睡眠促進・その後
※久々知視点
※「睡眠促進」の続き
腕の中に閉じ込めたぬくもりがびくりと大きく震えたことで意識が覚醒する。
ただ、完全には目覚めていないのだろう。瞼は開かず眠りを引きずったまま、半端な感覚でやわらかなぬくもり――名前を抱きしめれば、耳が微かに息を呑む音を拾った。くくちくん、と掠れた声が俺を呼ぶ。
――ああ、名前も寝ていたのか。
ぼんやりとそう思いながら、無意識に彼女を抱き寄せる。あたたかい。
ゆるく息を吐き出して再び眠りに沈みこもうとしたが、ふいに触れてきた指につられて反射的に瞼が動いた。
うっすらと開かれた視界には名前の頭が滲んで映っている。頬を擦り寄せる間に名前の指が滑り、手のひらが俺の胸元に置かれた。
何かを確かめるよう息を詰め、身じろぎもしない。かと思えば、ほっと力を抜いて(首筋に当たる吐息がくすぐったい)僅かな躊躇いを見せたあと名前から擦り寄ってきた。
「……おかえり」
わかりやすく喜色が浮かんだ独り言のような呟き。
それはほとんど音になっていなかったけれど、静まりかえった部屋ではしっかりと耳に届き、俺の意識をはっきりと覚醒させてくれた。
大きく跳ねて速度を上げた心音に、ぴたりとくっついていた名前も気づいたんだろう、微かに肩が揺れる。
顔を上げようとした名前を押さえるように抱きしめて「ただいま」と答えたけれど、寝起きであることが原因で(絶対そうに決まってる)妙に上擦った情けない声になってしまった。
「わたし、寝るつもりなかったのに」
「…俺のせい?」
「ふふ…」
くすくす笑う名前は寝起きのせいか若干舌ったらずで、甘えるようにして胸に頭を押し付けてくる。
細い腕は俺の腰を回り、控えめに着物を掴んでいるのか時折引っ張られる感じがした。はっきり言葉にしなくても、雰囲気や仕草で“嬉しい”と言われているのがわかるから、なんだか俺まで嬉しくなって唇がゆるんでしまった。
部屋は真っ暗、外も真っ暗。明らかにしんとした夜の空気が漂うなか、自分のまわりだけ甘やかであたたかい。
そういえば、あのわざとらしいくらいの甘ったるい匂い――作られた香りがだいぶ薄れている。残滓を探して首筋に顔を寄せると、名前は大袈裟なくらいに跳ねて俺の着物を強く握った。
「あっ、待って…!」
確かめるだけにするつもりが、ついムラッときてしまい唇で触れ軽く食む。人工的な甘い匂いがひどく残念だと思いながら、舌でも触れ――ピリッとした感覚を覚えて咄嗟に顔を離した。
「――に、が…、……名前がにがい」
「…だから待ってって言ったのに」
照れた言葉の中に見え隠れする笑いを読み取って、名前を抱えたまま仰向けに転がる。
舌先に残る苦味をもてあましながら、ようやく“くの一教室関係だ”という思考に至った。
おとなしくされるがままだった名前は、もぞもぞ動いて「そんなに苦かった?」と聞いてくる。頷いて返したが、この暗さでは伝わったかどうか怪しいものだ。
「今日授業でね、こういう小道具もあるって教わったんだよ」
「…………どんな効果?」
「なんだっけ…………あ、そうそう、思考力低下って言ってた。匂いでぼんやりしちゃうんだって。その隙に色々情報を集めたり言質とったり騙したり――――でも人によって向き不向きがあるみたい」
さらりと怖いことを言いながら、自分には向いてないと思うと付け足す名前。話を聞きながら、相手との相性にも寄るんじゃないかと言いそうになってやめた。
俺には効いてたかもしれない、なんて――
「それでね、水みたいな液体だったんだけど、口に入れても安全ってことで…」
「…………まさか」
「そう、もう少しで痺れ薬にされるところだったんだよ。やだって言ったのに塗られちゃって…もったいないのはわかるんだけど」
ぶつぶつ言い始めた名前の声を聞きながら、腕の力を強める。
じわり、じわりとその効果と用途を思い浮かべ、胸がムカムカした。
香りに気づける距離、肌に塗って使う、甘い毒。
「名前、それ…使うなら、俺だけにして」
「久々知くんこの匂いイヤって言ってたのに…どうしたの?」
名前が上体を起こして俺を覗きこんでくる。暗さに慣れた目が不思議そうにする彼女の表情をとらえたけれど、俺はそれを自分の肩口に伏せさせて耳元へ口を寄せた。
「妬けるから」
ひそりと囁いたのはわざとだ。名前に誘われるのは俺だけで充分、なんて肝心な部分を言わないのも。
会話の成立しない受け答えのせいか、それとも弱い部分への刺激のせいか、名前はひゅっと息を呑み身体を縮こませる。いぜんとして俺が押さえたままだから、ろくに身動きできない彼女へ笑いを吹き込んでから、こめかみに口づけた。
ぴくりと跳ねただけで動かなくなった名前を見ようと力を抜く。
だけどしがみつくようにして俺の肩に顔を埋めているから、いまいちわからない。顔を上げてくれる気配もない。
ぎゅうと俺の服を強く握っている手に自分の手を重ねて撫でてから、腰のあたりでゆるく手を組む。じんわり伝わってくるあたたかさと、心地よい重さとやわらかさを実感しながらゆっくり息を吐いた。
「――名前、腹減らないか?」
「…………ん」
“うん”とも“ううん”ともとれる曖昧な返事だったけれど、反応があったことにホッとしたと同時に微かに笑いが漏れた。名前は照れているだけだ。
「よし、なにか食べにいこう」
「わ!?」
前振りもなく、名前を抱えるようにして起き上がる。
驚く声としっかり握られたままの着物に目を細め、無防備な彼女の頬に口づけを落とした。
きょとんとした顔の彼女が数回瞬いて、唇を引き結ぶ。暗さのせいで曖昧だけど、きっと赤くなっているんだろう。
自分の表情が緩んでいるのを自覚しながら名前を見つめていると、名前はひとつ息を吐いてくすぐったそうに笑った。
「かわいい」
思ったことをそのままぽろっとこぼしつつ、色づいているであろう目元にも口づける。その瞬間、名前は毎回のようにぎゅっと両目を瞑る――それを見るのも好きだ。
「…………」
「ん?」
そろっと開いた目に見つめられ、戯れに彼女の髪を指に絡めながら問い返す。
視線に誘われるまま口づけるのも魅力的だったけれど、ほんのり湧いた悪戯心と求められたい衝動が勝った。
物言いたげに開閉するやわらかそうな唇。
うろうろさまよう視線。
ぎゅうと強く握られる服。
羞恥に潤んだ瞳が揺らいだと同時にぐっと着物のあわせ部分を引っ張られた。
ちゅ、と触れたのは、唇の端。
「…………ッ、」
「……ふ、……くく」
「そ、そこに、するつもりだったの!」
恥ずかしさと悔しさが綯い交ぜになった顔で強がる名前の頭を撫でる。
笑い混じりに「そうか」と呟けば、ぐっと言葉を詰まらせて視線をそらした。
――名前のせいで、さっきからドキドキしっぱなしだ。
「じゃあ、俺も」
手のひらで名前の頬を撫で、すくい上げるようにして仰向かせ唇を塞ぐ。
軽く触れるだけにして顔を離すと、名前がゆっくり瞼をあげるところだった。
「…久々知くん」
ほんのり甘さを含んだ声と瞳。
笑みを返してゆるりと背中から腰を撫でれば、胸元にあった手がおずおずと首へ回される。それを合図にぐっと抱き寄せて、噛みつくような勢いで口づけを再開させた。
3029文字 / 2014.02.05up
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