常用無障(1)
さて、どうしたものか。
指先で使用済みの香を遊ばせながら思考に耽る。
――いつでも来て。
そうは言われたものの、生物委員会に割り当てられた予算は既にカツカツで、有料だというこれを注文する余裕はない。
元々使ってなかったんだから、普段どおりに戻るだけだと言い聞かせても一度“便利だ”と経験してしまうとつい頼りたくなる。
「あれ、八だ。一緒に夕飯食べない?」
雷蔵が最近生物委員はおとなしいね、と笑いまじりに声をかけるから、持っていた香の残骸を放った。
「っと。なにこれ」
「そいつを小屋の入口で焚いて、逃がさないようにしてんの。楽だぜー?」
「へえ…ってことは苗字さんのか。いい匂いだね」
残り香に気づいて表情を緩ませる雷蔵に、俺も「だろ」と笑い返す。
別に自分が褒められたわけじゃないのに妙に嬉しい。
部屋で普段使いにしてもいいようになのか、柔らかく控えめな香りを燻らせるそれは一年連中にも人気だ。口にはしないが孫兵も気に入っているようで、たまに入口で足を止めているのを見る。
おかげでもうすぐ貰った分がなくなるわけだが…補充できる見込みは薄い。
「会いに行ってないの?」
「行けねぇだろ…予算ないから交渉は無理だし、かといって用もねーし…」
「ふーん…三郎は会ってるみたいなのになぁ」
「は!?」
そんなの聞いてないぞ!?
初めて知る事実に勢いこんで雷蔵を見ると、雷蔵はわずかに気圧されたように身を仰け反らせ、まあまあ、と俺を宥めた。
「ほら、この前追いかけっこしたときのこと引きずってて、ちょくちょく悪戯を――」
「不破ぁーー!!」
「は、はい!?」
噂をすれば。
随分久々に見た気がする彼女――苗字名前は目を吊り上げて足を鳴らしながら近づいてきた。
「あんたさっきはよくもやってくれたわね!?」
おかげでびしょ濡れよ、と疑問符を沢山浮かべる雷蔵に怒鳴る苗字は、よく見れば髪を湿らせている。
「いや、ちょっと待って苗字さん、それ僕じゃ」
「この際どっちでもいいのよ!憂さが晴らせれば!!」
「うわっ」
言うなりいつの間にか手に持っていた何か(よく見えなかった)を床に叩きつけ、あたり一面を白に変えた。
「なんだこれ煙玉――う!?」
ただ煙いだけかと思ったら、ツンと鼻を突く刺激臭。
鼻は痛いし涙は出るし、ろくにしゃべることができなくなった。
(っつーか…これ、完璧に巻き添えじゃねーか!!)
結局、ろくに会話もできないまま――そもそもあっちが俺を認識していたかどうかも怪しい――俺は苗字との邂逅を終えた。
「――なんだ八、あいつに用があるのか。そういうことなら私に任せておけ」
俺と雷蔵で三郎に灸を据えている最中、なにを思ったか三郎はニヤリと笑った。
どうも反省してないみたいだね、と言いながら雷蔵が室内の温度を下げる。途端に姿勢を正す三郎に溜息をついて、余計なことすんなよと言っておいた。
常用無障(2)
いよいよ香の残りは二つ。
竹谷先輩おねがいします、と一年連中から期待の眼差しを受け、俺はくのたま長屋の入口に立っていた。
交渉するための元手はもちろんない。
持っているものなんて精々この身一つ。この前の侘びも済んでいないけれど、くのたまの実験台になる回数でなんとかしてもらえないだろうか。
本当なら実験台なんてごめんだが、まったくなにもないよりは少しでも確率を上げたい。
「はぁ……」
ゆっくり深呼吸をして、通りがかったくのたまに苗字を呼んでもらおうと声をかけようとして――相手に驚いた。
「苗字!?」
「……よくもまた私の前に顔出す気になったわね……」
「は?ちょ、ちょっと待て!」
俺を見た途端、ギラリと光る苦無を片手に殺気を放つ苗字に後ずさる。
これじゃ交渉どころじゃない。
「この変態!!」
「こら!!全然話が見えねぇぞ!?」
「っ、」
顔の横を手裏剣が飛んでいく。
避けた方向に苦無が突き出されて、反射的に腕を掴み捻り上げてしまった。
苗字の手から苦無が落ちる。
「い、ぁ…っ、…はっ…」
眉間に皺を寄せて、涙目で。短く呼吸を繰り返して痛みを逃がしている苗字。ギッときつく睨まれて、慌てて手を離した。
「しんっじられない、あんたには容赦ってもんがないの!?」
「いや、だってお前エロ」
「ば…、死ね!!」
「ぐぁ…っ…、……!」
股間を蹴り上げられて悶絶する俺を、苗字は腕を組んで見下ろしているようだった。
ようだった、ってのはつまり、上を向く余裕もなにもないってことで……ちくしょう、なんだってこんな目に。
「一度で懲りないって学習能力ないのね」
「…から…意味が……っかんね……」
「だ、だから!さっきも…………あ。まさか」
途端におろおろしだした苗字が「どうしよう」と呟く。
さっきから置いてかれっぱなしの俺は説明を求めたいのに、未だに痛みを引きずってて上手くしゃべれなかった。
「い、医務室行く?」
格好悪いことこの上ないだろ。
首を振って拒絶すると、苗字は俺の腕を引いてくのたま長屋の塀近くに誘導する。
苗字が動くとふわりといい匂いがして、また調合でもしてたんだろうかとどうでもいいことを考えてしまった。
俺の横に座って静かにしていた苗字は、時折俺をちら見して「でも、やっぱり竹谷は変態だ」と非常に不名誉なことを呟いた。
「あのなぁ…男なんてそんなもんだろ」
「う、うるさい!伊作兄さ…先輩はそんなんじゃないから!」
「伊作…って善法寺先輩!?夢見すぎだろ……いやそれよりお前、いきなり手裏剣うつなよ!」
混乱しながらもつっかかると、苗字はムスッとした顔でごめんと呟いた。
全然謝罪してるようには見えねぇ。
「あんたが…竹谷が、来る少し前に、あんたの格好したやつが……」
「…………三郎が?」
もごもご言いよどんで忙しなく視線を泳がせる苗字に嫌な予感がする。
「い、いきなり、抱きついてきて、髪、サラってしたの!しかも、いい匂いって…ば、馬鹿じゃないの!!」
「危ねっ、俺じゃねーだろ!」
振り上げられた手を途中で止める。
カーッと顔を赤くして捲くし立てる苗字の言葉はわかりづらかったけど、三郎がなにをしたのかははっきりわかった。
余計なことすんなって言ったのに、なにしでかしてくれてんだあの馬鹿。
――それじゃあ怒ってもしかたないと思う反面、三郎が羨ましい、なんて思ったのは秘密だ。
「だから正当防衛!」
「……蹴ったのか」
「ついでに殴ったわよ!」
怖ぇ。
苗字は立ち上がると両手を腰に当てて小さく鼻を鳴らした。
それから俺を振り返り、微かに首を傾げる。
「…そういえば、くのたま長屋に用事?」
「お前に用があったんだよ」
「あ、そうなの。なに?」
さっきの今じゃなんとなく言い出しづらい。
出直してこようかと迷っている間に、苗字は「そうだ」と言いながら手を合わせ、にっこり笑った。
「明日の放課後、付き合って」
「へ!?」
「手作り料理を振舞う実習なの。期間内ならいつでもいいんだけど、忘れないうちに」
無条件で付き合ってくれる約束でしょう、と口には出さずに訴えてくる苗字に苦笑を返す。
どうせその料理には何か仕込んであるんだろうなと思いながら、任せろと力なく頷いた。
「それで竹谷の用事は?」
「…俺のは明日でいいや」
「そう。じゃあ明日…そうだ、これあげる」
「なんだ?」
ひょいと投げられたものを受け取ると、見覚えのある形――苗字が作る香と同じものだ。
「竹谷は必要なさそうだけど、安眠効果あるから…いらなかったら誰かにあげて。じゃね!」
ひらひら手を振って長屋にひっこむ苗字を呆然と見送る。
形は同じだが効果は違うのか、と手の中に残った香を眺め、ひょっとしてお詫びのつもりなんだろうかとそれを握り締めた。
常用無障(3)
「三郎てめぇ…よくもやってくれたなぁ」
「…………八か。私は今非常に繊細モードなので近づかないように」
「自業自得だろうが!」
自分勝手なことを口にする三郎を怒鳴りつけると、既に事情を知っているらしい雷蔵が呆れたように溜息をついて、俺に同意してくれた。
「くそっ、だからって殴るか!?平手じゃなく拳だ!これだからくのたまは!」
ダン、と文机を叩く三郎の顔に腫れは見られず、変装で誤魔化しているのかと思った。が、雷蔵の補足でそうじゃないことが判明。
「みぞおちに入れられたんだって」
「……うぇ」
自分がやられたわけじゃないが、思わず腹に手をやる。そりゃ災難だったなと言いかけて、三郎がしたことを思い出した。
「八左ヱ門、こと細かに聞きたくないか?」
「なにを」
「苗字名前の感触」
ぐっと押し黙る俺に、三郎は手をわきわきさせてニヤリと笑った。
同時に何故か涙目で痛がる苗字が浮かんで慌てて首を振る。
(く、くそ…誤魔化されねぇぞ…)
「三郎…君ねえ…」
三郎を睨む俺の隣で雷蔵が呆れた声を出した。
意味もなくそれに何度か頷いて強引に話を終わらせると、なにを思ったか三郎は俺の肩を掴んで、くく、と声を上げた。
「あいつは乱暴で腹立つ女だが、抱き心地は良かったな」
「……ばっ、おま、」
耳打ちしてきた三郎を押しやれば、知りたそうだったじゃないか、とあくまで悪気がなさそうな笑顔。
「俺に恨みでもあんのか!」
明日苗字に会ったら、今の言葉を思い出す自信がある。
そうしたら苗字をまともに見られないじゃないか。
唸りながら自分の頭をぐしゃぐしゃ掻いていたら、兵助と勘右衛門が来てそれぞれ適当に腰を下ろした。
「八左ヱ門は何を騒いでんの。外まで丸聞こえだよ」
「三郎が悪ぃんだよ!!」
「なんでもかんでも私のせいにするのはよくない」
「もっぺん殴られて来い、この変態が!」
「は、まさか八に言われるとはな。お前、さっき想像しただろう」
「ぐっ、だ、誰のせいだと…!」
いかん。これじゃあ三郎のペースだ。深呼吸しろ、深呼吸。
衝動的に掴みかかりそうなのを抑えて息を吐く。
雷蔵が二人に状況説明しているらしいのはなんとなくわかったが、そっちに気を配る余裕はない。
「――ん?なんだこれ」
「あれ。それって…兵助、たぶん八のだと思うよ」
「…なんだよ」
気を落ち着けている途中でつい声が低くなってしまったものの、兵助は気にすることなく俺に何かを放り投げた。
手の中に納まる大きさのそれを確認したら、先ほど苗字がくれた香だ。
もう今日はさっさとこれを焚いて寝たほうがいいかもしれない。
はあ、と大きな溜息を吐き出した俺に集中する視線。
雷蔵は首を傾げて「作ってもらえたの?」と聞いてきた。
そういえば雷蔵にはちょろっと事情を話したっけ。
「いや、これは違うんだ。安眠できるんだとさ」
「怪しい」
「お前なぁ…なら三郎も試してけばいいだろ。これから焚くし」
「……おもしろい」
「え、なにそれ楽しそう。おれもおれも!」
張り切って挙手する勘右衛門がきっかけで、全員雑魚寝することになったはいいが狭いとか寝苦しいとかで、効果が実感できるかわからない。
まぁいいかと割り切って香を焚く。
ふわりと漂ってくるのは、なるほど、虫除けとは違う匂いだ。
「いい匂いだね」
「でもこれ、匂い移らないか?」
「一日くらいなら平気でしょ」
そんな会話を背に三郎の方を見ると、やつは腕を組んで不満そうに鼻を鳴らしたところだった。
「どうしたんだよ」
「あの女は調合師にでもなったほうがいいんじゃないか」
回りくどいが、三郎なりに褒めてるんだろう、たぶん。
適当に横になり、他愛ない話をしていたら段々眠くなってきた。
明日は謝罪がてら使ってみた感想も伝えようと思いながら目を閉じて、苗字はどんな反応をするかなと想像した。
常用無障(4)
――全員揃って遅刻する勢いで起床した翌朝は、非常にあわただしかった。
効きすぎだ、とか、寝すぎて鍛錬の時間が、とか聞こえたけれど、目覚めはすっきりしてたから(少なくとも俺は)あれは優秀だったんだろう。
放課後の約束はともかく、苗字に場所を聞くのを忘れていたことに気付く。
どうしたもんかと校内を移動していたら、後ろから声をかけられた。
「勘右衛門か、なんだ?」
「“くの一教室の敷地入口、用事を全て済ませてから来られたし”だってさ」
「は?」
「名前から八への伝言」
「果たし状かよ…」
呆れる俺に勘右衛門が確かに、と言いながら笑う。
どこで会ったのかを尋ねてみたら、勘右衛門は学園の入口前だと返してきた。
「なんか買出し帰りだったみたい。……八、無事で帰ってこいよ」
「馬鹿、そういうこと言うな」
「だってさぁ、あ、医務室予約しとく?」
「だからやめろって!」
覚悟はしていたつもりだが、伝言内容が不穏で(勘右衛門もそれで察したみたいだし)気が重くなった。
行かない、なんて選択肢はないが。
飼育小屋に寄ったあと、指定されたくの一教室の敷地へ。
入り口には既に苗字が退屈そうに立っていた。
「苗字」
「……ほんとにきた」
「呼んだのはお前だろうが」
目を丸くして俺を凝視してくる苗字に苦笑すると、苗字ははにかみながら「竹谷はいいやつだね」と呟いた。
褒められてるらしいが、いまいち素直に喜べない。
「良いやつってのはなぁ…最後まで良いやつ止まりで終わるんだよ…」
「なんの話」
「どうせなら良い男って言ってくれ。男前でもいいから」
「これ完食してくれたらね」
くすくす笑って小さな包みを取り出す苗字。視線で俺を促すからその後についていく。苗字は木陰の下に陣取ると、隣に来いと地面を叩いた。
「…手料理?」
「もちろん!」
包みを開いて出てきたそれに、堂々と胸をはる苗字。
握り飯というやつじゃないのかこれは。
俺はてっきりこう…手の込んだ定食みたいなものを想像していたのに。
「ユキちゃんがなめくじ料理開発してるの見たんだけど」
「なめ…!?」
「さすがに自分では無理だったからね、普通の…好き嫌いある?」
ゾッとしたが苗字自身が苦手みたいでよかった…そりゃ虫をあれだけ嫌ってるんだから、なめくじだって無理だよな、うん。
俺は虫も平気な方だが、さすがになめくじはちょっと遠慮したい。
「竹谷?」
「あ、ああ、特にねーから…鉄粉とか入ってねぇよな?」
「おにぎりに?それ食べられないでしょ」
苗字は楽しそうに笑うけど、それをやっちゃう先輩が実際にいるから冗談じゃねぇんだよな。
「これが山菜で、真ん中のは焼き魚。で、そっちは具なしね」
指差しで中身を教えてくれる苗字がこっちに寄ってくる。
具だって私が作ったんだから、と笑顔を見せる苗字からは昨日と同じように、ふわりといい匂いがする。
装束に染み付いてるんだろうか。それとも髪か。
「聞いてるの?」
「――ッ、」
至近距離で見つめられてドキリと心臓が鳴り、肩が跳ねる。
いつの間にこんなに近づいていたのかと仰け反り、指先に絡まっていた髪にまた驚いた。
「こ、これは、その、虫がだな」
「えええええ!!?嘘、やだ!取って取って取って!!」
「いてっ、ちょ、危ねっ、落とすって!!」
ドンと体当たりしてきた苗字のせいで膝上に乗せていた握り飯が危険だ。
落とすなんてそんな勿体無いことはできない。
急いで頭上に避難させれば、錯乱している苗字が半ば叫びながら俺の胸元にしがみ付いた。
ぷるぷる震えて、心なしか泣きそうな声で、きつく目を閉じている苗字から目が離せない。
喉がごくりと鳴るのを他人事のように聞きながら、頭上に持ち上げたままだった握り飯をゆっくり脇に置いた。
「た、竹谷、おねがい…はやく…!」
誘ってんのか。
有り得ないとわかっているのに、そう返事をしたくなる。
苗字が装束をきつく握り締めているのか、強く引っ張られる感覚。
額が肩口に押し付けられるのを合図に、俺はそっと苗字の背に腕を回した。
触れた感じが自分のとはまったく違ってて戸惑う。
(ふにゃふにゃしてるっつーか…なんだこれ!)
柔らかくて、温かくて、いい匂いがして。それをもっと感じたい。
――抱き心地は良かったな。
ふっとよぎった声にギクリとした。
勢いよく頭を振ってのぼせかけていた思考を切りかえる。
ゆっくり深呼吸を繰り返し、ちょいちょいと苗字の髪を軽く引いた。
常用無障(5)
「と、とれた?」
見上げてくる苗字は間違いなく涙目で、罪悪感とその他諸々で声が出せずに頷くだけになってしまった。
はぁ、と大きく息を吐き出す苗字が胸を撫で下ろす。
「おかしいなぁ…この木は大丈夫なはずだったのに。あ、ごめん!」
木陰をつくる木を見上げてから、そそくさと離れる苗字が気を取り直すように髪を整えた。
それから脇に置かれた握り飯を指して「早く食べて」と捲くし立てるから、俺も妙に焦って包みを広げなおした。
「――……美味い」
「当然!っていうのは冗談として」
「いや、ほんとに美味いって」
「…ありがと」
にこにこ笑顔とはいえ、俺を観察するように見ている苗字に気づいて動きが止まる。
口の端についた米粒を指で押し込みつつ中身を凝視してみたけれど、いたって普通の具にしか見えない。
痺れるとか、薬臭いとかもないし、厠に飛び込みたいなんて衝動も襲って来ない。
答えを求める代わりに苗字を見ると、お水飲む?と首を傾げられて反射的に頷き返した。
「はいどうぞ」
「サンキュ……なあ、なにか仕掛けてあんのか?」
「何の話?それより、竹谷も私に話があるんでしょう?」
わざとらしい程のはぐらかし方に顔が引きつる。
答える気は無いと言っているのが雰囲気からわかったから、これについてはひとまず保留にすることにした。
「…前に貰った香なんだが、その、有料って言ってたよな」
「言ったね。注文?」
「したいのは山々だ。けど生憎予算がない」
「どこも厳しいらしいもんね。伊作先輩もよく愚痴ってる。……なるほど」
「え!?」
まだ触りの部分しか話してないのに、何故か苗字は納得したように何度も頷いている。
俺と食べかけの握り飯を交互に見て「どうしようかな」と呟いたかと思ったら、また俺に視線を戻した。
「な、なんだ…」
「因みに、代替案の内容は?」
「……俺が無期限で苗字の実験台になる」
やっぱり先読みされたのかと思いながら答えると、それは魅力的、とこぼした苗字が眉根を寄せる。
微かに聞こえた唸り声が途切れ、小さく首を振った。
「結論から言えば、やっぱり無料は難しい。既に言ったと思うけど、私が有料って言った理由は材料費が欲しいから。覚えてる?」
「ああ」
「逆に言えば材料があればいいわけ。でも材料って樹が多いの。だから学園での栽培は無理だと思うのよね」
生物委員の菜園で育てればいいのか、と期待しただけに、がっくり項垂れる。
「だから、さっきの案と併せて、竹谷が私のアルバイト手伝うっていうのは?」
「バイト?」
「そ。私も仕事増やせるし、上手くやりくりすれば少しは余裕がでると思う」
無期限実験台プラス、苗字の手伝い。
これと虫除けの香とを天秤にかけて釣り合いが取れるんだろうか。
――なんとも判断しづらいな。
答えを先延ばしにするために、手にしていた握り飯を口に入れる。うん、美味い。
残りを食べ終わるころ、苗字は立ち上がって微かに笑った。
「まあ私はどっちでも構わないから、決めたら来てよ」
いつかのやりとりをもう一度しているような気分になる。
俺はまた苦笑で苗字を見送って、ヒラリと手を振ることしかできない。
だいぶ距離が開いて小さくなった姿がこっちを振り向いて、大きく手を振った。
「竹谷ー」
「なんだー?」
「夜の7時までには部屋にいたほうがいいかもー」
……。
…………なんだと!?
苗字は笑って、口をあけて呆ける俺に質問する時間を与えず、さっさと姿を消した。
やっぱ、何か仕込んでたってことか。
急に嫌な汗をかきはじめたなと思いながら、長屋へ戻るべく踵を返す。
不安を抱えたまま時間を待つのが嫌で、先延ばしにした問題について考える。
どちらか一方だけなら即答なのに。
お試し期間なんてのがあればな。
「…明日聞いてみるか」
安眠香の礼も言えてないしな。
なんだかんだと会いに行く理由を作りたい気がするのはなんでだろう。
できれば、もう一度触れてみたい…なんて、こんなのあいつらには言えねぇ。特に三郎には。
-了-
常に用いて障りなし
「八ー、今日の自主鍛錬だけどさ、裏裏山まで…八!八左ヱ門!?」
「どうした雷蔵、八がどうか――八!?雷蔵、揺するな!毒かも……ん?」
「…………寝てる」
「こ…、んの、阿呆!!寝るなら着替えて布団で寝ろ馬鹿!聞いてるのか八左ヱ門、起きろ!」
「さ、三郎、落ち着いて。たぶん薬だと思うし…一応医務室連れてく?」
「あー、よかったら僕が診るよ」
「「善法寺先輩!?」」
「どうしてここに…」
「タイミングよすぎませんか」
「いやぁ、名前がさ、“兄さまお願い”って…兄貴分としては妹分の頼みは断れないじゃない?」
「知りませんよ」
「三郎!」
「でね、代わりに今度一緒に出かけることになって」
「チッ、聞いてないな…」
プチリク消化。
もう一度くのたまさんに会うために頑張る竹谷、でした。
なんだかんだで接点ができてればいいなぁと思いつつ、大捕物の二人(+α)が書けて楽しかったです!
常用無障(竹谷)
豆腐部屋
8954文字 / 2011.07.07up
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