火薬委員会(18)
あの雲の形は猫に似てる。あっちは鳥、あれはヘビ…ジュンコっぽい……
「――暇だよ久々知くん……」
ぼんやり空を見上げていた私は、屋根の上で膝を抱えて一人ごちた。
助手という名目で久々知くんにくっついてここまで来た後、点検の仕方について説明を受けて実際手伝ったまでは良かった。
特に破損もなく、屋根に問題はない。
『俺は屋根裏を見てくるから、名前はここで待機な』
久々知くんはあっさりと言い置いて、私が止める間もなく鉄で出来た窓からひょいと中に入ってしまった。
強引についていくことも考えたけれど、どうしたって背中の怪我でもたつくだろうし、足手まといにしかならなそうだ。
だから言われた通りおとなしく待機しているわけだけど、いかんせん暇で仕方ない。
空は雨の気配が全く感じられない、憎らしいほどのいい天気。
仰向けに寝転んで、ついでに転た寝なんてしたら気持ちいいかもしれない。
実行したら打ち身部分に直接衝撃がいくからやらないけど。
ふと眼下を見ると資材と工具を抱えた火薬委員が戻ってくるのが見えた。
三人だけの姿からすると、用具委員の協力は得られなかったのかもしれない。
「あ、名前ちゃんだ。兵助くんはー?」
こっちに気づいた斉藤さんが大きく手を振りながら聞いてくる。
答えようと身を乗り出したところで、それを止めるように肩を押さえられてびくりと震えてしまった。
「び、びっくりした…」
「俺も名前が落ちそうに見えてびっくりした」
「そんなに危なっかしい?」
「うん。タカ丸さん、そっちに運んでください」
「はーい」
うん、て。
またもやさらりと即答されて微妙に凹む私の肩に手を置いたまま、久々知くんが指示を出す。
心配してくれてるんだろうし、それは嬉しい。
「でも、さすがにうっかり落ちるほど間抜けじゃないんだけどな…」
「――念の為だよ」
独り言に応えがあったことに驚いて思わず久々知くんを見ると、ごめんって言いそうな顔で微笑まれた。
「降りるか」
「う、うん…」
久々知くんが過剰なくらい心配してくれるのは、私が医務室の常連だったり最近怪我が多い云々言ってたことと関係あるんだろうか。
(――って、私の…ばか…!)
「場所が場所だからな。気をつけて乗……どうしたんだ」
「な、なんでも!なんでもない!!」
ただちょっと、抱き締められたこととか耳元で聞こえた声とか吐息とか…その辺の諸々を思い出してしまっただけで。
「うう……」
「っ、名前!危ないからあんまりそっちに行くな」
鮮明さが増した記憶に益々顔が、耳が熱くなる。
慌てて首を振りながら頭を抱える私の腕を久々知くんが掴んだ。
「はずかしい…」
「まだなにもしてないぞ」
「久々知くん、私、変でごめんね」
「……? 何が変なんだ?」
恥ずかしすぎてなんだか泣きそうになったものの、久々知くんのもっともな疑問を受けて見返す。
不思議そうに首を傾げた久々知くんに、今こんなこと考えたんです、なんて言えるわけもなく――こっちの話、と強引に話を打ち切った。
納得いかない顔をしている久々知くんを「早く降りよう」と急かし、すぐにそれを後悔した。
「…やっぱり、おんぶ…だよね…」
「嫌なのか?」
「ううん、私の都合」
躊躇いながら、しゃがんで待機する久々知くんの背中に乗る。
――案の定、強引に振り払った記憶が戻ってきてしまった。
無性に何かにすがりたい。
気づけば私は久々知くんに思い切りしがみついて、しかも装束を力いっぱい握っていた。
「!? 名前、離すなって!」
「わ、わ!?……ご、ごめん……」
「……肝が冷えた。大丈夫か?」
梯子の途中で止まって私を気遣ってくれる久々知くんに大丈夫と返す。
深呼吸しながらさっきよりも控えめに肩に掴まらせてもらうと、久々知くんが振り返る気配を見せた。
「あ、痛い?」
「いや、全然痛くないよ。でもさっきの方がよかった」
「え!?」
「危ないしさ」
言われてみればその通り。その通りなんだけど、羞恥が先に立ってしまうのも仕方のないことで――
「名前、さっき頑張るって言ってたよな」
「……それ、ここで言う……?」
なんとなく行動を誘導されている気がする。
そう考えてしまうのは、普段から立花先輩相手に口頭での攻防を繰り返しているからだろうか。
思いながらも、頑張ると言ったのは事実だし実際頑張るつもりはある。
私は数回深呼吸を繰り返して、そうっと久々知くんの首に腕を回した。
内心混乱状態だったものの、なんとか下まで運搬してもらって(久々知くんが笑いながら労ってくれた)、棚の修理と在庫確認に仕事を分担することになった。
「――名前は嫌だって思ったりしないのか?」
私は当然のように在庫確認に回されたわけだけど、ポツリと溢された久々知くんの言葉を浸透させるために数回瞬きをした。
「なにが?」
「やり方を覚えても今日しか使わないだろうし…」
「無駄な知識じゃないかってこと?」
真面目な顔で頷く久々知くんに思わず笑うと、彼は「俺は真剣にだな…」と溢した。
「うん、でも無駄ってことはないと思うよ。少なくとも今日は使えるんだし…手伝いたいから。そうだ、何かあったときに助っ人として呼んでくれたら報酬次第で手伝うよ」
そうすれば活用する機会があることになるでしょう、と手を合わせながら言えば、久々知くんは何故か苦笑した。
「優しいよな、名前は」
「……報酬貰うって言ってるのに?」
「うん。そういうところ好きだ」
「す!?」
照れ笑いと共にさらりと言われて久々知くんを凝視すると同時に、ガシャンと派手な音が蔵の中に響いた。
「さ、三郎次くん大丈夫!?伊助くんも!足の上に落としたりとか…」
おろおろした斉藤さんの声で慌てて振り返る。
見れば彼らの足元に散らばる工具一式と、それらを持っていたであろう姿勢で固まっている二人。
「ぼ…、ぼ、僕らも!いるんですからね!?」
「…わ、悪い、俺も無意識で…」
赤い顔で肩を怒らせて言う三郎次に、これまた赤い顔の久々知くんが片手で顔を覆いながら謝っている。
それを横目に伊助を確認して、怪我はしてないみたい、と考える私は確実に逃避していた。
「らぶらぶっていいよねぇ」
「タカ丸さんて大人ですね…」
散らばった工具を回収して応急処置に取り掛かる三人と、改めてメモを手に「お願いします」と目の前の“先生”に頭を下げる私。
まさか久々知先輩が…となにやら衝撃を受けているらしい“先生”こと三郎次は、ふるふる頭を振ってから私を見上げた。
「いいですか苗字先輩。まずやり方を教えます、その後で実際にやりましょう」
気分を切り替えたらしい三郎次は、予想していたよりもずっと丁寧に(語調は少し強めだったけど)教えてくれた。
淡々と繰り返す作業とはいえ、私にとっては新鮮なもので結構楽しい。
終わったときはやけにあっさり感じて、少し物足りなかった。
「…苗字先輩…ものすごく速いですね…」
「…………そうなの?」
「はい、意外でした。その特技を活かして火薬委員に――うわっ!?」
「どうしたの三郎次、大サービス!?」
「ちょ…離してください!!」
三郎次が褒めてくれるなんて、と感極まって彼の両手を掴むと三郎次はカァッと顔を赤くして自分の手を取り戻そうと力を込めた。
ものすごく身に覚えのある反応。第三者視点で見るのはなんとも不思議な感覚だ。
「大体、僕は褒めたつもりはありません!」
「そうかなぁ…あ、でもごめんね。嬉しいけど、私作法委員会に入ってるから、火薬委員にはなれないんだ」
勝手に緩む頬で答えながら三郎次の手をゆっくり離す。
あまりにもぐいぐい引っ張るものだから、急に離したら転んでたかもしれないなと思った。
「名前、終わったのか?」
「うん、三郎次が褒めてくれた。そっちも終わり?」
「だから褒めてません!」
すかさず割り込んでくる三郎次を無視して聞くと、とりあえずは、と簡潔な答え。
話しながら近寄ると、金槌を持った手で頬を掻いていた久々知くんは僅かに視線を泳がせたあと、私の頭をそっとなでた。
「え…?」
「ありがとう。名前のおかげで助かった」
「ほ、ほんと!?」
「ああ。少し早いけど今日はこれで終わりだな」
ふわっと優しく微笑まれて胸があったかくなる。
久々知くんの言葉を聞いて、私の火薬委員会での活動も終わりだなと思った。
「色々あったけど、楽しかったー」
「……本当、色々あったな……」
しみじみと言う久々知くんの真剣な視線に勝手に心拍数が上がっていく。
――そうやってじっと見るの、癖なんだろうか。
ぎこちなく頷くと、今度は伸びてきた手に髪を攫われた。
髪の先まで神経が通ってるんじゃないかと、そんな錯覚に陥る。心臓が痛い。
「兵助く~ん、約束覚えてる?」
ぬっと急に現れた斉藤さんに、ビクッと肩が跳ねてしまった。
「約束?」
「ほら、昨日片付け頼まれた代わりにって」
「ああ…あれですか…」
言いながら、私の髪からするりと久々知くんの手が離れていく。
(…し、心臓に、悪い…!)
久々知くんは無意識なんだろうか。
無意識でも確信的であっても、私にとってはタチが悪いなと思いながら、しゃがみ込んで溜息を吐き出した。
委員会体験ツアー!の段 -火薬-
3859文字 / 2011.02.22up
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