カラクリピエロ

火薬委員会(6)



ゴゴン…、と重い音を立てて鉄の扉が閉まる。
久々知くんは空を見上げて、今日は大丈夫そうだなと呟いた。

「雨漏りでもして火薬が湿気ったら目も当てられないだろ?屋根と屋根裏の点検は明日でよさそうだ」

何度も出る私の「なぜ」「どうして」に嫌な顔一つせず丁寧に教えてくれる久々知くん。脈絡もなく、久々知先生っていいなぁなんて考えた。

私と同じようにうんうん頷いて久々知くんの話を聞いていた斉藤さんは、笑顔で自前のメモ帳に何か書き付けている。
それを横目で見た久々知くんは額を抑えて溜息をついた。

「…タカ丸さん」
「大丈夫、まっかせといて!」
「おい、まだ何も――」
「すぐ用意するからー」

久々知くんの返事を待たず、通りすがりに伊助と三郎次を連れて遠ざかって行く斉藤さん。
うっかり見守ってしまったけれど、今のは確実にすれ違いが発生していた。

「私、伝えに行ってこようか?」
「いや、大丈夫。いつものことだ。どうせ食堂まで行って帰って来るだろうから、火の用意でもしてよう」

疲れた声で言った久々知くんは焔硝蔵から離れたところに移動した。
そこでようやく斉藤さんが甘酒云々言っていたのを思い出す。

(斉藤さんにとっては待ちに待った時間ってことかな?)
「…名前
「?」

何か手伝おうと思った矢先に声をかけられて久々知くんを見る。
久々知くんはさっさと石や枝を使って竈を組み上げてしまい、結局手を出す暇もなかった。

「……あのな、…その…」

久々知くんがこうして言いづらそうにするときは、自分の失言が原因であることが多い。
内心焦って記憶を振り返ったけど特に思いつかなくて、答えを求めるように視線を返した。

「っ、そ、掃除!」
「掃除!?な、何か失敗したかな……今回はドジ踏まなかったと思うんだけど……」
「ち、違うんだ、そうじゃなくて…だから、助かったって言いたかったんだ」

照れくさそうに視線を泳がせながらそれだけ言うと、久々知くんは「あいつら遅いな」と溢して落ちつかなげに行ったり来たりしている。

私はそんな久々知くんを見ながら貰った言葉を何度も反芻して、こっそり拳を握った。
助かったということは、役に立てたってことだ。
笑顔とはちょっと違っていたけど、照れ顔だってもちろん嬉しいに決まってる。それを見ると笑顔以上に胸がキュンとする。

――いつもはもっとサラリと言われていた気がするけれど。
委員会のときは勝手が違うのかなと思いなおした。

「久々知先輩、これ飲んだら解散ですか?」
「ああ。時間も時間だしな……」
「今日はすっごく働いたよねぇ…」
「タカ丸さんは普段からもっと働くべきです」
「ちょ、三郎次くんひどい!」

パチ、と火が爆ぜる音がする。
漂う甘酒の香りになんとも言いがたい感覚を覚えた。夕方に差し掛かる時間だからか、それとも自分にはあまり馴染みがない匂いだからだろうか。

苗字先輩どうぞ」
「ありがと伊助。隣座っていい?」
「はい」

差し出された湯のみ(食堂の)を受け取って、そのまま座る。
伊助は目の前で舌戦を繰り広げている三郎次と斉藤さんには興味が無いようで、甘酒を手ににこにこしていた。とても可愛い。

名前は伊助がお気に入りか」
「三郎次だってそうだけど、残念ながら近づいてきてくれないから…」

私の隣に座る久々知くんにそう返してから、意外と近い距離に少し驚く。
思わず湯のみを両手で包むように握って、心の中で“落ち着いて”と念仏のように唱えてしまった。
湯のみがあったかい。身体もあったかい。甘酒ってこんなに美味しいものだったかなと不思議になる。

「――伊助見てると兵太夫と伝七に会いたくなるなー…」
「委員会中の兵太夫ってどんなですか?」
「カラクリ三昧。委員会だって言ってるのに伝七巻き込んで勝手に設計図書くわ室内に罠設置するわで結構自由だよ。でも褒めるとすごく可愛く笑ってくれてね、なのに素直じゃないの。照れながら当然です、って言うの。可愛い。撫でられるのはちょっと嫌いなのかな、やめてくださいって怒るね。言われても可愛いからついやっちゃうんだけどさ」
「せ、先輩その辺で!ありがとうございます!」
「…そう?」

もうちょっと話したかったなと思ったけど、伊助が「兵太夫にも苗字先輩のこと聞いてみますね」と言うから反射的に口をつぐんだ。
兵太夫は私のことどう話してくれるんだろう、気になる。

考えながら湯のみを傾けたら、久々知くんに見られているのに気づいて咽てしまった。
慌てた久々知くんが軽く背中をたたいてくれる。苦しくて生理的に涙が浮いた。恥ずかしい。

「ご、ごめ……ど、したの?」
「…………え?」

どうしよう。
やっぱり久々知くんいつもと様子が違うみたいなんだけど。

久々知くんは僅かに間をあけて何度か目を瞬かせると、片手で自分の顔を覆ってしまった。

「…ごめん」

そんな風に謝られる理由が全然わからない。
少しぼーっとしていたのも気になるし、具合が悪いなら甘酒飲んでる場合じゃない。多少強引でも医務室に連行していきたい。
私は喉(と心の準備)を整えて、様子を伺う為に少し近づいた。

「久々知くん、」
「ちょっと待ってて」
「は、はい」

突然立ち上がり私から少し離れた久々知くんは持っていた甘酒を一気に飲み干し、そのまま湯のみを斉藤さんに押し付けるように渡した。

「タカ丸さん、すみません。片付けお願いしてもいいですか」
「いいよ~、でも後で聞いてもいい?」
「…………答えるかどうかは俺が決めます」
「……仕方ないかぁ、それでいいよ」
「お願いします。名前、こっち」
「え?はい、あの、え!?」

久々知くんの語調が強くて驚いたのもあって、言われるままに待っていた私は腕をつかまれて引っ張られる。
いつになく強引な久々知くんに戸惑いが隠せない。

「中途半端になるけど今日の活動はこれで終わりだ。みんなお疲れさま」
「「「お疲れ様でしたー」」」

振り返って言う久々知くんにあいさつを返すのは、笑顔でヒラヒラ手を振る斉藤さんと驚いた表情の二名――返事は反射みたいなものだろうか――まだ現状が把握しきれてない私も、きっと伊助や三郎次と同じ顔をしていたに違いない。

焔硝蔵が遠ざかっていく。
腕を引かれながら土井先生への報告か、急用か、事件か…色々考えてみたけれど、どれもしっくり来なかった。

「ど、どこ行くの?」
「…うん、もう少し先まで」

忍たまの長屋よりも忍たまの教室に近い気がする。
彼らの校舎は、くの一教室のそれよりもずっと大きい。
でも私は五年の教室までの道のり以外興味がなかったせいか、今いる場所がどこなのかよくわからない。

いつもなら騒がしいのに委員会活動のためか、それとも夕飯が近いからか。人気の無い建物の雰囲気は私を少し落ち着かない気分にさせた。
久々知くんについていくことに問題はないけれど、私は“ゆ”のつく半透明なアレが苦手だ。

ふいに不安になってもう一度問いかけようとしたら、ぴたりと久々知くんの足が止まった。
湯のみが揺れたせいで甘酒が零れそう、と認識したことで、それを持ったままだったことを思い出した。

名前
「え、あ、はいっ」

甘酒に気をとられていた私は、普段より硬い声で名前を呼ばれて反射的に背筋を伸ばした。
私の腕を離して向き合う久々知くんは、何度も口を開いては閉じるのを繰り返す。
なんとなく息苦しくて、大事な話なんだろうって空気が伝わってくる。

こんなに緊張したのはいつ以来だろう。
ドクドク鳴る心臓の辺りを空いていた手で押さえながら、湯のみを地面に叩き付けたい衝動に駆られた。

ぐっと顔をあげた久々知くんに見つめられて、思わず息を止め――

「好きだ」

パシャ、と足元で音がした。
あ。割れたかもしれない。
確かめようと思うのに、動けない。

一歩、久々知くんが近づいてくる。
動けない。

「…………名前、俺は、」
「っ、」

苦しい。泣きたい。どうして――

久々知くんに触れられる寸前、私はその場から逃げ出した。
直前まで動けなかった身体とは違うんじゃないかってくらい、全力で。

名前!」

久々知くんが呼んでる。

――なんで私は逃げてるんだろう?

自問した瞬間、前から来た誰かにぶつかった。

「ご、ごめんなさ……、っ!?」

「――逃げないで」

どうして久々知くんがそっちからくるの。
問う前に両手を握られてしまい、私はおろおろしながら久々知くんの顔と握られた手と逃げたい方向を順番に見た。

名前…」
「だ…だ、だ、って、そんな、の、ずるい!いきなり…私、」

私は何を言いたいんだろう。呼吸がうまくできない。苦しい。
混乱してわけのわからない文句を言う私の手を久々知くんが強く握る。
反射的に身体がびくりと震えた。

――熱い。

握られている手からじわじわと全体に広がっていく。心臓がうるさい。久々知くんに伝わるんじゃないかと思う。そんなわけないのに。

「俺は――名前が好きだ」

ゆっくりと、言い聞かせるように言葉を紡ぐ久々知くんから目が逸らせない。
嬉しいはずなのに、こうして触れられているのに、どこか現実感がない。都合のいい夢でも見てるんじゃないかって思ってしまう。
本当に涙がでそうになって、慌てて首を振った。

「…………信じてない?」
「ち、ちが…わかんない…だって、」

思いつくままを口にする私は駄々を捏ねる子どもみたいだ。
久々知くんは何も言わずに私の右手を少し持ち上げて、自分の胸元に当てた。
ドクドクと伝わってくる振動は、とても、速い。

「…俺も気づいたのはさっきだから、信じられないって言われても仕方ないと思う。急すぎるのもわかってる。でも、黙っていられなかったんだ……今更って思うか?」

真剣な眼差しに思い切り首を振る。
思うわけない。それだけはない。でもやっぱりまだ信じるのが怖くて、久々知くんの胸元に当てられたままの手で彼の装束を握った。
それに合わせて久々知くんが私の手を柔らかく覆う。優しくて、温かくて…追いやったはずの涙がこぼれてしまった。

「あ、あとで、やっぱり嘘って言っても信じないから!」
「…うん、言わないけどな」

ふっと表情が柔らいだ久々知くんは、嬉しそうに笑いながらほんのり頬を染めた。
それに見惚れたのと思いがけない返しにまたドキッとさせられて、嬉しい反面なんだか悔しい。

「そっ、それと!私の方が、ずっとずーっと久々知くんのこと好きなんだからね!」
「…………」

目元をゴシゴシ擦りながらを勢い込んで言うと、久々知くんは何度も目をまたたかせて、いきなりその場にしゃがみ込んだ。
手を掴まれたままだったから、引かれるに任せて私まで一緒にしゃがむ。

「ど、どうしたの!?」
「……いや、まだ……頑張れ俺……」
「久々知くん…?」
名前、今だけだから」
「え、な、なにが」
「……とはいっても、まず自分のことだよな……」

私の問いには答えてくれず、久々知くんは大きな溜息をついた。
先に立ち上がった久々知くんが私の手を引いてくれる。
そういえば湯のみを拾いにいかないと。割れていたら食堂のおばちゃんに潔く謝ろう。
それから土井先生のところへも顔を出す必要があるし、立花先輩のところは……明日でいいかな。

というか。
手を繋ぎっぱなしなのですが。

「あ、あの、久々知くん、」
「――ああ、湯のみなら拾っておいた。割れてなかったから、俺が後で食堂に戻しておくよ。土井先生のところなら俺も用があるから一緒に行く」
「………ありがと、う…じゃなくて!あの、手、手がね、」
「嫌なら離すけど」

その言い方は、ずるい。嫌なわけないのに。
その笑顔もずるい。なんでそんなに楽しそうなの。

答えられなかった私は久々知くんと手を繋いだまま、土井先生の元へ向かった。

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