カラクリピエロ

挨拶代わりにまず一手



善法寺先輩から言い渡された治療期間を終えた次の日、お昼の時間。
五年い組に向かう途中で、私は藤色の忍装束と対峙していた。

場所は五年ろ組の教室前廊下。

い組へ向かうなら逆側から行くとか窓側から行くとか…通り道の選択肢はあったはずなのに、そのことごとくが潰されていたから――罠だったり物理的に塞がれていたり他の生徒も大迷惑していた――この道しかなかった。

対峙してわかったけれど、十中八九この男――鉢屋三郎の仕業だ。
不破くんの姿で「やあ」なんて穏やかに声をかけてきたから思わず立ち止まった私がばかだった。

先ほどからまっ……たく!通してもらえないのだ。

右へ動いても左へ動いてもぴったり同じタイミングで私の進路を塞いでくる。

「…通してくれませんか」

ついに限界が来て言うと、鉢屋三郎は困ったように眉尻を下げて笑った。

(……あれ?)
「ごめんね、苗字さん。どっちに動こうか迷っちゃって…“こっちだ”って決めたほうに動いたら苗字さんも動くから……ちょっと面白いね」

もしや、私はとんだ思い違いをしていたんだろうか。
面白いと言いながら照れたように頬をかく表情や動作は鉢屋三郎っぽくない。声も違う気がする(聞きなれるほど聞いてないけど)。となると不破くん?通せんぼ状態も偶然?

「……不破くん、なの?」
「うん?」
「う、わ。ごめん!鉢屋三郎と間違えたみたい……そこ通してもらってもいいかな」

――にっこり。
不破くんの笑顔は癒し系ですね。

「…………」
「…………」

――うん。やっぱり怪しさ満点だ。
負けじと山本シナ先生直伝の笑顔を返すと、不破くん(仮)は少し驚いたようだった。

「――ところで、この前お願いした本の修復だけど…なんとかなりそう?」
「え?」
「ほら、私がうっかり墨こぼして汚しちゃったやつ。中在家先輩に内緒で今回限りって預かってくれたでしょ、今どうなってるか気になってるんだけど…難しいかな。まだ時間かかりそう?」
「………………」
「……不破くん?」
「チッ、」
「あ!やっぱり鉢屋三郎!」

さっきまでの優しい顔はどこへやら。
視線を泳がせたと思ったら舌打ちを洩らした不破くん(仮)はすっかり鉢屋三郎になって(戻って?)いた。

悪態をついた彼は苛立たしげに前髪をぐしゃぐしゃかき混ぜている。
大方私の反応で嘘がわかったんだろう。

「…苗字、雷蔵に本の修復を頼んだなんて嘘だろう。同室の私が知らないはずない」
「内緒で本を預かってもらったのは本当だよ。こぼしたのは墨じゃなくて水で、不破くんは『これくらいなら乾かせば平気平気』って豪快だったけど」
「……」

どこか呆れたような表情になった鉢屋三郎がボソリと不破くんの名前を呟いた。

(これは絶好の機会じゃない?)

今なら鉢屋は油断してる!
私は廊下のど真ん中に突っ立っている鉢屋三郎の横へ素早く移動し、すり抜け――られなかった。

「いだっ!」

さっと出てきた鉢屋三郎の足に引っ掛けられて、したたかに顔面を打ちつけてしまった。

「…そこまで見事にひっかかるとは。ある意味感心するな」

しみじみ言うな!
つい最近委員会委員長にも似たようなことをされたばっかりなのに(あれは縄だったけど)、こんなに何度もされては私の鼻がつぶれてしまう。

鼻を押さえながら立ち上がり、隙間を掻い潜ろうと飛んだり跳ねたりしてみたけれど、この鉄壁を越えられない。

「っもう!お昼休み終わっちゃう!!私は久々知くんに用があるのに!!」
「お前に会わせる兵助はいない!」
「その友情重過ぎるから!」

予想はしてたけど…私を久々知くんに会わせないためだけに他の生徒巻き込むのはどうかと思います。
なんとか突破しようと隙を伺うものの、私を見下ろして(身長差が憎い)鉢屋三郎は「ふふん」と余裕たっぷりに笑った。

「諦めろ。大方昼の誘いにでも来たんだろうが、一人寂しく食べるんだな」
「う、ぐぐ……」

悔しい。
私が久々知くんと楽しくお話できる時間なんてそうないんだから少しくらい譲れと思う。

――押して駄目なら引いてみるしかない。

「あ、久々知くん!」

名を呼んで、視線を向け、片手を振ってみる。反応した鉢屋がピク、と眉を動かした。

(今だ!)

意識が後ろに行ったその瞬間。私は鉢屋三郎の装束を掴んで支えにして、僅かに開いていた鉢屋の足の間を滑りぬけた。

「鉢屋三郎くんの足が長くてとっても助かりました!」
「おま…お、女がそんな通り方をするな!」

手段を選ばせなかったのはあんたでしょうが。
言葉にする代わりに舌を見せ、私はようやく『い組』の戸に手をかけることができた。

ざわざわうるさいのはお昼休みだからかと思ったけれど、ひそりと聞こえてきた“くのたま”の単語から私のせいらしいことがわかった。

(くのたまって滅多にこっちこないもんね)

一人で乗り込んでくる私はさぞ珍しいんだろう。
でも今そんなことはどうでもいい。

「久々知くーん、お昼一緒に食べよー」

目的を口にしながら室内を見回す。すぐに見つからなくて一瞬不安になったものの、窓際近く、尾浜くんと一緒に本(っぽいもの)を見ていたらしい久々知くんが目に入った。

私の声に気づいてくれたのか、ぱちりと目が合う。
思わず手を振ると久々知くんは目元を緩めて振り返してくれた。

(…うわあ、嬉しい…!)

たったこれだけでドキドキして舞い上がる私はなんてお手軽なのか。
自分でもおもしろいくらい単純だと思うけど、うまく制御できないんだからしかたない。

「い、一緒に食堂行ってくれる?」
「うん。準備するから少し待ってもらっていいか?」
「もちろんだよ!」
苗字さん、おれも一緒でいい?」

いくらでも待ちます!と返しそうになるのを抑えながら、尾浜くんには何度も頷いて返す。
断られなかったことにこっそり安堵して息を吐き出したとき、ぱっと視界が暗くなった。

「え!?」

感触的に目を覆っているのは手だ。でも誰の?
大きめの手は男の人のもので、ところどころ硬いのはまめだろうか…と冷静に考えられたのはそこまでだった。
振り払おうとした手も攻撃に転じようとした足も巧みに止められ、焦りが大きくなる。

「だ、誰!?」

幸いにも口は無事だったので問いかけると、クスと笑う意外な声が聞こえた。

「く、久々知、くん――なわけないでしょ!」
「さあ、どうだろう」

一度騙されている身としては早々引っ掛かるものか。
第一、久々知くんは今尾浜くんと教室の中。
こんな芸当ができそうなのは鉢屋だ。奴しかいない。

――さっきの攻防で飽きてくれればよかったのに。

「ちょっと、鉢屋三郎!放してよ!」
「残念。俺は三郎じゃないんだ」
「ッ、その、声、やめて!」

必死に剥がそうとしてみたけれど力では敵わない。それ以前に力がうまく入ってくれない。

(これは鉢屋三郎、鉢屋三郎、鉢屋三郎なんだってば!!!)

念仏のように繰り返すものの、効果が薄い。
ずりずり足が引きずられているから『い組』の戸口から廊下に引っ張り出されている気がする。
ええい視界が悪い!

「ちょっと、どういうつも」
「少しくらいは信じてもいいんじゃないか――名前

一瞬、心臓が止まった。絶対。

(な、ななな、な、何!?)

声を出そうとしてるのに、口だけがパクパク動いて勝手に顔に熱が集まっていく。
くくっ、と笑った声(本人のものだろう)を聞いて、ようやく戻ってきてくれた正気を捕まえる。
素早くしゃがんで目隠しを取るついでに蹴りも繰り出してみたけれど、あっさり避けられてしまった。

「はははははっ!真っ赤だな苗字!」
「は、ち、や~~~!」
「これはいいな、使える」
「使うな!!」
「兵助に気をとられすぎるお前が悪い」
「うっ、」

悔しいが否定できない。
鉢屋三郎とにらみ合いをしていたら、準備を終えたらしい二人が出てきた。

「二人とも何してるんだ?」
「また悪戯?」
「人聞きの悪いことを言うな勘右衛門。なに、ちょっとしたじゃれ合いさ。なぁ苗字?」

「――わ、私、先に行ってるね!」

「え?苗字?」

さっきの余韻を引きずっている私はまともに久々知くんが見られない。
半ば逃げ出すように、食堂を目指して忍たまの学び舎を駆け抜けた。

少しでも一緒に話す時間が欲しかったのに!鉢屋三郎ゆるすまじ!!

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