カラクリピエロ

儘ならないものです


くの一教室の授業が終わった後の自由時間、名前は開放感に満たされて、足取りも軽かった。
歌を口ずさみながらどこへ行こう、何をしようと考える。
委員会も休みとあれば、彼女の脳内はすぐに好きな人のことで占められていった。

(久々知くんに会いに行こう)

上機嫌なまま久々知の――正確にいえば五年い組の――授業割を思い出しつつ忍たまの校舎へ足を向ける。
学園長先生の思いつきや唐突な忍務さえ入っていなければ、彼の方も空き時間だったはずだ。
よし、と気合を入れて角を曲がろうとしたところで、「好きです」と女の子の切羽詰まった声がした。
突然聞こえてきたそれにドキッと心臓が跳ねる。名前は慌てて壁に身を寄せ、口元を覆ってからそっと息を吐きだした。

(…がんばれ)

自らの経験を思い出し、思わず応援を送る。あんまりな展開だったせいで未だに何とも言えない気持ちになるけれど、今となってはあれもまた良い思い出かもしれない。
一つ息を吐いて、邪魔してしまわないように気を張った。少し遠回りになるが別の道から行こう。

「――ごめん」

――踵を返したと同時に聞こえた返事で足を止めたのは、断られた女の子に同調したせいじゃない。
久々知くん、と音にならない声が名前の口から漏れる。
どくんと大きく脈打った心臓を上から押さえ、ドクドクうるさくなっていくのを落ち着けようと息を吸った。

聞き間違いじゃないのなら、今告白を受けているのは名前の想い人であり恋人でもある久々知兵助だ。
小さな罪悪感を覚えながらもそうっと顔を覗かせると、目に入ったのは予想通りの告白場面。
名前からは背中しか見えなかったけれど、女の子――くのたまに向かい合っているのは間違いなく久々知だった。

どっど、と心臓の音がうるさい。さらに酷い耳鳴りを聞きながら、なにげなく相手のくのたまを視界に入れる。
華奢で小柄で、いかにも“守ってあげたい”雰囲気の、可愛い女の子。名前は彼女が後輩であることに気づき、見るんじゃなかった、と心の中で呟いた。

普段は明るく優秀で、たびたび強気なところを見せる彼女が、今は俯いて手を組んだまま動かない。
その姿から伝わってくる緊張感が、それだけ真剣なのだと訴えているようで……息苦しさに目を閉じた。
これ以上見たくない、立ち去りたい。そう思いながらも、結果を――久々知の気持ちを確認して安心したい気持ちと、ひっそりと根付いている独占欲のせいで動けない。

名前は両手で自分の目元を押さえ、自嘲気味に笑った。
久々知からは既に同じ気持ちを返してもらっている。自分だけに向けられる優しい笑みも知っているし、“好きだ”という明確な言葉も、あたたかい抱擁だって何度も与えられているのに。

――今ここで、その子の前で示してほしい――

どろりと渦巻く感情は重くて暗い。

名前は自己嫌悪に泣きたくなりながら歯噛みし、蹲りそうになる身体を叱咤した。
もっと堂々としていたい。
彼は魅力的なのだから当然だと明るく受け止められるようになりたい。

思い通りにならない感情に溜め息をついて首を振る。これ以上ここにいたら、本格的に嫌な女になりそうだ。
散歩でもして気を発散してから会いに行こうと決めた名前は、大きく深呼吸してから顔を上げた。

「っ、」

途端、目に入った光景に息が詰まる。
縮まっている距離と、久々知の腕に触れている手、彼を見上げる仕草。微かに動いた唇はどんな言葉を紡いだのか。

(…いやだ)

その人に、そんな風に触らないで欲しい。
抑えようとしていた感情に突き動かされ、立ち去ろうとしていた足を二人の方へ向ける。
名前は自分に集中する視線をあびながら、久々知に触れている手を遠ざけるように割り込んだ。

名前、」
「先輩いたんですか」

久々知の呼びかけをさえぎって、くのたまが苛立ちを滲ませた目を眇める。
名前の割り込みによって浮いた手が、ゆっくりと肘を掴む形で組まれていく。名前はそれを無言で見つめたまま、微かに首肯した。

「盗み聞きなんて、随分と素敵な趣味をお持ちですね」
「――邪魔したことは…謝る。ごめんなさい」

淡々と返される謝罪に反発を覚えたのか、くのたまの表情が歪む。
謝るくらいなら邪魔をしないでほしい。言葉が音になる前に、名前は牽制するように笑った。

「けど――それ以上は駄目」
「どうしてですか?自分の武器を使って好きな人を誘惑することのなにがいけないんですか」
「あなたが、使う相手に久々知くんを選んだから」

強気な態度を取る後輩に、変わらず淡々と答えるのを他人事のように聞く。
今までの葛藤を悟られないよう口元に笑みを刷き、ぐっと背筋を伸ばした。

「――私に見られた時点で諦めて」

傲慢とも言える言葉は、ちゃんと音になってくれただろうか。震えてはいなかった?
今も、微笑んでいるように見えますように。

名前は胸中に渦巻く思考を押し隠し、後ろ手に組んだ手のひらをきつく握りしめる。
あっけに取られたように目を見開いていた後輩を見つめると、彼女は肩を揺らし、僅かに視線を下げて小さく笑った。

名前先輩にも、そういうところあるんですね」
「………………」
「…ねぇ先輩。可愛い後輩のお願い、一つ聞いてくれませんか」

言いながら僅かに上体を屈め、ちょこんと首を傾ける。
甘えるような声音に上目で名前を見上げる“おねだり”の姿勢は、自他共に後輩に甘いと認める名前への対応を心得ているようだった。

実をいえば、名前は彼女のくのたまらしい、ただでは引かない姿勢が嫌いではない。
自分の魅せ方をわかっている仕草には素直に感心しているし、見習いたいとも思う――けれど、今はそれを忘れたかのように薄く笑みを返すだけだった。

「久々知くんに関係ないことなら聞いてあげる」

先手を打って条件を出す名前に、くのたまも溜め息を返す。
残念、とおどけた言い方をする彼女の瞳に傷ついた色を見た名前は、つられて痛む心を押しのけて、あえてそれを自分の目に焼き付けた。

(――謝らない)

ぎゅっと唇を噛んで、口から飛び出そうになる謝罪を飲みこむ。
ごめん、なんて言ったところで久々知に触れる許可を出す気は起こらないし、余計に傷つける気がした。

「…まったく」

不意に落とされた溜め息交じりの呟きに名前が肩を揺らす。
ほぼ同時に伸びてきた腕が名前を捕え、抱きすくめるようにしながら伸しかかった。

「当事者を置いて話を進めるなよ」

耳元で聞こえる声と力強く自分を抱きしめる腕、背中に触れる体温に安心して気が緩みそうになる。
途端、情けなく泣き出してしまいそうで、名前は咄嗟に息を止めた。
まるでそれに気づいたかのように、伸しかかったままの久々知が体重をかけてくる。

「く、久々知くん…重い……」

名前は前屈みになりながら訴えたけれど、久々知は笑い混じりに「うん」と相槌を返し、ますます重心を傾けるだけ。
さすがに限界だと膝から崩れそうになったところで、あっさり抱え上げられ久々知の斜め後ろへ降ろされる。
たたらを踏んでよろけた身体で久々知にぶつかると、微笑みとともに腰を抱かれ、反射的に身体が跳ねた。

戸惑っている間に「失礼します」と後輩の声がして、名前は思わず久々知の装束を握っていた。

「――というわけで、名前を無性に甘やかしたい気分なんだけど」
「え」

――なにがどういうわけで?

大量の疑問符を浮かべる名前に甘ったるい笑みを返した久々知は、彼女をぐっと抱き寄せて頭に口づけを落とす。
名前は久々知の唐突な行動に息を呑み、そろっと視線を上げた。
機嫌よく微笑む久々知に見惚れて固まり、逃げるように彼の肩へ頭を預ける。優しく響く笑い声を、耳と伝わってくる振動で受け取りながら、衝動に任せて額を押し付けた。

「…久々知くん」
「ん?」
「……………ぎゅーって、してほしい」

聞こえるかどうかの声量で呟けば、すぐに腕の力が強くなる。
ほっとした途端、こらえていた涙が浮いてきて動揺しながら目を閉じた。

「なあ名前
「う、ん、なに?」
「我慢しなくていいんだぞ」

二人きりなんだから、と降ってくる声は柔らかく、宣言していたとおりの甘やかさを含んで名前の感情を揺らす。
後押しするように久々知の手のひらが名前の頭を撫で、ささやかに唇を寄せられた。





「……わたし、あの子の前でも泣きそうに見えた?」
「うーん…たぶん、大丈夫だったと思う」
「たぶん」
「だって俺は名前の後ろにいたしさ」
「………………。久々知くんから見たらバレバレだったんだ」
「色々我慢するのが大変だったくらいには。まぁ、ずっと名前を見てたせいもあるかな」
「~~~~っ、そういえば、あの子になんて言ったの?」
「“俺が欲しいのは名前だけで、他には興味ない”って感じのことを」
「――――な、」
「そんなわけで、名前が甘えてくれたら、俺としてはすごく嬉しいんだけど?」
「……………久々知くんは甘やかし上手だよね」

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