カラクリピエロ

【閑話】出張髪結い師、斉藤タカ丸


見合い騒動で精神的にくたくたになった私は、早々に忍術学園へ戻ってきていた。
疲れで気が回らなかったのか、着物も見合いに出たときのまま。
普段よりきらびやかで重い。

「小松田さーん、戻りましたー」
「はーい。名前ちゃんお帰り~」

にこやかに出迎えてくれる小松田さんから入門表を受け取って筆を走らせる。
今日はいつもより人の出入りが多かったよ、と報告してくる小松田さんに癒されながら相槌を打っていたら、唐突に背後から「あ!」と声が上がった。
振り返ると、そこに居たのは数刻前に見た髪結い師。

「せっかく結ったのに崩しちゃったんだー、もったいない」
「髪結いさん忍たまだったんですか?」
「うん、そうだよ~」

髪結い師の言葉を遮った上無視する形になってしまったのに、彼はそれを気にした様子もなくおっとり返事をしてくれた。

(この人も癒しだ…)

小松田さんはマイペースに入門表を押し付けるという仕事をこなし、名前を書かせている。
なんとなくそれを見ていたら、ふふ、と小さく笑われた。

「斉藤タカ丸って言います」
「あ、ごめんなさい……あなたが“タカ丸さん”でしたか」
「別に謝ることないのに。たまーにそっちにお呼ばれしてるから名前は広まってるみたいだねぇ」

彼は編入生であることに加えて以前の職業柄か、くのたまの間では有名人だ。
髪結いをお願いするのに予約が必要という噂が本当なら、戻ってくる際に崩してしまったのは随分勿体無かったかもしれない。

小松田さんに入門表を返す斉藤タカ丸さんと一緒に長屋の方へ向かう。なんとなくの流れというやつか。
ふと横…というか斜め上から視線を感じた。

「……何でしょうか」
「うん、いつ名前教えてくれるかなーって」

見上げた状態のまま、つい何度か瞬きをしてしまった。
彼は私の家に呼ばれていたわけで、名前なんてとうに知っていると思ったからだ。

(それとも売れっ子だから覚えきれないのかな)

ありうるなぁと考えて、私は自分の名前を告げた。

苗字名前ちゃんだね。これからよろしく~」
「こちらこそ…………あの、不躾で大変申し訳ないんですが今日のことは内緒にしてもらえますか」
「今日?お見合いのこと?」
「あああああああ!いきなり!そうです、それです!!」
「別に名前ちゃんくらいの子なら普通だと思うけどなぁ…ぼく、よくお手伝いしてるよ?」
「そうなんですけど…なんか恥ずかしいじゃないですか」

くの一教室、しかも上級学年なんて恋バナへの食いつき具合が半端じゃない。
見合いの話が出ようものなら相手について聞かれまくりで精神力を削られること間違いなしだ。現にそういう光景を何度も見ている。

「まぁお客さんのこと人にぺらぺら話すのは髪結いとしては失格だから、それについては大丈夫。安心していいよ~」
「ありがとうございます。あ、髪結いの件もありがとうございました。私ろくにお礼も言ってませんでしたよね」
「あはは、固まってたもんねぇ」
「…あ、あれは、突然すぎてですね…忘れてください」

改まって言われると本当に恥ずかしい。
結構本気のお願いだったのに、にこりと微笑みだけで返されてしまった。
一応念押しをしてみたけれど大丈夫だろうか…不安だ。

「あれ、名前ちゃんどこいくの。そっちは長屋じゃないよね?」
「飼育小屋です…ちょっと荒んだ心を癒されに行こうかと」
「そっかぁ…」
「…………一緒に行きませんか?」

誘ったのは興味深そうに私の進行方向をじっと見ていたから。
斉藤さんはパアっと顔を明るくして(聞いた話では彼は年上のはずだけど)それがなんだか可愛いなぁと思った。

「斉藤さんはどんな動物が好きですか?」
「んー。ぼくは…そうだなぁ…可愛くて懐いてくれるようなのが好きかなー」

にこにこと私を見ながら話す斉藤さんにつられて頬が緩む。
確かに構って欲しい、と全力で訴えてくる動物たちはとても可愛い。その光景を思い出しながら大いに同意を示した。

「ウサギとか、リスとか…小動物系でしょうか」
「うん、可愛いよねー」
「はい。でもなかなか懐かない子を手懐けるのも楽しいですよ」
「……へぇー……」
「斉藤さん?」
「ふふ、意外だなぁって思っただけ」

目をパチパチさせたと思ったら、ふにゃっと笑顔になる斉藤さんが言う“意外”がよくわからなかったけど……まぁいいか。
特に悪い意味ではなさそうだったから、追求することもなく流した。

もうすぐ目的地に到着する、という辺りで、唐突に仔ネズミが肩にかけ上がってきた。
――どうしてこの子がここに?

「あ、ネズミ。名前ちゃんの?」
「…ええ、そうなんですけど…この子、いつもはカゴの中で…」

チチッ。
一声鳴いて素早く地面に降り、しきりに私の足の周りをまわる。
それを見て、「可愛いねぇ」とのんびり言う斉藤さんの腕を掴んで歩みを止めさせた。

「え!?なになに、どうしたの?」
「そこ落とし穴があります…一応、目印もありますけど…ほとんど目立ちませんね」

言いながら斉藤さんにも目印を教える。
私もこの子が教えてくれなかったら危なかったくらいだ。
こんな場所に、こんな厄介な落とし穴を設置するのはやめてほしい。

「…名前ちゃんのネズミは可愛い…メモメモ…」
「そこですか!?」
「うん?」
「いえ、あの、それメモしてもあまり役に立たないかなーと思うんですが…………っていうか、喜八郎!いるんでしょ!」

茂みに向かって声をかけるものの物音一つしない。
しらばっくれるつもりか。

いつの間にか斉藤さんに登って肩やら頭をうろちょろしていた仔ネズミ(そのままにさせている斉藤さんは気にならないんだろうか)を、茂みに向かわせてやった。

「痛ッ」

声を出したことで観念したのか、ガサガサ音を立ててあちこち泥で汚れた喜八郎が出てきた。

「はぁ…強引ですね、名前先輩。タカ丸さんとデート中じゃないんですか?」
「違います。穴掘るのは構わないけどちゃんと目印はわかるようにって言ってるでしょ」
「あるだけマシだと思いませんか」
「いや、あるのは当然だから。一年生とか二年生が落ちたらどうするの」
「この辺のはある程度重さがないと落ちないようになってますから」
「…………くっ、今ちょっと感心しちゃってる自分が悔しい」
名前先輩は気をつけてくださいね」
「…………なに、それは私が重いってこと?」
「さすがに二年生よりは重いでしょう?」

私を上から下まで見て言う喜八郎は本気で喧嘩を売ってるらしい。
言い分はもっともだけどそれを口にされたくない場合もある。
よし、いい度胸だと掴みかかろうとした私を止めたのは、流れを見守っていた斉藤さんだった。

「まぁまぁ、名前ちゃん。そのまま喧嘩したら着物が汚れちゃうよ?」

その一言にハッとして冷静になれた。
汚したら絶対後悔していたに違いない。ありがとうございます、斉藤さん。
喜八郎は棒読みで「さすが乙女の先輩です」と言ったあと(嫌味か…!)私から視線を外して斉藤さんを呼んだ。

「なにかな、喜八郎くん」
「先生からタカ丸さんを連れてくるように頼まれました。明日からの授業内容について話があるそうです」
「そっかぁ…わかった。名前ちゃん、せっかく誘ってくれたけどごめんねぇ…」
「いいえ、また機会があれば」
「うん。そのときは案内してくれる?」
「もちろんですよ」
「では名前先輩、また委員会で」

それだけ言うと喜八郎は鋤を肩に担いでさっさと行ってしまう。
喜八郎と共に前進しながらも、ひらひら手を振ってくる斉藤さんに同じ動作で応えつつ(ふらついている斉藤さんは少し危なっかしい)空いた手で懐を探った。

「喜八郎!」
「?」

足を止め、振り向いた喜八郎に向かって探り当てた携帯型の傷薬を投げる。
私の仔ネズミは相当強い力で噛み付いてしまったようで、喜八郎が指から出血していたのが目に入ったから――

「あげる。ごめんね」

無言だったけど、とりあえず受け取ってくれたのでよしとする。
くのたまに軽く怪我をさせられるなんて忍たまにとっては些細なことだろう、うん。

――話ってなんだろー。
――明日からいろはの合同実習なのでそれじゃないですか。
――そっかぁ、ぼくは一年は組に混じればいいのかな。
――さぁ。そこまでは知りません。

そんな会話を耳にしながら、私はようやく癒し空間に足を踏み入れた。

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