カラクリピエロ

scene.2 種族の違い

※久々知視点





――昔から、自分の特殊な体質が嫌いだった。

朝起きて、夜眠る。
食堂のおばちゃんが作る料理を残さず食べる。
勉強や実技は頑張ればその分上がるけど、当然サボれば落ちていく。

そうやって普段は他の忍たま――人間と変わらない生活を送ることができるのに、月に一度の間隔で訪れる衝動。
ただ“血が欲しい”と、それだけが頭を占める感覚は何度味わっても慣れることができない。
自分の身体、思考であるにも関わらず、自分ではどうにもできないのが不愉快で苛立たしい。
血を飲めば簡単に治まるのはわかってる。だけど俺はその行為も、それを実行する度に自分が異常だと突きつけられるのも嫌だった。

なのに――

ちらりと名前に目をやる。
咥えこんだ指先にゆっくり舌を這わせると、名前は肩を揺らし、俯いたまま首を振った。

「ッ…、ゃ」

放してほしいと言いたげに、残りの指に力が入る。
空いた手は俺の装束を強く握りすぎて小刻みに震えていた。
自身のほうへ引き寄せようとする力を無視して、形をたどるように舐め上げれば微かに漏れる甘い声。

――このまま、牙を突き立ててしまいたい。

血液なんてどろりとして生臭くて、決して美味しいとは言えないものなのに。名前の血だけは美味しいだろうという妙な確信がある。
満月でもないのにこんなことを考えて自ら“普通”を遠ざけてるんだから…矛盾してると思う。

牙を立てる代わりに甘噛みし、軽く吸いついてから解放してやる。
名前はびくりと震えたあと、ゆっくりと俺を見た。涙の浮いた両目から微かに文句を言いたげな気配も感じるけれど、それは俺を煽るだけだと気づいてないんだろうか。

握ったままの彼女の手を引いて眦に口づける。
反射的に目を閉じ、息を止める名前が可愛くて…掠めるように口づけをした。

+++

「――久々知くんは、美女が好きなの?」
「は?」

名前の部屋に顔を出した途端、ぶつけられた質問は唐突過ぎて全く意味がわからなかった。
それなのに名前はなんだか不安そうにしているし、今にも泣きだしそうに胸元を握っている。

「俺は名前が好きだよ」

名前は“美女”というより“可愛い女の子”の方が似合うと思うけど。
すぐそばに座り、腕を引いて懐へと招きながらそう伝えたら、胸に顔を押し付けられたうえにぎゅっと抱きつかれた。
いつになく積極的な彼女に心臓が跳ねるのを感じつつ、背中に腕をまわす。

「…久々知くん、不意打ちずるい」

照れが混じった呟きを聞きながら、それは名前の十八番だろうという言葉を飲み込んで、心地よい体温を享受することにした。

「――それで、今回は誰の影響受けたんだ?」
「…言われるほど受けてないと思うんだけど」

覗きこむ俺から逃げるように、目を泳がせて小声で反論してくる名前
そうだろうか、と考えながらじっと見つめていると(名前は案外こういった間に弱い)気まずそうにこっちを向いた。

「“吸血鬼”について…もっと知りたくて、図書室に行ったの」

わざわざ調べに行ったのかという驚きと、微かに胸の中にモヤがかかる感覚。
名前に打ち明けたのは自分なんだから、喜びこそすれ複雑な気持ちになるなんておかしい。

「文献、あったのか?」

表に出さないように自嘲して、いつも通り問いかける。
名前を見れば、なぜか悲しそうな顔をしていてかなり驚いた。

「…………嫌だった?」
「っ、」

その指摘にドキリとして、勝手に身体が震えてしまう。
当然名前にも伝わったはずの振動は、名前がゆっくりと俺の首に腕を回してきたことで大きくなってしまった。

「な…」
「けど…私、これからも気になったら調べちゃうと思う」
名前、」
「久々知くんのこと、もっと知りたいから…」

言いながら名前が俺の肩に顔を擦りつけて「それだけはごめん」と付け足す。
名前の柔らかさや匂いを感じて上手く声が出せない状態で、追い討ちをかけられたも同然だ。
じわじわと体温が上がっていくのを嫌というほど感じながら、負けた気分でゆっくりと名前を抱きしめ返した。

「…好きなだけ、調べたらいい。でも、たぶん俺は文献と違う部分の方が多いと思うから、結果は教えてくれないか」

誤解されるのだけは避けたいと条件をつける俺に、名前はぴくりと震えてそわそわしだした。

「そのことで話が戻るんだけど…………」
「――…もしかして、さっきの美女がどうのってやつか?」

うん、と返ってきた相槌に、早々に条件をつけてよかったと思った。
名前は図書室に行ったものの上手く文献が見つけられず、ちょうど当番をしていた中在家先輩を捕まえて“吸血鬼”について質問したらしい。

「それで、先輩が“吸血鬼は美女の生き血を好むとされる”って教えてくれて……私は美女じゃないし、そもそも自分が美味しいとは思えないし…不味いって思われたくなかったけど、血を美味しくする方法なんてわからなくて……」
「……名前

どうして、彼女はこうなんだろう。
自ら教えたにも関わらず、詳細を知られたくなかった――人外であるということを彼女から突き付けられたくなかった――俺の矛盾をあっさり跳ねのけてしまう。
血を吸ってもいいと頷いてくれたことだけでも驚きなのに、名前はすでに先のことを心配してる。

愛しさが募って細い身体をきつく抱きしめると、名前はわずかに身じろいでから力を抜いた。

「久々知くんが今まで食べてきた女の子と比べられるのだけは…やだな」
「ちょっと待て」

考えるよりも先に口から飛び出た言葉が思いのほか鋭くて、名前が目を丸くする。
一瞬前までの甘ったるい雰囲気や、口づけたいという欲求が一気に吹き飛んで思わず唸ってしまった。

「…………俺、今まで人からはもらったことないぞ」
「…え!?ないの?女の子は?」
「だからないって。考えたことがないとは言わないけど……どうしても、嫌だったから」

欲しいと思ったのは名前だけだ。
気のせいだと言い聞かせて数回はやり過ごしてきたが、もう限界だとわかっていた。
だから本当に自分の行動に予想がつかない状態で、満月に近づくにつれて不安も大きくなっている。
なるべく考えないように、気にしないようにと思考の外へ追いやっているがいつまでもつのか――

「…いつもはどうしてるか聞いてもいい?」
「そうだな……血抜きの途中にちょっと飲むことが多いかな」
「ち、血抜き!?」
「昔は直接噛んでたけど、毛の感触が気持ち悪くてさ」
「毛!?」
「低学年のころは学園で飼育してる動物からもらったから、八左ヱ門に見つかってかなり怒られた」

溜息混じりに話しながら舌ざわりや味を思い出して少し気分が悪くなる。
ふと思い立って目を白黒させている名前を抱き寄せれば、ふわりといい匂いがした。

「ひゃああああ!」
「ッ、」
「く…久々知くん、いま、な…舐め…」

真っ赤な顔で口をパクパクさせている名前を見下ろしながら、口を押さえる。
謝罪の言葉を寸でのところで飲みこんで、頷いて返した。

「……怖いか?」
「こ、こわいっていうか……」
名前、俺が血を貰うってこういうことだよ」

断るなら今しかないと示しながら首筋をなぞる。
びくりと震えた名前は手のひらを握りしめ、泣きそうなくらい赤い顔で俺を見た。

「…首じゃなきゃ駄目?さすがに、恥ずかしすぎるというか…くすぐったいし、なんかゾクゾクするし…どれくらい痛いのかわからないのは怖いかも」
「…………どこならいい?」
「か、噛むんだよね?それなら…えっと、手かな。影丸に何度か噛まれたことあるから、耐性ができてるかもしれない」

愛犬を引き合いに出しながら拳を握る名前の手をそっと持ち上げる。
指を開かせて人差し指だけを残す形で自分の手のひらで覆った。
そうして戸惑う名前にわざとらしく微笑むと、躊躇いなく彼女の指を自分の咥内へと招き入れた。

+++

「…耐性はありそうか?」
「ッ、影丸は、こんな……こんな風にしないもん!」
「俺を振り回してる仕返し」

納得できない、と言いたげな顔をする名前の背を叩く。ぽんぽん、と何度かするうちに力が抜けて装束を握られた。
ずるいと呟きながらも大人しく腕の中に納まってくれる名前に、つい頬が緩む。

「…あれ?」
「ん?」
「…………?」

身じろいで体制を変える名前がしきりに自分の指を折り曲げている。
謎の行動に声をかけると、首を傾げたまま「感覚がない」と呟いた。

「感覚って…指だけか?」
「うん。なんでだろう…久々知くんに舐められたときは――」

かあっと赤くなった名前が隠すように指を折り、不自然に黙り込む。
だけどその台詞で原因に思い当たった俺は思わず自分の口を覆っていた。

「……ごめん。それ俺が舐めたからだ」
「!?」

噛んでも痛がられないようにという配慮なのか、それとも痛みに気づかれて逃げられないようになのか。特殊な体質はこんなところにもあったようだ。
痛覚を麻痺させ牙を突き立て、食事が済んだら血を止める。そういう効果があるんだと、昔聞いた覚えがある。

「でも久々知くん、」

言いかけてやめる名前に先を促すつもりで視線をやると、僅かに俯いて唇を噛む。
しばらく迷っていたけれど、やっぱり気になるのか意を決したように顔を上げ、くいくいと俺の装束を引いた。

「…俺しかいないのに」

部屋に二人きりの状態でさらに内緒話に誘われるなんて思わなかった。
お願い、と呟く名前に笑いながら少しだけ身体を傾ける。
何を言われるのか、僅かに緊張している自分に気づいて勝手に目が泳いだ。

耳に届いた名前の声が震えてる。さりげなく袖を握られているのにドキリとしていたら目が合った。
問いかけに対する答えを期待する眼差し。それを見てようやく内容を反芻した。

『――久々知くん、キスのとき、たまに……その……さっきみたいにするけど…痺れたことないよ?』

……内緒話じゃないほうが答えやすかった気がする。
明言を避けているのが余計にいやらしいというか……

“さっきみたいにって、どんな風に?”

もちろん口づけに関してだとわかっているけど、あえて名前に聞いてみたい。
しかし“本当に痺れたことがないのか”と問い返すのも捨てがたい。

――特殊な体質は嫌いだったはずなのに。
受け入れて利用しようとまでしてるんだから、心境の変化にびっくりする。

(…名前のおかげだよな、やっぱり)
「久々知くん?」
「とりあえず、よく聞こえなかったからもう一回」
「ええ!?」

久々知くん酷い、と小声でぼやく彼女を抱きしめる。

「――好きだ」

想いをこめて告げれば面白いくらい真っ赤になった名前が、大きく目を見開く。
戸惑いながらも仕舞いには はにかんで「私も、好き」と返してくれた。






「久々知くん、結局答え教えてもらってないよ」
「俺にもよくわからない」
「えー」
「犬歯を伸ばしたときに効果がでるんじゃないかと思ってるんだけど」
「なるほど、ありそう……って、な、なに?どうして腕掴むの?」
「仮説の次は検証だろ?」
「えっ」
「場所は名前が選んでいいから」
「え!?」

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