※久々知視点
「う…あついー…」
店から出た途端、名前は溜息をついて肩を落とす。
率直な意見に笑いながら同意して、手のひらで自身を扇ぐ彼女を横目に空を見た。
「名前、雨降るかもしれないぞ」
「…晴れてるよ?」
「今日は暑かったしさ、通り雨」
そうしたら地面が冷えて少しは涼しくなるんじゃないかと、暑さに参ってる名前に言えば彼女は残念そうに眉尻を下げた。
「…じゃあ寄り道できないね」
「これは寄り道じゃないのか?」
袋に入っている買ったばかりのノートを振って、からかい混じりに聞いてみる。
名前は「そうだけど…」と呟きながら俺から目をそらした。
選ぶのに夢中になっちゃったし長い時間いたわけでもないし――ぶつぶつ漏れ聞こえる小言につい笑いそうになる。
元々は名前の買い物目的で、内容といえばラインマーカーと色ペンなんてまさに勉強道具でしかない。
交わした会話も書き心地とか、どこで赤を使うかとか…全く色気のないものだった。
それだけじゃ不満だと、直接ではないけれど示してくれるのが嬉しくて歩くスピードを少し緩める。
名前も気づいたのか、ふにゃりと表情を緩めて照れくさそうに笑った。
「…もうすぐ夏休みだね」
「ああ。その前に期末だな」
「はぁ…学校早く終わるのは嬉しいのになぁ……」
大きく息を吐き出して項垂れる名前は、パッと身体を起こすと軽く身体を傾けて俺を覗き込んできた。
「俺はみんなじゃなくて、二人で勉強したい」
「…私、声に出してた?」
即座に片手で口を覆って慌てる名前が顔を赤くする。
言われなくたって、このタイミングで物言いたげに見つめられれば内容は限られると思う。
「それで、名前は俺と二人でいい?」
「…久々知くんが意地悪しないなら…」
笑顔で聞けば、ちょっとずつ離れていきながら言いにくそうに返してきた。
ふいと顔を逸らされたものの、頬や耳は視界に入る。うっすらピンク色に染まったそれを見たら悪戯心が湧いて、こっちから距離を詰めた。
「意地悪って、俺なにかしたことあったか?」
「あ、あるでしょ!」
ますます顔を赤くして俺を見上げてくる名前は睨んでるつもりなんだろうけど……可愛いだけだ。
答えをはぐらかしてみれば彼女はぐっと言葉に詰まって口をパクパクさせ、小さく何か呟いた。
あいにく小さすぎて聞き取れず、なに?と笑顔でさらに詰め寄る。
「っ、久々知くん意地悪!」
「だってほんとに聞こえなかった。そんなに言いにくいことか?」
「…………キス、とか」
「え」
「だ、だから、キス、するでしょ!?」
「うん…するけど……」
――というか、今まさにしたい。
そんな俺の思考をよそに、勢いよく声にした名前は急速に勢いをしぼませる。
俯いて俺の腕を掴み、そこに頭を押しつけてきた。
「…………恥ずかしい」
羞恥で声を震わせて、ちらりと覗く耳は真っ赤で…ここが外じゃなかったら――住宅街じゃなかったら、キスしてたなと思った。
「俺はそれ意地悪のつもりないんだけどな…」
「勉強できなくなっちゃうから、私にとっては意地悪だもん」
「…………なるほど」
キスだけじゃ足りなくなる時の方が多いもんな。
納得して頷くと、名前は訝しげに眉をひそめながらもこくりと頷いた。
一応普段は一通り終わるまでちゃんと我慢してるんだけど、それでも駄目なんだろうか。
――と、ぽつりと頭に冷たいものが落ちてきた。
「降ってきた」
「え、雨?」
いつの間にか足を止めていた俺たちは顔を見合せてから空を見上げる。
名前はポツポツまばらに落ちてくる雫を手のひらで受け止めて、帰るまでもつかな、と零した。
「名前、傘は?」
「ごめん、今日は持ってきてない」
「俺もだ――って、うわ!!」
急に勢いを増した雨に驚いて、咄嗟に名前の手を掴む。
強引に引っ張りながら周囲を見渡しても軒並み民家。なにかないかとこの辺の地理を思い出そうとする間に、音はザァザァと激しいものに変わり、頭から伝い落ちる水滴がむずむずして気持ち悪い。
「久々知くん、あれ、公園!」
「よし!」
グシャ、とぬかるんだ土に足を踏み入れて泥水が跳ねる。
帰ったら制服の泥落としかとうんざりしながら、公園内の遊具に名前と潜り込んだ。
空洞になっていて、申し訳程度に腰掛ける場所がある。けどやっぱり天井は低いし狭いしで、大人ならぎりぎり三人入るかどうかだ。
「冷たー」
「あ、名前、座る前に…」
「え?」
「…濡れてなかったか?」
言いきる前にちょこんと腰かけてしまった彼女に聞いてみると、ひんやりしてるけど平気、と答えがあった。
ほっとしながら自分も隣に腰掛ける。
「久々知くんびしょぬれ」
くすくす笑いながら手を伸ばしてきた名前が俺の頬にタオルをあてる。
驚いて軽く身を引くと、彼女は一度動きを止めて笑った。
「使ってないやつだよ」
(…そうじゃないんだけどな)
名前だって濡れてるくせに、どうしてこっちを優先させるのか。
そもそもタオルなら俺も持ってる。体育の授業後に使ったものだから名前に貸し出すことはできないけど、自身に使うなら十分だ。
……だけど俺はそれを言い出さないまま、名前が優しく水滴を拭き取ってくれる動きに身を任せていた。
「――ありがとう、もう大丈夫だ」
そっと彼女の手を掴み、ハンドタオルを取り上げる。
そのまま乾いた面を名前の顔に当てると、驚いた顔をして腰を浮かせたから慌てて腕を掴んで立ち上がるのをやめさせた。
「っ、ごめん!」
よろける名前を支えてもう一度座らせる。
あの勢いで立ち上がってたら絶対頭をぶつけてた。
「……なんで避けるんだ」
「な、なんと、ここにもタオルがあるんだよ!」
ずるっと名前の鞄から引っ張りだされたのは普通のタオル。きっと俺と同じで授業中に使ったんだろうなと思ったけど、それは理由になってない。
「だって恥ずかしい!」
「名前が先にやったんだぞ?」
「ごめんなさい、恥ずかしいです!!」
「謝らなくていいからおとなしくしてくれ」
名前の手に握られていたタオルを回収して頭に被せる。
彼女の髪をちょっとくしゃくしゃにしてしまったけど、あとで直せばいいかとそのまま水滴を吸い取った。
途中から身を固くして黙り込む名前の様子を伺えば、首元まで赤く染めて何度も瞬きをしている。
制服もだいぶ濡れていて、このまま放置したら風邪をひくかもしれない。
「…あ」
「え!?な、なに?」
「いや…………えーと、」
透けてる、と率直に口にしていいものか、迷う。
気づいたらそこから目が離れないなんて…本能は強い。
「久々知くん?」
「…白か、いや水色?」
「え………え!?わあぁ!?」
俺の視線を追って俯いた名前が慌てたように制服の襟元を引っ張る。
だけどその一瞬で乾いたりするはずもなく――というか、逆に俺から見えるぞそれは。
白地に水色の小さい花柄だった。あとヒラヒラ。
今日は体育があったから云々、名前の声が右から左へ抜けていく。
結局タオルを引き寄せることで俺の目から隠すことにしたらしい。
名前はきゅっと唇をかみしめると真っ赤な顔で俺を見た。だから、そんな顔をしても可愛いだけなのに。
「…………えっち」
「っ、」
思わず口元を押さえて、名前から目を逸らす。
どくりと強く鳴った心臓の音を聞きながら、うん、と頷いてしまった。
名前は真っ赤なままで、ちらちら窺うようにこっちを見ているのがわかる。
「だって、名前なんだから…仕方ないだろ」
視線に耐えられずに本音をこぼすと、名前は胸元を握って僅かに身を乗り出してきた。
「…い、意地悪も?」
「…………うん」
ふっと緩んでしまう口元を隠しながら返せば、忙しなく視線を彷徨わせつつ唸った彼女がすぐ隣に座りなおした。
触れ合う腕はひんやりと冷たいのに、すぐ温かくなっていくのがわかる。抱きしめたいなと思いながら…今動いてしまうのがもったいなくて、代わりに手をつないだ。
「――名前だから、見たいし触りたい。キスしたいって、思うんだ」
「……………………私もだよ」
聞き逃してしまいそうな声量での同意に心臓が跳ねる。思わず見下ろした名前は俯いていて表情はわからなかったけど、隠れていない耳は真っ赤に染まっていた。
「雨、止んだね!」
「ん?あ、ああ……いつの間に」
「帰ろっか」
慌ただしく出ていこうとする彼女の腕を掴み、引き寄せる。
よろけて転びそうになるのを受け止めると自然と抱きしめる格好になった。
名前は変わらず赤い顔をしていて、それを隠すようにこっちを見ようとしない。
「……テスト、終わったらさ」
「う、うん…」
「名前に意地悪してもいいか?」
「……え、」
「それまでは我慢するから、長時間コースで」
「いや、あの……久々知くん?」
名前を支えつつ遊具から一緒に出る。さっきまでの土砂降りなんて嘘みたいに空は綺麗に晴れていた。
戸惑いがちに俺を見る名前を見返して、制服の乾き具合を確認してしまった。もし目立つようだったら無理やりにでも体操服に着替えさせるつもりだったけど、大丈夫みたいだ。
「…久々知くん、長時間ってどれくらい?」
「うーん…名前がどれくらい一緒にいてくれるかによる」
「…………意地悪の内容次第」
「じゃあ当日にならないとわからないな」
いっそ夏休みに遠出してというのもありかと思いながら、彼女の手を引いてゆっくりと寮への道をたどった。
「名前、今回のテスト勝負しないか?」
「え、なんで急に?っていうか勝てる気がしないんだけど…」
「三教科に絞って合計点で。名前が勝ったら俺のこと好きにしていい」
「久々知くん話聞いて!……もし、久々知くんが勝ったら?」
「名前からキスしてもらう。フレンチで」
「き…!!?あれ、フレンチ…ってどういうの?ほっぺでもいい?」
「それは名前への宿題。歴史と数学と物理でいいよな?」
「いやいや駄目だよ!そんなの久々知くんの圧勝になっちゃう!……現代文と、生物と…え、英語」
「英語は俺苦手なんだけど」
「だからだよ!」
「名前も苦手じゃなかったか?」
「不破くんに教えてもらう!あと立花先輩とか!」
「立花先輩、フレンチキスってどういうのか知ってますか?」
「…別名ディープキスだ。というか、久々知に聞けそういうのは」
「しゅ、宿題って、言われたから…………む、無理無理無理!絶対無理!!」
「こら名前!やる気があるのかお前は!この私が、貴重な時間を割いて自ら教えてやるんだ、久々知に負けたら承知しないからな」
「スパルタ教師…!」
雨宿り
現パロ
4405文字 / 2012.06.21up
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