病んでる久々知
※久々知視点
「ただいま」
帰宅を告げながら耳を澄ます。
静まり返った部屋の奥からかすかに聞こえる物音に、彼女も起きていることを知った。
「名前」
真っ暗な部屋の片隅でびくりと震える彼女に、もう一度ただいま、と告げる。
弱々しく俺を呼びながら身を縮める名前は、まるで俺に怯えているみたいだ。
「灯りぐらいつけたらいいのに」
「……これ、外して」
ジャラ、と音を立てる足元の鎖を持ち上げて泣きそうな顔をする。
それでも震える声を懸命に押さえ込もうとしている名前に、思わず笑みがこぼれた。
気丈で絶対に譲らない頑固さを持ち合わせている彼女も可愛い――でも、最近はそれが崩れる瞬間にも高揚感が増すことに気づいたんだ。
「おね、が……おねがい、久々知くん、こんな、……やだよ」
ボロッと両目からこぼれたのは大粒の涙。
顔を覆ってその涙を懸命に拭おうとしている手を掴んで引き寄せると、名前はあっさり俺の胸元に倒れこんできた。
泣きすぎて赤くなっている目元に舌を這わせる。
びくりと震える名前を押さえ込んで涙を舐め取るが、それは絶えず流れて止まらない。
「…目が溶けそうだな」
ちゅ、と音を立てて一旦離れると、名前は小さく首を振る。
溶けるわけない――なんて、返答の意味じゃないことはわかってる。
さっきから、か細く聞こえる彼女の声が“嫌”を紡いでいるから。
でも俺はそれを無視して名前の唇を塞ぐ。
何度も何度も、繰り返し。言葉を紡ぐ暇なんて与えない程に。
甘く掠れる吐息と息継ぎの音、今はそれしか聞きたくない。
豆腐部屋
690文字 / 2011.08.22up
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