カラクリピエロ

scene.4 満月の夜は

※久々知視点





(――今日、か)

いつも通りの時間に目を開けて、数回瞬くだけで“その日”だとわかる。
朝起きた時のなんとも言えない感覚に苦い気持ちになりながら、普段よりも鈍い動きで身を起こした。
日が出ているときはまだマシな状態だとわかっていても、時間が経つにつれ色濃くなる吸血衝動を思うと気が重い。

「――兵助、今日休めば?」
「大丈夫だよ。毎回こうだろ?」
「いつもより酷く見えるから言ってんの」

朝の挨拶もそこそこに、隣で手際よく布団を畳んだ勘右衛門が手ぬぐいと歯ブラシを手に部屋を出ていく。
無理すんな、と言い置いて戸が閉じられるのをぼんやり眺めながら、無意識に唾を飲み込んだ――喉が渇いた。

学園という閉鎖空間での共同生活。それも同じ部屋で長い間過ごしていれば気づかれないはずもない。
妙に鋭いところがある勘右衛門に気づかれたのはいつだったか、芋づる式に仲間内にばれたのは――記憶を探ろうとして、今更意味のないことだと再び布団に身を沈めた。
満月の日は人外だということをこれ以上なく意識するせいか、思考もどこか投げやりだ。名前にあいたい。あいたい。あいたいのに、あいたくない。

味見と称して彼女の指からもらった血液は予想以上に俺を夢中にさせた。
舌が蕩けるような甘さ。頭の芯が痺れる感覚。考えることを放棄して味わった量は、思い返せば立派な“食事”だった。

(…………アレは、まずいよなぁ)

うっすらと染まる頬に、潤んだ瞳。
乱れた呼吸と、揺れる瞳の中に時折ちらついた欲の色に、彼女自身が戸惑って泣きそうになっていた姿。
途切れがちに俺を呼んで、小刻みに震えながら胸を押さえる名前を緩く抱きしめて「大丈夫」「変じゃない」「心配しなくていい」と繰り返し宥めた。
熱くて苦しいと必死に俺にすがりつき、何度も可愛らしい口づけをくれたおかげで、せっかく押さえこんだ諸々がこぼれて結局なかせてしまったっけ。
可愛かった、と回想していたらなんだか腰が重くなってきた。まぁ朝だし、名前の艶姿を思い描いた以上仕方ないだろう。
生理現象だと開き直り布団の上に転がって枕を抱える。あの時は深く考えないようにしていたけれど、やっぱりあれは俺のせいに違いないんだ。

「…けど催淫効果もあるなんて話、聞いてないぞ」
「朝っぱらから何言ってんの」

独り言に返ってきたツッコミで自分が声を出していたことを知る。横たわったまま勘右衛門へ視線を移せば、呆れたように言いながら遠慮なく俺を跨いで近道をした。
勘右衛門が授業の準備をすべく室内を移動する途中、水の入った竹筒を放られる。特有の乾きが満たされることはないけれど、無いよりましだと言ったことを覚えていてくれたんだろう。

「あ、そういやどこでやんの?ここ?名前の部屋?外?」

礼を言って起き上がり、手の中で筒を転がしながら中身を飲もうか逡巡していたが、飛んできた問いに溜め息が出た。他に言い方はないのかと勘右衛門の背を見やると、俺の視線を受けてか勘右衛門は肩を竦めて笑う。

「だって聞いとかなきゃ。最中に鉢合わせなんておれも名前も可哀想だろ?」
「最中とか言うなよ。そんなに時間かけるつもりない」
「………………」

不自然な間を怪訝に思っていると、勘右衛門は溜め息を零し、緩く首を振って「とにかく」と仕切り直すように声を出した。

「おれ今日は八のとこ泊まることにするから」
「…悪い」
「今度学園長先生のおつかい代わってくれればいいよ」

笑い含みに言う勘右衛門は、再度俺に向かって無理をしないようにと注意してさっさと授業へ向かってしまった。
一人残され、喉の渇きを覚えた俺はもらった水を一口飲む。当然ながら、渇きは癒えない。
溜め息混じりに項垂れて意味もなく筒を揺らす。
気を抜くとすぐにぼうっとする頭の中には、先ほど思い描いた名前の姿が浮かんで来てしまう。
もし今彼女が訪ねてきたら、間違いなくあの細腕を掴んでこの場に引きずり倒し、覆いかぶさるだろう。抵抗できないように両手を布団縫いつけて唇を塞ぐ。それから指先を使ってじっくりと身体の線を辿り、柔らかさを確かめて――

「いやいやいや、違うだろそれは」

頭を振ってわざと声を出す。立ち上がるとふらりと身体が傾いたけれど構っていられない。
ふらふらしたまま布団を畳んでしまいこむ。
喉が乾いた、名前の血が欲しい。でも今の状態で、あんな想像をした後で会うわけにいかない。
あの柔らかい身体に触れてしまったら、熱に触れてしまったら、抵抗なんて無視して気を遣う間もなく牙を突き立ててしまう。きっと…なんて予想じゃなく、確実に。

このまま部屋にいるのはよくない、やっぱり準備をして授業にでよう。もしくは、吸血衝動が薄い今のうちにいつも通り動物の血を取りに行くべきだろうか。
戸を引いて外に出た途端、日の光に立ち眩む。自分で思っているよりも長い時間部屋でぼんやりしていたらしい。
大きく息を吐き出して、どこかぼうっとした頭のまま顔を洗うべく共用の井戸へ向かう。顔を洗って歯を磨きながら、食欲はないのに喉だけが異様に渇いている状態が不思議だと他人事のように思った。

勘右衛門の言っていた通り、いつもより各器官の動きが鈍い気がする。身体は重いし、うまく頭が回っていない。
名前の味を覚えたせいかと脈絡なく思い付き、そうに違いないと勝手に納得した。

「――あ、久々知くん」

やけに時間をかけて制服に着替えて戸を引けば、目に入った名前の姿。こくりと喉が鳴る。心拍数と比例して体温も上がっていく。彼女の輪郭がぼやけて見えるのはどうしてだろうかと思いながら、彼女から立ち上る甘い香りに目眩がした。
どうして名前がここにいるんだろう。授業は終わったんだろうか、もしかして幻覚か?

「寝てなくて大丈夫?」

名前が紡いでいる言葉はわかるのに、なんだか籠もって聞こえる声と強くなる甘い匂いに気を取られる。
この匂いはどこからするのか。

「さっき勘右衛門から聞いて、つい……」

俺を見上げる顔に、わかりやすく心配だと書いてある。
それを嬉しく思うのと同時に、胸の内でざわざわと湧きあがる衝動を止められなかった。

――今近づいたら危ない。

そう告げなければと思うのに、声は出ていない。
無言のまま、俺の手は名前の腕を引き彼女を部屋の中に招き入れ、ごく自然な動作で戸を閉めていた。
反射的に振り向きかける名前と距離を詰めて、身動きできないように閉じ込める。

「久々知くん?」

僅かに傾いた顔を撫で、そのまま顎を軽く持ち上げると何か言おうとした唇に噛みついた。

「ッ、」

小さく跳ねる身体に腕をまわして腰を抱く。戸の方へ追い詰めるように体重をかければ微かに声が漏れ聞こえた。
じわりと唇をつたってきた血を一滴も逃さぬように舐めとる。甘く蕩けるような、中毒性の高い毒。

痛いだろうな。傷を塞いでやらないと――そう思っているのに、俺の舌は彼女の傷口をえぐるように動く。

「んっ」

ちゅ、と音を立てて吸うたびに名前がビクビクと震える。煽られて何度も唇を触れ合わせながらも、俺の身体は“まだまだ足りない”と渇きを訴えていた。

「…名前

自分のと彼女のと。浅い呼吸音を聞きながら、ぼうっとしている瞳を覗き込む。
気づけば二人して戸口に座り込んでいたけど、それに気を払う余裕がない。名前の膝裏に手を通し、軽く持ち上げて自分の膝へ乗せる。さらに距離を縮めた俺はかろうじて「ごめん」と一言呟いて細い首筋に牙を突き立てた。

「いっ!ぁ…あっ、」

びくっと大きく跳ねる身体を両腕できつく抱きしめる。いや、これは押さえつけていると言ったほうがいい。
どこか冷静に考えつつ、名前を捕える腕は緩まない。だってまだ満足に味わってない。

「は……っ、ん……ぅ、久々知く…」

俺の肩に指を食い込ませながら痛みを耐える名前は、可哀想なくらい震えていた。
いつもなら申し訳なさが先に立ち、すぐに解放してやるところだろう。だけど今の俺はそれにぞくりとしたものを覚えて、じゅるじゅるとわざと音を立てながら溢れ出る甘露を嚥下した。

「ひぁ、あっ、あっ…んん、」

痛みにすすり泣く声に混じり始めた甘い音と、極上の味に酔いしれる。
充分に喉を潤し、高揚した気分のまま拘束を緩めて舌を這わせれば、名前はより強く爪を立てて息を詰めた。それには気づかないふりをして、傷口をねっとりと舐めあげる。浅くなる呼吸、上がる体温はお互い様だ。
潤んだ瞳と目が合うと自分の目元が緩み、口角が上がったのがわかった。

名前

すぐに目を逸らした名前の身体を揺らし、名を呼ぶ。俺の肩を掴んでいた手がゆっくり首に回されて、羞恥のためか顔を押し付けてくるのがたまらない。
そんな仕草はとても可愛くて愛しいけれど、顔も見たいなと思った。
さりげなく彼女の頭巾を外し、旋毛に口づける。耳をくすぐり髪を梳いて腰を抱きよせると、名前は肩を跳ねさせ、焦ったように俺を呼んだ。
応答する代わりに口づけを送る。額から瞼、目尻、こめかみ、頬へ。ちゅ、ちゅ、と鳴るたびに名前が身じろぐ。

「っ、久々知くん、あ、あの、」
「…名前が欲しい」

言いながら、ぐり、と反応した自身を名前の太ももに押し付ける。
びくっと跳ねてこれでもかというくらい顔を赤くした彼女と額を合わせ、反応を待っていたら…名前は微かに震える唇をきゅっと引き結び、ぶつかる勢いの口づけをくれた。






「……ごめんな」
「…?」
「いや…やっぱり襲うことになったなと思って……」
「襲…、で、でも…それは……」
「ははっ…真っ赤だ」
「う~~~~」
「痛かったろ」
「…………痛い…より、熱いの方が大きかったかも」
「痕もいっぱいつけちゃったしな…」
「え!?」
「…でも俺、しあわせだ……名前は甘くて…おいしい。やわらかい…いいにおい…」
「く、久々知くん、あの…」
「んー…」
「ち、ちがう、ぎゅーじゃなくて…!」

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