※竹谷視点
※メイン『質疑応答』から分岐
どん、と足元に衝撃を受けて心臓が跳ねる。
ぼんやりしていたせいで「うおっ」と気の抜けた声をあげてしまったが、幸いにも近くに後輩はいなかったようだ。
ほっとしながら視線を下げれば紐を口にくわえた影丸――名前の飼い犬が、催促するように鼻を鳴らした。
「そういやお前、いつもは紐使ってないよな?」
しゃがんで散歩用の紐を受け取りながら、独り言のようにこぼしたら影丸が再度鼻を鳴らす。
丸い目と合わさってどこか自慢げに見えるそれは『どう、すごいでしょう』と笑いながら胸を張る名前を思い出させてつい吹き出してしまった。
当番の生物委員と分担して、学園の忍犬といっしょに裏山の方を回る。
名前は裏山に放してくれればそれでいいと言っていたが、万が一戻ってこなかったら困るし、山の事故に巻き込まれないとも限らないわけで――こうしてまとめて散歩させている。
初日はさすがに渋っていたが俺と散歩に行くことを理解したのか、二日目からは素直にしたがってくれるようになった。
餌と、散歩のときだけという制限はあるものの、飼い主に似たわかりやすさは憎めないものがある。
その飼い主はといえば、必要以上に深い塹壕だか落とし穴だかに落ちて足を挫くというアホなことをしでかして療養中だ。
「――……告白、なぁ」
前を歩いていた忍犬が何匹か振り返ったことで自分が声に出していたことを自覚する。
吐き出しそうになった溜め息をぐっとこらえて、紐を揺らして走るよう促した。竹谷先輩!?とすぐ後ろから声がして注意が逸れる。しまったと思ったがもう遅い。ぐんと勢いづいた犬たちに引きずられるようにして頂上まで行く羽目になった。
『今日くのたまに告白された』
その話を聞いたとき、直前までなんの話をしていたのかを忘れた。
夕飯も終わって食堂内でだらだらしていたから、きっと記憶にも残らない些細なことだったんだろう。
だいぶ遅くにやってきて、さらっと爆弾を落とした兵助は豆腐を食べながら「今日も美味い」とか言っていたと思う。
兵助の様子と内容の噛み合わなさのせいで理解するのに時間がかかったのを覚えている。
くのたまは怖いけど、それでも女だ。
俺たちはいわゆる思春期ってやつで、俺だって大多数の例にもれず男女のイロゴトもろもろに興味がある。
で、その絶好の機会とも言える告白を、わかりやすく直球で“好きです”と告げられた(らしい)のに。なんで兵助は平然としていられるのかわからない。
淡白というか…女よりも断然豆腐を選びそうな友人が他人事ながら心配になった。
話を聞くうちに判明した相手――名前の名前が兵助の口から出てきた時、最初に思ったのは“なんで”だった。
苗字名前はくのたまではあるが知り合い…いや、俺の方は友人だと思ってる。なのに名前が兵助のことを好きだなんて話は聞いたことがない。
なんで俺に言わなかったんだ。相手が兵助なら協力してやれたのに。
そんなふうに考えて、胸の中にもやもやとしたものを感じた。
胃が重くなるような感覚は友人から相談を受けられなかったせいだろうか。友人への独占欲なんてとっくに卒業したはずだが。
「…………名前が女だから特殊なのか?」
「急になに」
散歩も終わり、報告がてら――これは頼まれたわけじゃないが、名前が聞きたいだろう&影丸も飼い主の顔をみたいだろうという俺の配慮だ――居場所を捜して辿りついた医務室で、本人を前にしたら考えていたことが口から出た。
「よくわかんないけど、私いま喧嘩売られてる?」
名前は目を眇めて懐から犬笛を取り出す。修理から戻ってきたのか…なんて考えてる場合じゃない。
開け放したままの戸口には今か今かと尻尾を振って前足を縁側の淵に乗せている影丸が見える。
「苗字先輩、“激しい運動は禁止”ですからね」
当番らしく咎めるように言う川西左近に「はーい」と明らかに形だけの返事をして、吹き口を唇へと運ぶ。
ふに、と柔らかく笛を受け止める唇からなぜか目が離せなくて、“吹くよ”と言いたげに視線だけを上げる名前と目が合った途端、ぎくりと肩が揺れた。なにしてんだ俺。
「竹谷?」
「あー、あー…っと、なんでもない!から、気にすんな!行くぞ影丸!」
「え!?ちょっと待って、なんで?私まだ撫でてないのに!」
「苗字先輩」
「う……でも、すぐそこに行くだけだもんいいでしょ?肩貸してよ左近」
「えぇ…」
「お願い保健委員!」
だって苗字先輩重いです、と呟いた川西に、名前はひゅっと息をのみ崩れるようにして蹲った。
両手をつき、丸まった状態でひどいひどいと恨み節を吐き出す声が、怨嗟をはらんでいて怖い。
「おい名前」
「だって、だってそんなの仕方ないでしょう……私、左近より大きいんだから」
「わかってんなら無茶言ってやるなよ。ほら肩なら貸してやるからしっかりしろ、余計に足痛めるだろ」
見かねた俺はひとつ溜め息を落としてから名前の腕を引き上げて、なかば担ぐようにして支える。
ぐんにゃりしたままの身体が予想以上に軽くて慌てて手を添えたら、今度は柔らかさに驚かされて心臓が変な音を立てた。
動揺している俺を余所に、ぶつくさ文句をこぼしていた名前の話はいつのまにか忍たまへの愚痴に移行している。
忍たまは全体的にくのたまに対して優しさが足りない、デリカシーがない、扱いが雑で非協力的。
「そんなのお互い様だろ」
「私たちはいいんだよ、女の子だもん」
「…………お前、そういうとこはしっかりくのたまだよな」
縁側に到着し、腰をおろす名前に合わせて屈む。
名前は座りながら影丸を誘導して怪我してない方へ移動させると、その頭をひと撫でしてこっちを見上げてきた。
反射的に身構えた俺に僅かに目をみはり、ニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
「な、なんだよ」
問えば、名前は急に表情を入れ替えて嬉しそうに笑った。
ふにゃりと崩れた笑顔と緩んだ空気に一瞬息が詰まり、ドキッとした――きっと不意打ちで触れたことで“女の子”を意識してしまったせいだ。手のひらに残っている感触を持て余して首の裏を掻く。
相手が名前じゃなくても、くのたまに触れたらこうなるに違いない。そうじゃなきゃ困る。
――――困るって、なにが?
「ありがとう竹谷」
「……は?」
「この子の世話もだけど、さっきも手貸してくれたから。竹谷って結構面倒見いいよね」
言うだけ言った名前は愛犬の方に向き直り、耳のあたりを掻くように撫でてやりながら「散歩は楽しかった?」と聞いている。影丸は答えるように一声鳴いて尻尾を大きく揺らした。
助かった、と無意識に息を吐き出していた俺は、この場にうずくまって頭を抱えたい気分だった。
困るとか、助かったとか……意識しすぎてる。
こいつは強くて怖い“くのたま”って生き物で、忍たまをていのいい実験台としか思ってない集団の一人だ。友達(俺)に対してだってときに非情で非道になれる――…はずだ。名前には目立つほど酷いことをされた覚えはないが、きっとそうに違いないんだ。
「――面倒見って言えばさ、久々知くんもすっごく優しいよね」
「あ?」
一人でうんうん唸っていたから、名前の言ったことがすぐに入ってこなかった。
「兵助がなんだって?」
「毎日会いに来てくれる」
「は…?兵助が?」
「そう!」
影丸を撫でていた手を止めて、感極まったように抱きしめる。キャン、と苦しげな声があがり「うわ、ごめん!」と謝るまでを眺めてから、毎日?と問いを重ねた。
「最初は偶然かなって思ったんだけどね。くの一教室の敷地に近いところで会うことが多くて、確かめるみたいに見るから……気づいちゃった」
縁側に降ろした足――怪我してる方をぷらりと揺らす名前はどことなく浮かれているように見えた。
「でね、心配そうに“どこに行くんだ?”って聞いてくれるんだよ…………――なんで変な顔してるの」
「いや…意外っつーか…」
答えながら、鈍器で頭を殴られたような感覚に動揺する。
兵助がそんなまめなことをしてるなんて知らなかったけど、こんなに衝撃を受けるほどの話でもないはずだ。
らしくないとは言わないが、その優しさが知り合い程度のくのたまに発揮されるのは意外かもしれない。
「実を言うとさ、ちょっと、不安だったんだ」
「……なにが」
「…………私、久々知くんに好きって言っちゃったでしょ?」
――そうだった。
つい先日、兵助と名前は“知り合い程度”の仲じゃなくなったんだ。
まさか告白現場に居合わせる羽目になるなんて思ってなくて、焦って勘右衛門と目くばせし合ったのを思い出す。
「諦めません宣言しちゃったも同然だし、引かれて避けられるんじゃないかって、皆が帰ったあとに気づいてさ……明日一日だけでもどうにかしてくださいって善法寺先輩に八つ当たりしちゃった」
「お前…」
「まあ、あっさりいなされたんだけどね。はいはい安静期間延長されたくなかったら言うこと聞いてくださいねーって笑顔で。善法寺先輩って私の扱い雑すぎない?」
「いや、知らねぇよ」
ふふ、と小さな笑い声につられて名前の横顔を見ると、ほんのり目元を染めてはにかむように微笑んでいた。
「でも、次の日“時間空いたから”って普通にお見舞い来てくれたから、私ちょっと泣きそうだった」
そう言った声が泣きだす前兆のように震えているような気がして、咄嗟に視線を足元へ逃がした。
気まずい以上に、泣く名前を見たくないという気持ちが強い。息苦しくて、俺が耐えられそうになかったからだ。
怪我をした日から三日間、名前は医務室で安静を言いつけられ、その後もしばらくは運動を控えるように言われたというのは知ってる。
実際名前はおとなしくしてたし、影丸の散歩も俺が引き受けてるし、早く治そうという意気込みなのか今みたいに医務室にいることも多い。
(…兵助の方から顔見せてたからか)
「久々知くんは巻き込まれただけなのにね。怒らないし、気を遣ってもらうの申し訳ないなーって思うんだけど、会えるのが嬉しくてなんにも言えないの」
もういい、聞きたくない。
ふっと浮かんだ言葉を押しとどめるように口を覆う。ギリ、と奥歯を噛みしめて、よく分からない衝動に口を覆った手のひらを握りしめた。
(…………なんだこれ)
今すぐ、耳を塞ぎたい。
ふにゃふにゃというか、ふわふわというか、浮かれた空気を漂わせて頬を染めている名前の口を塞いでしまいたい。“それ”は俺が知るくのたまの顔じゃなくて、まるで普通の――
「竹谷?どうしたの、具合悪いの?」
「っ、いや、なんでも…ない」
「…………そうは見えないけど。左近に診てもらったら?」
「平気だって。それより、そろそろ夕飯だろ。そいつ戻してくるから名前も」
名前の返事を待たずに立ちあがると、廊下の奥から微かに足音が聞こえた。
反射的に視線を投げれば向こうも同時に反応して小さく手を上げた。
「兵助」
「え!?」
ぐるん、と名前が勢いよく首を捻る。
結われた髪が勢いづいて俺の脛を叩くのもお構いなしで、口が金魚のようにパクパクしていた。
「八左ヱ門も苗字の見舞いか?」
「俺はただの報告。焔硝蔵はそっちじゃねぇよな?」
「ちょっと先輩に呼びだされてさ……苗字、これ立花先輩から預かってきた。“至急確認すること”だって」
「あ、ありがとう。…………あの、ごめんなさい」
「? なにが?」
「…これ、たぶん、そんなに重要なものじゃないと思う」
「そうなのか?でもついでだったし、気にしなくていいよ」
そう言って笑う兵助から冊子を受けとったまま動かなくなった名前に、追い打ちをかけるように兵助が「苗字?」と声をかける。途端、びくりと震えた名前は受けとったばかりの本に顔を隠すように俯いて、何度もこくこく頷いた。
玩具かと一言つっこんでやりたいのに、口が上手く動かせない。
兵助にしたって“ついで”ってことはわざわざ名前を捜してたってことだ。
からかって肘で突いて、そのまま退散すればいいのに――ズキズキと普段は痛まない場所がうずいて苦しい。
「…………読めない」
「あ、そういえば暗号にしたって言ってたな」
「余計なことを…」
ぼそりと呟かれた声にハッとして焦点を合わせると、兵助が名前をチラリと見て微かに笑ったところだった。
見逃してしまいそうなくらいの小さな変化に嫌な感情は乗っていない。どちらかというと“微笑ましい”と言いたげというか、妙に和んでいる雰囲気で――どうして偶然気づいただけの俺が居た堪れない気分にならなきゃいけないんだ。
馬鹿馬鹿しくなって、乱暴に頭を掻くと兵助を呼ぶ。
続きを促す視線を受けてから名前を指差し、次いで医務室内の川西を示す。暗に室内に戻すのは任せたと示してから「食堂で待ってる」と伝えて縁側から直接外へ降り立った。
暗号文に集中して唸っている名前に構ってもらえないのがわかっていたのか、草むらに鼻をつっこんでいた影丸を呼ぶと存外素直についてきてくれた。
「あー…………マジかー」
二人が見えなくなるまで歩いたところで大きく息を吐き出す。
その場にしゃがむと影丸がきゅう、と鳴いて鼻先を擦りつけてきた。
「…………なあ。俺お前のご主人が好きみたいなんだけど」
小声とはいえ、声に出したらしっくりきて…同時に笑いたくなった。
影丸はお座りの姿勢で、わからないと言いたげに首を傾げる。そんなところも名前に似てる…なんて、溜息をつきたくなる思考に苦笑しながら軽く首元を撫でた。
なんでよりによって名前なんだよ。
自覚した途端、失恋確定じゃねぇか。
これで名前が俺の全く知らないやつに惚れてるんだったら、横からちょっかいを出していたかもしれないが――
「兵助はいいやつだからなぁ」
言いながら、名前から聞いた話や二人でいたところ、名前を見て微笑んでいた様子を思い出す。
今まで全くといっていいほど色っぽい話とは無縁だった男が。豆腐以外にもああいう顔を見せるのかと若干失礼なことを思ったりもした。
あのマメさは名前が怪我した現場に居合わせたとか、三郎の気遣いによるあれこれで泣かせたとかも理由だったりするんだろうか。
いずれにしても、あんなの脈なしどころか。
「時間の問題ってやつだろ」
わん、と答えるように大きく鳴いた影丸の頭を撫でながら、喉からせり上がって目から溢れだしそうになる熱い塊を飲み込んだ。
兵助と名前は、傍から見ているとじれったくなる関係を築いていた。
名前は開き直っているせいか堂々としたものでわかりやすいし、兵助は無自覚ながらあからさまに名前を特別扱いしている――もちろん、女として。
さっさとくっついちまえ、と思うのに素直に背中を押してやることができない。
協力してやれる、なんて豪語していた自分はとっくにいないけれど、邪魔する気も全くなかった。
「竹谷、見て見て空中キャッチ!」
「おー……いや、それ役に立つのか?」
「立つよ、きっと。あ、久々知くんだ!」
意識と一緒に持っていたおもちゃまで兵助に投げつけた名前が慌てる。
驚きつつも危なげなくそれを受け止めた兵助の足元に犬が群がるのを見ながら、混ざりたそうにしている名前の背を叩いてやった。
「痛っ」
「今更なに遠慮してんだよ」
「見惚れてただけだもん」
「…………お前ほんっと恥ずかしいな!」
「うるさいな!だって久々知くんかっこいいでしょ!?」
「俺に同意を求めんな!!いいから混ざってこいよ、視線が痛ぇから」
追い払うように手を振って、眉間に皺を寄せる名前から兵助へと視線を移した。
ぎくりと肩を跳ねさせた兵助がぎこちなく目を逸らす。そんな自分の反応が理解できなかったのか、口元に手をやって考え込む仕草を見せていた。
(…鈍いよなー、あいつも)
人のことは言えないが、きっと…いや絶対俺よりあいつのが鈍い。
名前の呼びかけにハッとして表情を緩める兵助を見ながら、笑って名前を送り出せた自分に安心した。
手振りを交えながら談笑する二人はお互いに嬉しそうというか幸せそうで微笑ましい。
だけどあれが友人同士だと言って信じるやつがどれだけいるのか、疑問に思うくらいには空気が甘ったるくなってきた。
際限なく放出される甘さに胸やけを起こしそうになって、緩く首を振る…………やっぱり、後押ししてやるべきだろうか。
自覚してくれればいくらか抑えてくれるんじゃないかと期待しながら、二人に背を向けてゆっくり息を吐き出した。
――そうしてくっついた後二人を見て言ってやるんだ、“俺のおかげだろ?”ってさ。
「八左ヱ門…お前、名前のこと好きだよな」
「ぶっ」
「汚いな!!」
「おま…お前が、急に変なこと聞くからだろ!」
「で、好きだろ?」
「あー…まあ…、」
「…………」
「…………」
「………………」
「………………」
「……………………八」
「~~~~っ、ああ、そうだよ、すきだよ。そういう、意味で」
「そうか…」
「……他に言うことねぇの?」
「確認したかっただけだから別に」
「手出すな、とかさ」
「出す気があるのか?」
「これっぽっちもねぇよ!」
「だと思った。けど、もし名前に手出したら八でも容赦しないからな」
「笑いながらぶっそうなこと言うな!!」
最後のは久々知と夢主がくっついた際の祝杯(という名の飲み会)にて。
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