カラクリピエロ

よく効くくすり


よく効くくすり(前編)





ここ最近仕事仕事で忙しかったが、久しぶりに時間が出来た。
都合上移動が多く、自分から一方的に手紙を送るだけで彼女の様子を知ることはできなかったけれど、元気にしているだろうか。

――久々に逢える。
気が高ぶって緩む顔を意図的に引き締める。
咳払いを一つして学園の門を叩けば、馴染みの声が出迎えた。

「あれ、利吉さんじゃないですか。お久しぶりですねぇ。あ、入門票にサインお願いしまーす」
「やあ小松田くん。名前はいるかい?」
名前さんなら――」

渡された入門票に筆を走らせながら目的だった相手の行方を聞くと、小松田くんは「あはは」と笑って後頭部に手をやり事務の部屋を見た。

「小松田くーーーん!小松田ーーーー!!どこ行ったのまったく!!」

「――すっごくお怒り中です」
「…君を呼んでいるようだけど?」
「さっき墨を書類の上にこぼしちゃって~」

まいったなぁ、と困ったように笑っているけれど、名前のあの怒り様は相当だと思うんだが。
段々遠ざかって行く声にハッとして、サイン済みの入門票を小松田くんに押し付け、声を追うことにした。

見晴らし重視で屋根の上を走っていた私は、乱太郎・きり丸・しんべヱを呼び止める名前を発見して足を止めた。

「そこの三人組。小松田くん見なかった?」
「小松田さんですか?こっちには来てません。見てないよね?」
「うん。名前さん、門の方じゃないっすか?ちょうど誰か来てたのかもしれないし」
「小松田さんそういうのはすごいもんね~」

名前はきり丸の言葉を聞いて片手で顔を覆い、唸り声をあげた。

「そうかも…っていうか、まずはそっちを見るべきだったよね。なんで気づかなかったんだろ」
名前さん、小松田さん今度は何したんですか?」
「書類に墨こぼしたうえに、それで足を滑らせて転んで、処理済だった書類の雪崩を起こして事務室ぐちゃぐちゃ」

話を聞いて乾いた笑いをこぼす三人組。
それを耳にしながら、小松田くんの報告よりよっぽど酷いらしい状況に思わず額を押さえてしまった。
改めて名前の様子を伺えば、彼女は彼らにつられるように笑いをこぼして俯く。

「――名前
「「「利吉さん!!」」」

呼びかけながら屋根から飛び降りたら、彼女に近寄る前に三人組に詰め寄られてしまった。
反射的に挨拶しながら片手を上げる。

「や、やあ、久しぶりだね」

また山田先生に会いに来たんですか?山田先生ならさっき教室で見ました、部屋に戻るって言ってなかったっけ等々――父について聞かせてくれるが、今日の目的は父ではない。

「……うそ…仕事、忙しいって…」

名前は驚いた顔で私を見て、独り言のように呟く。
傍にいた三人組は名前の声に反応して彼女を振り返り、結果的に私を解放してくれた。

「ようやくひと段落ついたからね、癒されに――!?」

駆け寄ってきた名前にぶつかられた衝撃と、小さく聞こえた「お帰り」に何度も瞬きを繰り返す。
目を閉じて彼女のぬくもりと匂いを感じながら、その背にゆっくり腕を回した。

「おっ」
「わぁ…!」
「…えっと…わたしたちは行こうか」
「いいとこなのに」
「きり丸」
「ほら、行こうね」
「いてっ、引っ張るなよしんべヱ!」

こそこそ話す三人組のやりとりに名前がびくりと震える。
この行動は衝動的だったんだなと思ったら嬉しくて、放すどころかより強く抱き締めてしまった。

「利吉さん」
「いいじゃないか、せっかく気を遣ってくれたんだし」
「利吉さんはよくても、私は明日からも毎日あの子たちに会うんですけど…」
「見られた時点で手遅れだよ」

私の胸に額を押し付けて、諦めたような溜息を吐き出す名前に笑う。
名前は少しの沈黙の後、顔をあげて私の両肩を押した。

名前?」
「続きはまた後でお願いします!私、小松田くんを見つけて事務処理しないといけないので」
「……小松田くんなら事務室に戻ってると思うよ」
「やっぱり門の方だったんだ……あの、終わるまで待っててくれますか?」

すごく待たせちゃうと思うんですけど、と付け足されて思わず苦笑する。
私がなんのためにここに足を運んでいるのか、彼女はわかってないらしい。

「待ちますよ、あなたのためならいくらでも」

笑顔で茶化して言えば、名前は苦笑と困惑とが混ざったような、複雑な表情を浮かべて眉間に皺を寄せた。

「…なんか、むず痒いです」
「ははっ、私も行っていいかい?」
「狭いしお茶くらいしか出ませんけど、それでもよければ」
名前がいるじゃないか」
「………………がんばります」

謎の返答に名前を見れば、彼女は私の方ではなく、地面を見つめながら微かに頬を染めている。
仕事を早く終わらせるということかなと自分に都合よく解釈して、名前に気づかれないように笑った。




よく効くくすり(後編)


「こーまーつーだーくーん」
「お、お帰りなさい名前さん。利吉さんもいらっしゃいませ」
「どうして……どうしてさっきより散らかってるの!!」

誤魔化し笑いで出迎えた小松田くんの首根っこを掴み、荒らされている部屋を示して説明を求める名前に慌てて謝る小松田くん。
部屋の惨状を見渡して、これは酷いなという感想しかでてこなかった。

名前さんが戻ってくるまでに片付けようとしたんですけど、こっちをまとめていたら反対側が崩れて、それを慌てて止めようとしたら今度は別のところが」
「わかった、もうやめて……」

力の抜けた声音で遮る名前ががっくり肩を落とす。
かける言葉が見つからず、ただ慰めるように肩を抱くと名前は勢いよく首を振って私を見上げた。

「ごめんなさい利吉さん。ここに座って待っててください、今お茶用意しますね」
名前、」
「大丈夫です、慣れてますから!」

比較的綺麗な机周り(名前が使っている場所だ)を示して笑い、小松田くんには掃除道具を持ってくるように指示を出す。

「は、はい、すぐ行ってきまーす!」
「待って、急がなくていいから無事に、普通に、戻ってきて!」

飛び出そうとしていた小松田くんの腕を掴んで、噛んで含めるように言い聞かせる名前
それに何度も頷く彼とのやり取りを見て頬が引きつった。

(平常心…、それくらい簡単だろう)

自身に言い聞かせながら頬に手をやり、溜息混じりにほぐす。
それから私のために茶の準備をしようとしていた名前を引きとめ、手伝いを申し出た。

「だ、駄目ですよ!」
「もちろん重要なものは見ないと約束するよ」
「そうじゃなくて、利吉さんは仕事三昧で疲れてるでしょう?ここにいるときくらい、おとなしく休んでてください」

ピシャリと言い切られて僅かに気圧されたものの、それなら尚更引くわけにいかない。

「さっきも言ったと思うけど」
「?」
「私は、君に、疲れを癒してもらいにきたんだ。だから名前の仕事が終わってくれないと困る」

名前は驚いたあと嬉しそうに笑って、それならと一部を任せてくれることになった。

+++

「――名前さんお待たせしましたー!」
「怪我してる……」
「でも言われたとおり、道具はちゃんと無事ですよ!」
「私はあなたも含めて無事にって言ったつもりなんだけどね」

バタバタ騒がしく戻ってきた小松田くんは、何故か顔に擦り傷を作ってきた。曰く困っていた生徒がいたから手伝いをしてきたせいらしい。

名前は溜息をつきながらも手際よく救急箱を用意して(常備されている辺り普段の苦労がうかがえる)さっさと小松田くんの手当てを進める。

名前、私が代わるよ」
「? これくらいすぐ終わりますよ、慣れてますから」
「またか……」

ついこぼれてしまった呟きは小松田くんの悲鳴が打ち消してくれたが、胸にくすぶった苛立ちは消えてくれない。
自分はこんな風にしてもらったことなんて一度もないのに、小松田くんは“慣れる”ほどあるというのがまた気に入らない。

だからといってわざわざ怪我をする気はないし、実際怪我をしたとしても心配させるのが嫌だから知らせないだろうと思う。

「はあ……」
「悩み事ですか?」

いつの間に治療を終えたのか、小松田くんは名前から任されたらしい紙の束を手に首をかしげている。名前はと視線を走らせると、ちょうど救急箱を仕舞って掃除道具を手に移動しているところだった。

「…………まさか、君を羨ましいと思う日がくるなんてね」
「り、利吉さんが!?僕を!!?」
「声がでかい!!」
「ふぎゃっ」

反射的に持っていたボードを小松田くんの顔に叩きつけてしまい、慌てて謝る。彼は赤くなった鼻をさすりながら「大丈夫です」と言ってくれた。

「どうしました?」
「ちょっと雑談をね。そうだよな小松田くん」

雰囲気を察知してか、近づいてきた名前に笑顔で答え、小松田くんには話を合わせろと視線を向けた。
何度も頷く小松田くん(幸いにも通じたらしい)に訝しげな表情をしたものの、名前は“まあいいか”と仕事に戻っていった。

名前さんに言いたかったんですけど、駄目ですか」
「駄目に決まってるだろう」
「ええ~」

「小松田くん、これなに!?」

「は、はい!?あ、それは吉野先生から預かった――あれ?今日までって言われてたような」
「どうして忘れてるの!もうそっちは後回しにして先にこれやって!」

不満そうにしていた彼は、名前の発見した事務仕事の方に気をとられ、私の話は無事に吹っ飛ばしてくれたようだ。
代わりにまた名前が小松田くんの世話を焼く様を見せられることになってしまったが。

何度も“いつものこと”だと言い聞かせてはみたものの、それ自体も苛立ちを誘っていることに気づいて溜息が出る。

――結局、見ないように任された仕事に熱中するという逃げ道を取るしかないのか。

「…………利吉さん」
「ああ名前、こっちは私に任せてもらって構わないよ。これくらいならすぐに――」
「……ちょっとだけ、気力回復させてください……」
「ん?」

背中にぴたりとくっついた体温と、腹に回された腕に少し驚く。
ゆっくり息を吐き出す名前が、甘えるように背中に頭を押し付けてくるのがくすぐったかった。

「利吉さん、“がんばれ”って言って」
「じゃあ一旦放してくれないか?」
「……嫌です」

名前の顔を見て言いたかっただけなのに、彼女は腕の力を強くする。

――名前を癒せるのが私の特権か。

緩む口元をそのままに、私は名前の手を覆うように自分の手を添えて、要望どおり「頑張れ」と口にした。






「あの、いつもはこんなんじゃないですから」
「へえ?」
「だって、甘えたくなるじゃないですか…久しぶりだし」
「あとでもう一度じっくり聞きたい話だね」
「そういえば、利吉さんいつまでお休みなんですか?今日は大丈夫なんですよね?」
「もちろん。名前とゆっくり過ごして次までの補充をしていくつもりだよ」

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