「あれ売ったのオレ。餌は虫ですって言ったせいか、しばらくの間世話も任されてたなぁ」

もちろん有料で。
そう付け足すきり丸は商魂たくましいと感心してしまう。
他にも買い物情報を共有したり、苗字先輩からアルバイトを紹介してもらったりと、なんだか僕が思ってるよりずっと仲がいいみたいだった。

「ほらあ!おれだけ!!」
「団蔵うるさい」
「兵太夫冷たいぞ!」

団蔵を適当にあしらっていたら、戸口の方からくすくす笑い声が聞こえた。

「楽しそうだね」

僕が呼びかけるよりも先に、団蔵が苗字先輩に駆け寄る。
軽く驚いたらしい先輩は目をぱちぱちさせて、団蔵と目線を合わせるためにしゃがんだ。

「私に用事?」
「は、はい!その、おれ、じゃなくて、ぼく、」

ふわっと優しく笑う先輩は嬉しくて仕方ないって顔で、対する団蔵はそれに真っ赤になっている。
団蔵の名前を聞いた苗字先輩はいきなり手を打ち鳴らし、懐からだした紙束を団蔵に見せていた。
身振り手振りで慌てているらしい団蔵に笑う先輩。二人を囲む『は組』の皆。

一緒になって団蔵らしくないねってからかうことも考えた。
でも、それよりも、なんだかムカムカする。
作法室じゃなくても――僕や伝七以外にもそういう顔するんだって…知ってたけど…

「兵太夫?」
「…なんですか」
「なに怒ってるの」
「別に…怒ってません」
「うそ、眉間に皺寄ってる」
「いって!?」

ピシっと指で額を弾かれてうずくまる。
私がお説教に来たのに、となにか言い始めたけど、聞くどころじゃないです。

「兵太夫聞いてる?」
「……とりあえず…苗字先輩は立花先輩そっくりだと思います」
「!? じょ、冗談やめてよ、どこが立花先輩に似てるの!?」
「まず笑顔でプレッシャーかけてくるところと、デコピンするところ、それに自分のしたいことはしっかりしていくところと――」

苗字先輩はふっと無表情になって(正直ちょっと怖い)、じりじり距離をつめてきた。
自然と後ずさる僕の肩をがしっと掴み、口元だけで笑う(だから怖い)。

「兵太夫、先輩と違うところあげてくれる?」
「た、例えば…?」
「あるでしょ、なにか、一つくらい!」
(必死だ…!)

ガクガク揺すられてちょっと酔いそうになりつつ、なんとかわかりましたと返事をした。

「先輩は…おもしろいです」
「違う!そういうのは…なんか違う!」
「わがままですね」
「その言い方!兵太夫は喜八郎に似てきちゃってるんじゃないの!?」

そうですか?って返しながら、ちらっと『は組』のみんなを見た。
びっくりしてる顔がたくさん並んでる。
それが、なんだか嬉しかった。

苗字先輩」
「ん?何か思いついた?」
「そのままでいてくださいね」
「…?」

きょとんとする先輩に笑う。
雑っていうか、遠慮してないっていうか、家族…みたいな、そんな距離。
ずっと、作法委員だけの特権ならいいのに。

「今度新作持っていきますから」
「へ、兵太夫、私で実験するのやめなさいって言ってるでしょ!」
「言われましたっけ」
「言いました」

しまった。ちょっと遊びすぎた。
にっこり笑った苗字先輩は優しそうに見えるけど、こんなの見た目だけだ。

「忘れたならじっくり思い出させてあげる」
「っ、ど、どいてみんな!ごめん通して!!」

慌てて教室から逃げ出そうとしたものの、みんなが固まったままだったから、上手く通り抜けられない。
焦って苗字先輩を振り返った瞬間、袴の腰紐に鉤爪がひっかかったのが見えた。

「いっ」

しりもちをつく僕。
「わあ」って感心したみんなの声と、楽しそうな先輩の笑い声。
苗字先輩はすっごく嫌そうな顔してたけど――

「やっぱり立花先輩に似てるよ…」
「聞こえてるよ兵太夫」

誰かが「兵太夫はやっぱり一言多い」って言うのを聞きながら、ずるずる引かれる力に任せる。

全然遠慮されないのも時と場合によるなぁ、なんて思いながら、助けを求めるために『は組』のみんなを見渡した。





「……ふぅ……やっと解放してもらえた…」
「…………、…………?」
「え?あ、ごめん三治郎。耳栓してた。もう一回お願い」
「昨日のからくりだけど、完成したらどこに設置するの?」
「うーん……長屋の廊下にしようと思ってたんだけど、作法室かなぁ」
「長屋って兵太夫……絶対作法室のほうがいいよ!」
「やっぱり?」

「物が沢山ある場合、どうしたらいいですか伊助くん」
「せ、先輩、そんな聞き方されると、逆に緊張します…」
「そう?伊助はどーんと構えてくれていいのに」

「団蔵と虎若も聞いておいた方がいいんじゃない?」
「甘いな庄左ヱ門、おれたち聞いてもすぐ忘れるぜ!な!」
「まあね!」

「まず…いる物と、いらない物に分けて――」
「うんうん」

「二人の部屋はいらない物たくさんありそうだね」
「……たまには片付けるか」
「…うん」
庄左ヱ門は思ったことを口にしただけだけど、それを深読みしちゃう団蔵と虎若。




-閑話・了-

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