雨の日オムニバス【竹谷八左ヱ門編】
「雨だねぇ…」
「雨だなぁ…」
シャーペンを振りながら「ものすごく降ってるじゃないですかー」と半笑いで続けた名前は日誌の上にそれを放りだしそのまま机に突っ伏した。
「なんで竹谷くん持って来てないの、天気予報見なかったの?降水確率80パーセントとか降るに決まってるじゃん」
「名前に言われたくねぇよ!女子は普通カバンに折りたたみ傘常備してるもんだろ!」
「偏見はよくないと思います。っていうかむしろ日ごろからモテたいらしい竹谷が折りたたみを持ち歩いて、困ってる女子、つまり私に“これ使えよ!”って爽やかに押し付けて自分はぬれ鼠になって帰るべき」
「…………お前って時々ほんっと馬鹿だよな」
「うわ…いま無性に泣きたい気分なんですけど」
竹谷の馬鹿、とふてくされたように唇を尖らせて、いかにもやる気のない字で日誌をつづる。今日の一言の欄には“平和でした”。
俺だってもう少しマシなこと書く、と思いながらもそれを指摘したりはしない。
「どうする、やむの待つか?」
「んー…どうせやまないと思うから帰るよ、明日休みだし」
制服濡れてもなんとかなると付け足して、大きなため息。
いっそのこと昇降口の傘立てに残ってる傘を一本拝借してもいいんじゃねぇかなと考えて、カバンを持った。
廊下へ移動しながら今日ばかりはこの軽いカバンに傘一本分の重みが欲しいと夢想していると、名前が自分のロッカーを開けて溜息をついた。
「ねー、竹谷のロッカーになにか役立つものないの?」
「例えば?」
「置き傘とか」
「あったら奇跡だな」
ひょいと投げられた飴玉に礼を言って、無造作にロッカーを開ける。
元から期待はしてなかったが、覗いた中身は案の定だ。教科書各種と滅多に開かれない辞書、体育館用のシューズ、長袖のジャージ、その他もろもろ。傘にやるスペースなんて端からない。
「名前、これ頭にかぶってけ」
「なに?って、やだ、これ洗ってないでしょ!」
「着てねぇやつだよ!!」
「えー。でも入れっぱなしだったやつじゃん」
ジャージを投げ渡すとすぐに投げ返され、反射的に匂いを嗅ぐ。
どことなく湿気臭いような気もするが、耐えがたいとか、そこまでじゃないはずだ。ズブ濡れで帰るよりはマシ…だと、思うんだが。
「職員室で傘借りられないかな」
雨のせいか湿った廊下を歩くとキュ、キュ、と音が鳴る。
生返事をしながら職員室を目指す途中、腕のあたりをつかまれて驚いた。
「滑って転ぶときに一人じゃかっこ悪い」
「巻き添えにするき満々かよ」
そこは“危ないから捕まってもいい?”とか言えばいいのに、こいつはつくづく残念女子だ。黙ってりゃわりと可愛いくせに勿体ない。
日誌を提出がてら傘を借りられないか聞いてみたが、タイミングが悪かったのか品切れとのことだ。
更に運のないことに昇降口の傘立てにも奇麗さっぱりなにもない。ぬれ鼠確定だ。
「はー…、走ってもどうせ濡れるってわかると走るのやだ」
「馬鹿、風邪ひくだろ。頑張って走れ」
「私は竹谷みたいに体力ないんだよ」
いつもの勢いはどこへ行ったのか、名前は力なく肩を落としてカバンをゆらゆらさせる。
俺はそれをひょいと取り上げ、名前の頭にジャージを被せるとその背中をトンと叩いて先に雨の下に飛び出した。
「ほら、諦めていくぞ!寮まで走れば5分もかかんねぇんだから!」
「え、ちょ、カバン!」
「お前何入れてんだよこれ!重すぎだろ!」
「竹谷のカバンがおかしいんだよ!」
言いあいながら土砂降りの中を二人で走る。
靴はぐちゃぐちゃ、当然ズブ濡れで肌寒いしで気分は良くなかったけど、女子寮のエントランスまで入っても咎められなかったこととか(なんかいい匂いした)、男子寮まで帰るための傘を借りられたこととか――
「…………ありがと。洗って、返す」
いつになく大人しい名前が俺のジャージを抱える姿にドキッとして抱きしめたくなったのは、新発見だったかもしれない。
1665文字 / 2013.07.16up
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