カラクリピエロ

体育委員会(2)



「では今日の委員会だが――」

ぐわんぐわん揺れる視界と力の入らない足(きっと恐怖で腰が抜けたんだと思う)。
七松先輩に降ろされたその場にへたりこみ、頭上から聞こえる先輩の声をなんとか拾う――走っていた七松先輩よりも運ばれていた私が疲れているなんておかしな話だ。

「あの、七松先輩」
「なんだ滝夜叉丸、マラソンではなくバレーボールの方がよかったか?」
「そうじゃありません。彼女の紹介をお願いします」

滝夜叉丸は肩の辺りまで上げた手をそのまま額にあてて、軽く溜息をつきながら言った。
下級生三人が滝夜叉丸の言葉に思い切り首を縦に振る。やっと落ち着いてきた視力で顔ぶれを確認してみれば面識がない子ばかりだ。
七松先輩は「そうだな」と委員の子たちに頷いて私を見下ろした。

「そろそろ立てるか?」
「…はい、大丈夫です」

言いながら立ち上がったものの、足元がおぼつかない。ふらつく私の腕を七松先輩が掴んで支えてくれた。

「すみません、ありがとうございます」
「………………」
「七松先輩?」
「よく折れないな。お前ちゃんと食べないと駄目だぞ」
「? 毎食、ちゃんと食堂のおばちゃんのご飯を食べてますが…」

というか掴まれただけで折れたりしたら怖い。
でも七松先輩なら握力で…とそこまで考えて慌てて首を振った。

先輩は私を片手で支えたまま「お前ら一列に並べー」と指示を飛ばしている。
私は引かれる力に逆らうことなく四人の前に立った。

「では右から行くぞ。滝夜叉丸、三之助、四郎兵衛、金吾。で、こっちは名前だ。では出発!」
「ちょっ、七松先輩!」
「滝夜叉丸、話なら走りながらだ!今日は裏々々山まで行くからなー!」

右手を上げて走り出してしまった七松先輩に「ああもう…」となんとも言えない呻きを洩らし顔を覆う滝夜叉丸。
お前たちは先に七松先輩を追うように、と下級生に告げる彼は普段のぐだぐだトークを繰り広げる子とは別人のようだ。

苗字先輩、走りながらでも構いませんか?」
「……滝夜叉丸、だよね?」
「ご覧のとおり学年一優秀で美しい忍たま四年生の平滝夜叉丸ですが」
「うん、ごめん。ちゃんと滝だった」

思えばあの喜八郎の面倒も見ているようだし、元々面倒見はいいのだろう。それに自己陶酔が多少多めに含まれるだけだ。
走りながらでいいよ、と付け加え滝夜叉丸の先導で先へ行った先輩と下級生を追う。

下級生の姿はともかく七松先輩は既に森に紛れてしまって追いかけるのが大変そうだ。
ぽろっとそのことを口に出したら、耳聡い滝夜叉丸が「ゴール地点まで行って、また戻ってきてくれますので」と教えてくれた。
それって七松先輩一人で何往復もしているということだろうか。私を抱えて走ったのに全然疲れてなかったし、体力に底があるのか気になる。

苗字先輩は委員会体験中とお聞きしましたが」
「あ、そういうのはちゃんと話してくれてるんだ」
「唐突に『明日はくのたまがくるぞ』と言われたのですが、そこは私の素晴らしい話術で――一応説明しますと体育委員会の活動は体力づくりが主です。授業で他生徒を先導したり実技面で先生のお手伝いをしたりしますので。まあ私の場合は教科面でも十分に力を発揮できるんですけどね!つい先日も――」

身振りを交えて授業風景を語る滝夜叉丸は全然スピードが落ちていない。
しゃべり通しで走っているのに息も切れていないし、ときどきサラっと前髪を流しているし(好きな動作なんだろうか)、うんうんと相槌をうっているだけの私が先に息切れしそうだ。

「――む」
「滝夜叉丸?」
「金吾!」

ぐだぐだトークをピタリと止めて前方に合図するように手を上げる滝夜叉丸は、先ほど紹介してもらった一年生の名前を呼んだ。視線をやればその場で左右にうろうろしていた一年生が、滝夜叉丸に気づいてほっと息をついたところだった。

「どうした?」
「次屋先輩がいなくなってしまったんです!時友先輩は僕に残って滝夜叉丸先輩に伝えるようにって」
「四郎兵衛は七松先輩の方か?」

頷く一年生を見て一瞬思案した滝夜叉丸は、自分より低い位置にある頭に手を置いてから私を見た。

苗字先輩、金吾をお願いします。私は四郎兵衛を追って、先に七松先輩のところへ――金吾、苗字先輩に無理をさせないように追いついてこい」
「はい!」

薄々は気づいていたけど、やっぱり彼はある程度私のペースに合わせて走ってくれていたようだ。率先してその役目を買って出てくれたこともだけど、しっかり頼りになる先輩してることに益々感心した。

「…では行きましょうか、先輩」
「金吾…だったよね」
「はい、皆本金吾です」
「さっき誰か居なくなったって言ってたけど…」
「滝夜叉丸先輩に言われたとおり、七松先輩を追いかけていつものマラソンコースを走っていたんですが、気づいたら三年生の次屋先輩がコースを外れていたらしくて」

三年生なら心配しなくてもある程度大丈夫じゃないかな、と一瞬思ったけれど、滝夜叉丸の対応やら金吾の反応を見るに日常茶飯事っぽいことが伺える。
金吾は私の思考を読んだかのように、「次屋先輩は方向音痴なんです」と言った。

――山を一つ越えた辺りで大分苦しい。
滝夜叉丸は私のために金吾をつけてくれたようだけど(実際彼がいないとコースがわからない)、相手を気遣いながら走るのはやっぱり一年生には難しいんだと思う。
さすが体育委員会、一年生でも私よりよほど体力があるらしい。先導してくれる金吾に遅れないように走っていたものの、そろそろ限界だ。

段々距離が開いて行くのがわかっても速度が上げられない。
一度足を止めて金吾を呼ぼうとしたのに、声が出なかった。膝に手をついて、ゼェゼェと荒れる呼吸を整える。浅葱色の制服が大分遠い。
今金吾を見失ったら、私まで迷子になりかねない。どうしよう。なにかないか。

制服をパタパタ叩いて思いついたのは愛犬を呼ぶことだった。
そうと決まれば、と懐を探るものの目的の笛がない。

(…………しまった)

竹谷の頼みがきっかけで使う機会が多かったから、飼育小屋に置かせてもらっているんだった。
でも犬笛を使う前は指笛で代用していたんだから、今も大丈夫だ、きっと。たぶん……音が届けば。
段々消極的になる思考を追い払う為に首を振って音を鳴らした。

ピュイィィィィィ!と山に響き渡る音に私自身がびっくりする。
まさかこんなに響くとは思ってなかった。
少しして近くの茂みがガサガサ動いたから、来てくれたのだと嬉しさのあまり愛犬の名前を呼びながらつっこんだ。

「うおっと!」

私の突進をものともせずに受け止めたこの人はどうみても影丸じゃない。もふもふはしてるけど。

「わたしが近くに居るってよくわかったな」
「――いえ、それは全くの偶然です」
「わかりやすい合図だったぞ!」

ぐりぐり頭を撫でてくる七松先輩は満面の笑みだけど、私の話は聞いてくれてないようだ。
忍たまは自分のペースで話を進める人が多すぎる…たまたま接している人がそういう人ばかりなのかもしれないが。
それはもう諦めている部分があるからいいとして、問題はこの体制と場所だ。

茂みにつっこんだ私は見事に七松先輩に体当たりをしてしまったのだけれど、何故か先輩の身体もろとも半分以上地面に埋まっている。よく見れば細く長い塹壕が七松先輩の後ろに続いていた。

「この塹壕、七松先輩が掘ったんですか」
「なあ名前、お前わたしの錘にならないか?」
「はい………………はい!?」
「重さも丁度いいし、やわらかいから持ってて気持ちいいし、わたしが楽しい!」
(えーと……?)

この人は満面の笑みで一体何を言っているんだろう。
金吾や四郎兵衛じゃ軽すぎるんだよなー、と続いた内容が理解できない。

七松先輩は呆然とする私を軽々持ち上げながら塹壕から脱出すると、私の両肩にぽんと手を置いた。

「――というわけで名前、体育委員会に入れ!」
「お断りします」
「なぜだ?」
「なぜって…それ委員会関係ありませんよね…?」
「うん、そうだな!」

先輩の話が理解できないながらもお断りすると、七松先輩はあっさり引き下がった。
――と思ったのに。

「わかった。では仙蔵に掛け合おう!」
「立花先輩はもっと関係ないですよね!?」
「まあとりあえずは三之助を捜すか。名前、さっきの鳴らしてくれ。短く三回な」
「……………………はぁ……わかりました」

ニッと笑みを浮かべる七松先輩を見ると実はわかっててやってるんじゃないかと思わずにいられない。
言われたとおり指笛を使うと、まず滝夜叉丸が。次に四郎兵衛と金吾が一緒に姿を現した。
あらかじめ決めていたわけじゃないだろうに、今の合図で集合できるのがすごい。

「三之助の気配はどうだ?」
「近くには感じられませんでしたね」
「僕たちもです」

自然と円を作る四人を見ていたら、七松先輩が突然私の腕を掴んで自分と滝夜叉丸の間に引っ張り込んだ。

「作戦会議のときは仲間内で円陣を組むものだぞ。お前も今は体育委員なんだから話に加われ」
「は、はい」
「さーて…、走り回ってればいつか見つけられると思うんだが」
「ならば三班に分かれることを提案します!」

手を組み指を鳴らす七松先輩に対し、サッと手を上げた滝夜叉丸が急いで意見をあげる。少し前にも見た光景だ。
確かに七松先輩の体力に合わせて延々走り回るのは辛すぎる。
私は益々足をひっぱりそうだし…滝の意見に賛成だ。

「では裏山と裏々山、裏々々山に別れるか。滝夜叉丸と金吾は裏々山、名前と四郎兵衛で裏山。見つけたら何らかの方法で合図すること。夕食の時間になっても見つからなかったら一度学園に戻る、いいな?」

七松先輩の指示に皆一様に頷く。いち早く消えた――本当に消えたみたいに見えた――先輩の居た場所に目をやって、すごいなぁと思いながらゆっくり息を吐き出した。

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