カラクリピエロ

0523


※両想い





前触れもなく部屋を訪ねてきた彼女は、開口一番に「紙を一枚ちょうだい」と言って懐から携帯用の筆を取り出した。
なにを始める気なのか疑問に思いながら、書き損じで再利用しようとしていた一枚を手渡すと、やけに神妙な顔をして紙を検分する。

「……おさまるかな」

ぽつりと呟かれた言葉の意味を問おうとした途端、彼女は「ありがとう雷蔵」と笑顔を見せて、空いていた三郎の文机を勝手に占領しだした。

「なに書いてるの?」
「手紙。雷蔵に」
「…………うん?」

いま、僕にって言った?
わざわざ部屋まで来て、目の前にいる相手に手紙を書き始めるってどういうことだろう。

名前
「完成したら渡すからそれまでは見ちゃ駄目」
「いや……直接言ってくれていいんだけど」

既に筆を動かしていた名前は、僕の言葉に一旦動きを止める。
それから僕を見て「うーん…」と小さく唸って微かに首を傾けた。

「私はいいけど、たぶん雷蔵が困ると思うよ」
「…なにを言う気なの」

警戒して身構えると、彼女は楽しそうに笑う。
その笑顔は可愛いのに、直接言えないような厄介ごとを含んでいると思うと複雑な気分になる。かといって彼女の行動を止める気は起きないあたり、惚れた弱みかなぁと苦笑してしまった。

「おまたせ」

手紙と言っていたわりに、渡したときとほぼ同じ状態で手元に戻ってきたのを見て、少しだけがっかりした。

(…別に、恋文がもらえると思ってたわけじゃないけどさ)

――これじゃあ単なる覚え書きみたいだ。
そう思いながら渡された紙に目を落とし、書かれた内容を理解しきれないまま反射的に彼女を見た。
目が合うと、微笑んでにじりよってくる。その間にも今見た文面が脳内でぐるぐる回って、僕に理解を促していた。

“友人の話を聞いて、私も雷蔵からの接吻が欲しくなりました。たまにはあなたに求められたいのですが、どうでしょうか”

渡した紙が小さかったのか、ぎゅっと詰まった文字はそんな形をしていた。
咄嗟に考えられたのは、誰にも見せずに取っておきたい、ってことだけだ。

「…どうでしょうか」

手紙(と彼女が言うならそうなんだろう)に書かれた締めの言葉が名前の口からも出てくる。普段滅多に聞くことはない丁寧語。

「…………いや?」
「ま、待って名前。僕、まだ理解できてない」

僕の膝に手を乗せ、まっすぐに見つめてくる彼女の視線に戸惑って身体がのけぞる。
名前はそんな反応を見越していたかのように、ふふ、と笑いながらますます距離を詰めてきた。ほんのり頬を染めたその表情がかわいい。

膝の間に収まった彼女が僕の肩に頭を乗せる。反射的に名を呼ぶと「はい」と畏まった返事をされた。
なんかもう……なんだろう、これ。心拍数は上がりっぱなしだし、うまく言い表せなくて苦しい。
たまらずにそっと腕を回せば、嬉しそうに頭を摺り寄せてくる彼女の反応でますます体温が上がる。

「あの、さ、名前
「なあに」
「……抱きしめても、いいかな」

勢いでつぶしてしまいそうなのが怖くて、力を入れる前に尋ねる。
別に名前を抱きしめるのは初めてじゃない。なのに、自分とは全然違う柔らかさと一回り小さい身体にはいつも戸惑ってしまう。

名前は互いの顔が見える位置まで上体を離すと、表情を緩めてから僕を受け入れるように腕を広げた。
彼女の身体に沿わせていた腕を囲いにして少し狭めると、耳元でくすくす笑う声がする。
雷蔵、と僕を呼ぶ声には甘さがにじみ、嬉しさと一緒に湧いたよくわからない衝動で身体がこわばった。

「そうやって聞かれるのも好きだけど、聞かなくてもいいのに。私はいつもそうでしょう?」
「…うん」

楽しそうな、嬉しそうな彼女の声で肩から力が抜ける。
そのまま名前を引き寄せて、腕の中に納めてから、ゆっくり息を吐いた。あたたかくて、やわらかくて…ドキドキする。

「雷蔵は私がいきなり抱きつくの嫌?」
「まさか。びっくりするけど、嬉しいよ」
「よかった。いつか、雷蔵も私をびっくりさせてね」
「…………頑張る」

当たり前みたいに“いつか”を待つ気でいてくれる彼女に愛しさが募って、妙な返事をしてしまった。
名前は僕の返事に「頑張らないで」と言いながら笑う。
思わず顔を覗き込むと、彼女は笑顔のまま腕を伸ばし、僕の首の後ろで指を組んだ。

「意識しなくていいの。確認を取る余裕なんてない状態の雷蔵が見たいんだから」
「それ、は…」
「…ふふ、難しいでしょう。だから、頑張るのは私の役目」

優しくて穏やかな声とは裏腹に、その瞳からは熱を感じてドキッとした。
彼女はくのいちの卵だったなぁ、なんて改めて考えながら首に触れている細い指を意識してしまう。
同時に、さっきもらった手紙の内容が脳裏をよぎる。嫌か、と聞かれたことも。

「――いやなわけ、ないじゃないか…」
「雷蔵?」

顔が熱くて、一度強く目を閉じる。
いま、きっと自分の顔は赤い。だけど、あんな風に直球で求められて応えられないほうが、よっぽど格好悪いと思うから。

名前…僕は、きみが好きだよ」

彼女の瞳を見つめて、湧き上がる気持ちを口にする。
名前はわずかに目を見開いて二度瞬きをした後、頬を染めながら微笑んだ。
その表情に後押しされて、ゆっくり距離を詰める。

「こうして名前に触れるのは好きだけど、少し怖いんだ。加減を間違えたら壊しちゃいそうな気がする」
「…雷蔵、私、けっこう頑丈だよ」

額を触れ合わせると、名前がくすぐったそうに笑って言うから、つられて笑いながら相槌を打った。

「わかってるつもりなんだけどね…なかなか慣れないや」
「じゃあ…慣れるまで、触って確かめて」

甘さを含んだ声が背筋を震わせる。
名前は僕の頬に触れながら、彼女自身の頬もじわじわと赤くしていた。

――ドキドキする。
自分の鼓動がうるさくて、喉が渇く。
上体を屈めて赤い目じりに触れると、鼻先に彼女の髪の毛がかすってくすぐったかった。

「…………雷蔵」
「っ、ご、ごめん!!」

自分の行動を振り返って、血の気が引く。
咄嗟に離れようとしたものの、名前に装束を握られていて無理だった。

「ちがう」
「え」
「ちがうでしょ」

ぎゅっと僕の装束を掴んだまま、見上げてくる彼女は不満そうな顔で文机の方へ視線を投げた。
促されるまま目をやれば、机の上に転がる筆がある。
あれは、名前が手紙を書くために持ち込んだ携帯用の筆だ。

「…………もっと、言わないとだめ?」

弱まる口調と、下がっていく視線に慌てて謝ると、どうして、と問い返された。

「どうして謝るの」
「がっかりさせたかと思って。あと、言わなくても…だいじょうぶ」

意識すると途端に緊張して声がうわずる。
名前からのいぶかるような視線を受けながら、そっと頬を撫で、そのまま指を滑らせて彼女の唇に触れた。

「……口付けても、いい、ですか?」

思わず敬語で聞く僕に、名前は数回瞬いてから僕の手に触れ、柔らかく微笑みながら「はい」と返事をしてくれた。

顔を近づけて、触れあう寸前に息を止める。
震えそうになるのを意識しないようにしながら、ようやく彼女の唇に触れた。






「…他の子と練習したら許さないから」
「いきなりなんの話?」
「雷蔵は女の子に慣れてないって話をしてたでしょう」
「女の子というか…名前に、ね」
「早く慣れてほしいけど、私以外は駄目。誘われても断ってね」
「うん……いや、その前に練習とかしないから」
「私とも?」
「そ、れは……また、別と、いうか……」
「…………」
「うぐっ、あのさ…名前。いきなり体当たりはやめない?」
「やめない」

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