カラクリピエロ

儘ならないものですα

※「儘ならないものです」別視点




久々知がそわそわしている、と最初に気づいたのは、授業終わりに隣にいた尾浜だった。
一見して表情に変化はないが、手のうちで彼が得意とする武器を転がし(危なっかしいので一歩分距離を置いた)、しきりに周囲を窺う様子を見せ、心なしか速足で。鐘が鳴るよりも早く授業が終わったとはいえ、浮かれる要素はないはずなのに。

本来であれば座学として割り当てられていた時間は、担当教諭が急な出張で不在となったため、いろはの合同演習に変更されていた。
裏山の広範囲を使っての演習は、体力作りも兼ねていたのか割と厳しかったように思う。

尾浜は頭の後ろで手を組んで、授業内容を回想しながらちらりと隣を伺った。
授業後の疲れを感じさせないばかりか、涼しい顔で先を急ぐ久々知。おぼろげながら理由が浮かんではいたものの、尾浜は疲れで鈍った思考のまま久々知に疑問をぶつけていた。

「なんか用事でもあんの?」
「え。なんでだ?別になにもないけど…………妙に遠くないか」
「攻撃されないようにだよ」

言えば、久々知は今気づいたように瞬きをして武器を懐に収める。ごめん、と苦笑する様子からすると、本当に無意識でいじっていただけらしい。
尾浜は呆れまじりの溜め息をつくと、久々知が浮かれているように見えると指摘した。

「…わかりやすいか?」
「まーね。それで、どこ行く気?」

授業のあとは自由時間として割り当てられているから――委員会活動で拘束されている者も数名いるが――下山して部屋で休むなり、そのまま自主鍛錬するなり、町へ出かけるなり様々な選択肢がある。
にもかかわらず、久々知の足取りは迷いなく忍たまの校舎に向いていた。

「――なんだ、兵助は一人寂しく個人授業でもする気か?」
「三郎」

頭上から声がするなり、二人の目の前に鉢屋が着地する。
尾浜が無意識に視線を上げて鉢屋が飛びおりたと思われるところを確認すれば、どう見ても窓だった。

「…お前どっから出てきてんだよ」
「見ればわかるだろう。窓だ」
「勘右衛門が聞きたいのはそういうことじゃないと思うけど……一人か?」
「雷蔵は中在家先輩が忍務に行くことになったから図書当番の代理だとさ。八左ヱ門もさっき毒虫捜索に駆り出された」
「二人とも大変だな」

久々知は苦笑して肩をすくめたが、目的を思い出したのか気を取り直したように再度校舎の方へ足を向けた。

「なあ、兵助はなにを急いでるんだ?」
「おれもそれ聞こうとしてたんだけど……お前が飛び出てくるから中断されたんだろ!」
「故意じゃなかったんだからそう怒るなよ。兵助、そっちに何の用だ」

鉢屋が数歩先を進んでいた久々知に声をかければ、速度が緩む。
二人が追いついたと同時に、久々知は「名前が来るかもしれないから」と当然のようにこぼした。

「……兵助、一応確認するが名前と約束でもしてるのか?」
「してないよ。だから急いでるんだろ」
「…………おい勘右衛門」

解説しろ、と視線を投げてくる鉢屋に、尾浜も呆けて考えることを放棄していた頭を振る。
大きな溜め息は思いのほか長く続き、脱力を感じさせるには十分だった。

名前はさ、自分の授業が終わると『い組』に来ることが多いだろ」
「それがなんだ…………あぁ、なるほどな。実にくだらん」
「わー。三郎つめたーい」

つい先ほど授業終わりの鐘が鳴ったばかりで、久々知からもたらされた(聞いてもいない)名前の予定は自分たちと同じく空き時間だ。
となれば、従来通り教室での授業とされていた五年い組――久々知を訪ねて彼女が教室を訪れるのはほぼ確定事項である。

名前が訪ねて来ても困らないように、途中ですれ違ったりしないように…おそらく久々知の思考はそんなところだろう。
鉢屋を“冷たい”と評したが、正直なところ尾浜も同じように思っている。その気持ちは鉢屋よりはずっと薄くて小さいけれど、盛大な溜め息が我慢できないくらいには。

「――久々知先輩」

黙々と教室に向かう久々知に、何もすることがないからと惰性で着いていく二人は、傍から見れば割と声がかけにくい雰囲気だったように思う。
そんな雰囲気の中でかけられた声。多少なりとも驚いた尾浜は声のした方へ視線をやり、なるほどなぁ、とひとりごちた。

艶やかな髪に白い肌、ぱっちりした瞳。女性的なラインを描く華奢な身体。外見要素を含め、彼女を取り舞く雰囲気はいかにも“女の子”だ。
その身にまとっているのがくのたまの制服でなければ、可愛い子を見た、と友人に報告していたかもしれない。

だがしかし、声をかけられた当人は彼女に目もくれないどころかあっさりと素通りしてしまった。
呆気に取られて目を丸くした尾浜とくのたまを置いて久々知はどんどん遠ざかってしまう。鉢屋は呆れたように「思考が名前で占められてるな」と呟いていた。

「あ、あの、久々知先輩!」

焦ったように声をもらしたくのたまを気の毒に思い、尾浜が久々知を呼びとめる。
肩を掴めばさすがに気付いたようで、久々知は何度か瞬きながら足を止めた。

「なんだ勘右衛門」
「いやいや、呼びとめられたんだから話くらいは聞いてやったら?」
「え?」

そこで初めて、自分を呼んだくのたまに気づいたらしい。
不思議そうに首を傾げた久々知は追いついてきた彼女に向き直り、視線で先を促した。

「すみません、ここでは少し言いにくいです……」

ちらちらと尾浜や鉢屋を伺ってくるくのたまからは“気を利かせろ”とでも言いたげな空気を感じる。

(……さすがくのたま、強気だなぁ)

尾浜は彼女の様子に内心で感心しつつ、その空気を受け流したが、傍らにいた鉢屋には我慢ならなかったらしい。そっぽを向いて小さく舌打つと、むっすり口を固く閉ざした。

「…よくわからないんだが、それ今じゃないと駄目か?」
「今が、いいです。久々知先輩、空き時間ですよね?」
「そうだけど……俺は」
「――名前先輩なら、しばらく来られませんよ」

久々知の言葉を遮るようにくのたまが口を挟む。
左手で自分の右ひじの辺りを掴むようにしながら視線を下げて、ぽつりと「山本シナ先生に呼ばれてました」と付け足す。

「…………。……わかった」

久々知はしばらく無言で逡巡する様子を見せたが、結局は頷いた。
了承を得たくのたまがホッとしたように笑う。
二人だけで話したいのだとひと気の無い方へ誘いながら、当たり前のように腕を絡めようとするのに久々知が微かに眉根を寄せ、さりげなく距離を取った。

「兵助、穏便にね」
「……わかってる。名前の後輩みたいだからな」

小声でかわした言葉数は少ないのに、名前基準で判断している久々知がわかりやすいとつい笑う。
久々知は先導するくのたまの方へ足を踏み出しながら、すぐ戻ると言い置いて彼女についていった。

「――――どう思う」
「とりあえず、名前がいるって知ったうえで来てるのがすごい」
「よっぽど自分に自信があるな、あれは」
「あ、やっぱ三郎もおんなじこと思ったんだ」

どちらからともなく、久々知とくのたまが移動した方へ向かう。
一定の距離を置いて後ろをついていき、二人が立ち止まったと同時に気配と足音を消して近づいた。
樹の上を陣取った時、くのたまはともかく久々知には早々にバレたようで呆れ混じりの視線を寄こされてしまった。

開き直って矢羽根を使って鉢屋に話しかける。仲間内で使っているものだから久々知にも届いているだろうが、気にしないことにした。

『兵助って結構目ざといよな』
『…この位置取り、なんとなくトラウマが呼び起こされる』
『どういうこと』
『いやなに……八つ当たりと称して兵助から攻撃されたことがあってな』
『なんだそれ笑える』
『笑いごとじゃない!』
『どうせ名前にちょっかいかけたとかだろ』
『私は全く悪くなかったのに!』

ぶつぶつと矢羽根で器用に過去を振り返っている鉢屋の言葉を聞き流しながら、二人の様子を窺う。
久々知先輩、と呼びかけるくのたまは両手を後ろに組んで僅かに首をかしげて――自分の魅せ方をわかっているなと思った。
下からすくい上げるようにして久々知を見る顔の角度、必然的に上目遣いになるのも計算されているのだろう。
うっすら染まった頬と表情は恋する女の子そのもので、男ならドキッとしてしまうかもしれない。一般的には。

『…………相手が悪いな』
『兵助だもんなぁ……っていうか、お前イライラしすぎだろ』
『私はな、ああいう計算高い女が嫌いだ!』
『今は三郎の好みとかどうでもいいから。可愛いじゃん、好きな人に可愛く見られたいってことだろ?』
『…あと、目が怖い』

不本意そうに付け足された内容は尾浜も考えていたことで、知れず苦笑が漏れる。
久々知に対峙しているくのたまは確かに恋する女の子ではあるけれど、久々知を見つめる瞳は獰猛な肉食獣のそれとよく似ていた。

そうこうしているうちに、静まりかえった場に「好きです」とくのたまの声が落ちる。
微かな震えが混じるそれは、いくら計算高くても久々知への気持ちが本物であることの証明にも聞こえた。

「…ごめん」

久々知はくのたまを真っ直ぐ見返して、ゆっくり一度瞬くと眉尻を下げながらもはっきりと謝罪を口にした。
はぁ、と詰めていた息を吐き出しながら、尾浜は自分が無意識に息を止めていたことに苦笑を漏らす。当人じゃないのに入れ込みすぎだ。

『まぁ…当然だな』
『おれちょっと緊張してたみたい。三郎もじゃないの?』
『…………』

返事をしなくなった鉢屋を横目に、改めて久々知を見下ろして表情を確かめる。
尾浜は名前が告白した場面にも居合わせたことがあるせいで、無意識に対応の違いを比べてしまい、それを追い払うように頭を振った。

『おい勘右衛門、あれ名前じゃないか』
『え……、』

促されて見た先には壁に背を預けるようにして俯いているくのたまが――名前がいた。
恐る恐るといった様子で顔を覗かせた彼女とは距離が遠すぎて、はっきりとした表情まではわからない。
こちらに来るのかと思えば苦しげに胸を押さえて足元を見つめる。今にも名前が倒れたりしやしないかとハラハラしていたら、久々知の側からも切羽詰まった声が聞こえた。

「――名前先輩がいるからですか」
「それもあるけど…それだけじゃないよ」
「…………どうしても、駄目ですか。私、先輩の望むことならなんでもします」

悲しげに言いながらも、甘さを含んだ声音は相手の欲を煽るものだ。
尾浜は隣で苛立ちをにじませる友人を片手で押さえつけながら、自身のことも落ち着かせるよう深呼吸した。
くのたまが久々知との距離をぐっと詰め、白い手のひらで艶めかしく腕に触れる。

途端、ぴくりと指先を動かし不穏な空気をまとう久々知に向かって、叫ぶように矢羽根を飛ばした。

兵助、と名を呼ぶだけのそれにも一応効果はあったらしい。
冷たく据わっていた目が瞬いて一呼吸置かれ、暗器の出てくる気配はなくなった。そればかりか、耐えきれずに逃げだしてしまったんじゃないかと思っていた名前が久々知の前に姿を見せ、くのたまと対峙している。
名前とくのたま間の雰囲気はともかく、久々知のまとう空気は和らいだ。脱力しながらほっと息を吐き出した尾浜に、鉢屋は不満そうに鼻を鳴らした。

『……止めなくても良かっただろうに』
『なにバカなこと言ってんだよ。故意でくのたまに怪我させたとか、名前が泣くし謹慎確実だぞ』
『…フン』

半眼で尾浜を一瞥して久々知――というよりはくのたま二人の方へと視線を動かした鉢屋につられ、尾浜もあぐらを組んで事態を見守る。
頭の隅で、もう久々知がいようがいまいが関係ないのでは、と疑問が浮かんだものの、常にはない表情をしている名前に驚いてすぐに思考が塗り替えられた。
激昂するくのたまとは逆に、温度のない声で淡々と返す様は普段の彼女と結び付かない。
どうやら久々知に触れていた件で怒っているらしい、というのは感じられるが、静かに笑みまで浮かべていて、どこか人形的だった。

『なんだ名前のやつ、ああいう顔もできるのか』

くっく、と喉で笑う鉢屋が肩を揺らす。
さっきまでの不機嫌はどこへやったんだ、とつっこみたい気持ちを抑えながらにっこり笑う名前を見た。

「――私が見ちゃった時点で諦めて」

きっぱりと言い切る名前の言葉は、一歩も引く気がないどころか、手を引け、という牽制だ。
それをなんとなく意外に思いながら、彼女の後ろでしかめっ面をしている久々知との差が不自然に映った。

『兵助のやつ嬉しくないんかな』
『いや、あれはむしろ嬉しくて飛び付くのを我慢してるんじゃないのか?』
『ははっ、ありえる』

久々知はこの修羅場の原因とも言えるけれど、恋人の勝負どころに水を差すなんて無粋な真似はしないよう、こらえる気概はあったようだ。

「ねぇ先輩。可愛い後輩のお願い、一つ聞いてくれませんか」
「久々知くんに関係ないことなら聞いてあげる」

そろそろ収束するだろうかと考えながら姿勢を変える。
眼下でのくのたま二人の応酬は笑顔同士に変わっていて、うすら寒いものを感じた。
だがそんなのお構いなしとばかりに、今までだんまりだった久々知が動き、名前を後ろから抱き締める。
殺伐とした空気は霧散し、場の支配者があっさり入れ替わったのがわかった。

『……兵助のやつ、限界か』
『やっぱなー』

呆れながら見下ろせば、まるで見せつけるようにぎゅうぎゅうと名前を抱きしめている久々知がいる。
苦しげに重い、と訴えている名前とのじゃれあいが実に楽しそうだ。
彼女が久々知の重さに耐えかねて崩れそうになったところであっさりと抱きあげ、くのたまの目から隠すようにして自分の後ろへ降ろす。
唐突な状況の変化についていけずにふらついている名前は、へたしたら目を回しているんじゃないだろうか。

「――さっき、名前がいるからか、って聞いたよな」
「…………はい」
「はっきり言っておくと、俺は名前以外に興味がないし必要だとも思ってない。触れたいのも、欲しいのも名前だけだ。だから、悪いけどなにを言われても応じられない」

深々と心臓を一突き。
尾浜の脳内でそんなイメージが組み上がる。つらつらと吐き出された久々知の言葉は、くのたまにとどめを刺したも同然だろう。

「もう…じゅうぶんです」

俯いて自分の肘をぎゅっと握ってそう言うと、くのたまは勢いよく頭を下げ、失礼しますと断ってから踵を返した。
早足ではあるものの、背筋を伸ばし、決して走ろうとはしないところにプライドの強さと強気な面を見て、尾浜は知れず「すごいな」と漏らしていた。

『なにがだ』
『いや…引き際かっこいいじゃん、って』
『はぁ?』
『でも復讐とか報復とか計画されたらこわいよなー』
『笑いごとか!…ちょっと見てくる』
『三郎って過保護だよなぁ。あ、ちょっと、おれも行くって!』

ふわふわ漂いだした甘い空気の中に置いていかれるなんて冗談じゃない。
早々に見切りをつけると、適当な口実とともに二人はその場から離脱し、くの一教室の方まで足を運んだ。





「――聞いたか勘右衛門」
「“名前といるときの兵助はかっこわるい”ってやつだろ?」
「“兵助は名前に服従してる”ってのもあったぞ。どういうわけか私たちも名前に逆らえないそうだ」
「くのたまの噂が広まる速度と尾ひれ怖い!」
「内容からすると、すぐ消えそうだけどな」
「害もなさそうだし、放っておいてもいいか」
「あー……せっかくの自由時間になにをやってるんだ私は……」
「結構おもしろかったじゃん。おれは満足だね」

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