カラクリピエロ

火薬委員会(8)



ただ呆然と久々知くんを見ていた私は、掴まれていた手を引かれてようやく瞬きをした。
固まっていた分を取り戻すように勝手に繰り返される動作をよそに、視界が翳って久々知くんの顔が見えなくなり、頬に布が当たった。

温かいと思うと同時に頭が動き出して混乱する。
背中に回されているのは久々知くんの腕で、髪に触れているのは久々知くんの手で――心音が、うるさい。

何か言いたいのに全然言葉が出てこない。いつもなら、混乱しながらもすぐに口をついて出るセリフすら。

「……嫌か?」
「っ、」

耳元で囁かれた声にぞくっとした。なんだろうこれ。
ともかく私は声が出せなくて、浮いて自由になっていた手で久々知くんの装束を握った。
久々知くんがびくりと震える。つられて驚いた私は手を離したけれど、久々知くんが余計に私を強く抱き締めたせいで今度は私がビクッとしてしまった。

「…やばい、俺…………名前のこと、離せない」
「え!?」

それは困る。
非常に困る。
さっきから心臓は忙しなく働いてるのに、これ以上働かせたら止まってしまいそうだ。
一度は治まったはずが、ドキドキしすぎて若干呼吸も苦しい。

(というか耳元でしゃべるのも勘弁して欲しいです切実に!)

近くて恥ずかしくて離れたいと思いながら、久々知くんの傍にいたい矛盾に頭がパンクする。

「…………髪、降ろしてるの珍しいな」

言いながら緩やかに髪をなでる久々知くんにまた硬直しそうになる。
言い方といい、撫で方といい、まるでものすごく大切なものにするみたいに優しい。
かろうじて頷きを返した私はそわそわしながら、結局この状態に耐えられなくて口を開いた。

「あ、あの!」
「ん?」
「は…はずかしい、ので……そろそろ、離して、ください」
「…………うん」

(…………。……あれ?)

久々知くんは今“うん”って言ってくれたはずなのに。
全然、離してくれる気配がない。

今の私は顔は熱いし心臓痛いし、気を抜いたら倒れてもおかしくないと思う。
それくらい色々と限界だ。

「……久々知くん?」
「………………明日、迎えに行く」

ポソリと小さく呟いて(だから耳元はやめてほしい)、距離をあけた久々知くんはそのまま私の手を取った。
戸惑う私にこれまた短く「送る」と言って、くのたま長屋の方向へ足を向ける。

「む、迎えにって、どこに?」
「くの一教室まで」
「え……えええええええ!?いや、ちょっと待って!教室!?」
「行ったら迷惑か?」
「それは無いけど…っていうか嬉しい、けど、でも危ないから駄目!」

あまりの内容にさっきまでのドキドキの余韻が吹っ飛んだ。
久々知くんは少し驚いた顔で私を見て、柔らかく目を細めた。
諦めてないということだろうか。

「ぜ、絶対駄目だよ!?」
「わかったよ。じゃあ敷地の入り口まで、それならいいか?」
「……うん。それなら」

頷く私の視界に今度はどこか楽しそうな久々知くんが映る。

「具体的に何が危ないんだ?」
「何って…そりゃ、くのたまに見つかって集中砲火を浴びるとか…」
「悪戯回避できる自信はそれなりにあるんだけどな」

言われてみれば確かに。
久々知くんは教科はもちろん実技だって成績優秀。当然、知ってる。
くの一教室含む敷地内に張り巡らされた、侵入者用対策だって潜り抜けられるかもしれないと思う。

ちら、と久々知くんを見る。目が合ってふんわり優しく笑う久々知くんに頬が熱くなった。この表情がすごく好き。

「…………やっぱり、来ちゃだめ」
「…でもタカ丸さんはよくそっちに行ってるんだろ?」
「それは、斉藤さんは髪結いさんだからで、その……だ、だから、久々知くんを見せたくないの!見せたいけど、駄目、まだ!」

親しい友人や先輩は年上好きばかりだから失念していたけど、久々知くんは中身はもちろん外見だってかっこいい。毎日見ている私だって飽きずに見惚れるくらいなんだから(飽きるとは到底思えないけど)他の子が好きにならないわけがない。
隣に居るのが当たり前って思えるような…そんな自信がつくまで、久々知くんにはあまり他のくのたまに近づいて欲しくない。

「……ごめんね」
「ん?何が、っていうかなんで急に落ち込んでるんだ!?」
「見せたくないって、ただの我侭だなって思って」
「…………嬉しいから、気にしなくていいよ。それに…その、予想外に効いた」

後半の意味はよくわからなかったけど、嬉しいの言葉通りにっこり笑う久々知くんに見惚れてすぐに忘れてしまった。

くの一教室側の敷地の入り口で久々知くんを見送る。
送ってもらったお礼を言いながら手を振ると、また明日のあと「おやすみ」と言われて、いつもと違う挨拶に妙にドキドキした。

結局、その日はいくら頑張っても眠れなかった。

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