カラクリピエロ

火薬委員会(15)



善法寺先輩が一人片付けに勤しんでいるのはいいとして、久々知くんはどうしたんだろう。
じっとしたまま動かない背中にそっと近づく。
別に驚かせようという気はなかったのに、なんとなく足音を忍ばせてしまった。

「…久々知くん?」

呼びかけの声は自分で思っていたよりずっと小さくて、これじゃ聞こえないだろうなと思った。
改めて横に座って声をかけると久々知くんはびくりと反応して、何度も瞬きを繰り返した。

(寝てた…わけないよね)

勘右衛門からの伝言を伝えてもどこかぼんやりしている久々知くんを見て、つい善法寺先輩に文句を言ってしまった。
おかげで久々知くんと話してた内容もわかったけど、自分が医務室の常連だなんてドジとかおっちょこちょいとか注意力緩慢とか、そういう残念なアピールにしかならない。

(…呆れられたら善法寺先輩を恨んでやる)

念を込めて善法寺先輩の背中に視線を送っていたら、ふいに久々知くんに手を握られた。
驚いたけど久々知くんの手は温かくて、荒んだ心があっという間に癒されてしまった。我ながら現金だと思う。

「いちゃつくなら出てってね」

何か言いたそうだったから先を促すつもりで首を傾げたのに、善法寺先輩が笑顔でそんなことを言うから意識しちゃって口がうまく動かない。
からかう先輩を怒ろうと思ったら、久々知くんがあっさり頷くものだから益々動揺してしまった。

(わかりましたって…!わかりましたってどういうこと!?)
名前、荷物は?」
「な、ないです、この身一つです」
「なら行こう」

手を引かれて戸口に向かいながら内心は混乱しっぱなしだ。
考えがまとまらなくて湯気でも出そうな頭を振る。
とりあえず手当てのお礼を言わないと、とそれだけを思い出して善法寺先輩に向き直って頭を下げた。

「あの、ありがとうございました」
「はいはい、お大事に」

優しげに笑う善法寺先輩に見送られて医務室を後にする。
手は相変わらず久々知くんにとられたまま。何度も経験してるはずなのに全然慣れない。熱が篭って汗ばんだらどうしよう。

「久々知くん、どこ、行くの?」

気を紛らわせたくて聞いたら、久々知くんはきょとんとした顔で私を見た後柔らかく目元を緩めた。

「…昨日もこんな感じで同じこと聞かれたな」
「あ、」
「もう少し先まで」

久々知くんが笑いを含んだ声で、昨日と同じように答えるから…あっという間に夕暮れの校舎と甘酒の匂いを思い出して余計に体温が上がった。
一晩かけてようやく落ち着けたのに。わざとなのかはわからないけど、ほんの少し久々知くんを恨みたい。私だけ動揺しているのも悔しい。

名前は最近怪我が多いって…」

ポツリと聞こえた声に顔を上げる。
歩調は緩んだけれど、足は止めないままだったから相変わらず久々知くんは前を歩いていた。
かすかに揺れる黒髪を視界に入れながら、やっぱり呆れたのかなと思う。

「……嫌いになった?」
「は?え、なんで?」
「かっこ悪すぎて幻滅とか…」
「……名前には俺がそういうやつに見えるのか」

その言葉にハッとした。
見えない、と反射的に答えるとふわふわの黒髪がひときわ大きく揺れて、久々知くんが身体を反転させる。

「…見えないよ」

もう一度、今度ははっきり口にした。
久々知くんは、かっこいいとか悪いとか、そんなことで相手を判断する人じゃない。
少しでもいいところを見せたいと思ってるのは変わらないけど、それは私の見栄だ。
はにかむように微笑む久々知くんが「よかった」と呟く。

「むしろ昨日より名前のこと好きだしね」
「っ!?」
「だから…俺と関わったことで名前の怪我が増えてるんじゃないかと思ったけど、絶対離れてやらない」
「……え、と……?」
「ごめんな」

耳に届いたのは確かに謝罪の言葉なのに、久々知くんがなんだか吹っ切れたように笑うから聞き間違えたのかと思った。
それに、話がよくわからない。私の怪我はどう考えても私自身が原因で、逆に色々手間をかけさせてるのに。久々知くんの思考は中々難しい。

見つめるだけで相手の気持ちがわかったら便利なのに。
そう思いながら久々知くんを見ていたら、腕を強く引かれて彼の胸元につっこんでしまった。
鼻がちょっと痛い――

「じゃなくて!」
「ん?」
「いやあの、」
「善法寺先輩から許可もらってるから」
(久々知くん、意味がわかりません…!)

肩を抱くように回された腕と体温とで何を考えようとしても全然まとまらない。
“どうしよう”ばかりがぐるぐると脳内を駆け巡って目を回しそうだ。

視線を上げれば久々知くんの鎖骨が目に入って、なんだかもう今すぐ倒れてもおかしくない気がする。
せめて見ないようにと目を瞑る。勢いがつきすぎたのか俯く動作も相まって頭を久々知くんに押し付けてしまった。

名前

囁きで勝手に身体が跳ねる。

――耳元で囁きとか本当に勘弁してください…!

それを伝えたかったのに、私は思い切り奇声を上げて久々知くんの装束を握りしめてしまった。
パッと離れた久々知くんが驚いた顔でパチパチと二回瞬きをする間に、片耳を押さえる。
食まれた。耳を。

「い、いま、久々知くん、」

中々言葉を紡げない私を見て、久々知くんは「あ」と声を上げた。
ゆっくり口を押さえたかと思えば一気に顔を赤く染める。

「う…わ、俺…、ごめん!」
「う、うん、びっくり、した」

かろうじてそれだけ返せた。耳が熱い。
頭巾はどうしたんだっけ。起きたときにはもうなかったような覚えがある。
お昼の時間だし、食堂に。それより先にシナ先生のところへ行かないと。

脈絡のない思考回路でギクシャクと久々知くんを見返す。
口元に手をやったまま俯く久々知くんは相変わらず真っ赤だ。私も人のことは言えないだろうけど。

「私、シナ先生のとこ、行ってくるね」
「ああ、うん。俺も、木下先生に呼ばれてるんだった」

じゃあ途中まで一緒に、と言いながら歩き出した私たちの間は少し大き目の隙間があるけれど、距離を詰めるのはもうちょっと落ち着いてからにしたい。

ドキドキなんて可愛らしい音からは程遠い心音(ドッドッドッって感じの)を宥めるために装束を握りしめながら、私は無意識に耳を触っていたらしい。
それを見て久々知くんは「忍耐力ってどうやってつけるんだ」と呟いたようだけど、自分のことでいっぱいいっぱいだった私の耳には入らなかった。

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