カラクリピエロ

授業を盗み見

窓辺に座り込み、校庭を見降ろす。試合形式なのか、向き合う二人の真ん中辺りにもう一人忍たまがいて両側の二人を交互に見ていた。

(――久々知くんの番はまだみたい)
苗字先輩」
「なーに、兵太夫」

呼びかけに答えながら視線を動かす。
ちょうど準備運動らしきものをしていた久々知くんが動きを止めたところで、こっちに気づいてくれないかな、と淡い期待をしてしまった。

苗字先輩!」
「聞こえてるってば、どうしたの?」
「こっちのセリフです」

すぐ隣に立って強い調子で呼ぶものだから顔を向けると、呆れたっぷりに溜め息をつく兵太夫。
一年は組は今、先生二人と生徒数名が外出しているとかで自習の時間だ。先生が置いていった課題にわからないところでもあったのかと思えばそうでもないらしい。

「いきなり来たかと思ったら窓に張り付いてるし、先輩がいると気が散ります」
「そういうのは真面目に課題に取り組んでる人じゃないと説得力がないよ兵太夫」
「……庄左ヱ門、言ってやってよ」
「…ん?なに、兵太夫。あれ?苗字先輩いつのまに」

兵太夫が真面目じゃなかったのをあっさり認めたところに気を取られ(私がいるせいで取り組めない、と言い返してきそうな人を何人か知っているから)、にこやかに挨拶してくる庄左ヱ門には妙にぎこちない挨拶を返してしまった。

「庄ちゃん集中しすぎ」
「兵太夫はちっとも進んでないじゃないか。先輩が来て嬉しいのはわかるけどちゃんとやってね」
「…兵太夫、構ってほしかったの?」
「違います!」

ぷいと顔を逸らして庄左ヱ門の方に向かう兵太夫を見送る。
文句を言っているらしい彼に、庄左ヱ門は「はいはい」とおざなりな返事をしながら騒いでいる『は組』に注意を促していた。
なんだか微笑ましくて、つい小さく笑いをこぼしながら再び窓の外――校庭へと目を向ける。久々知くんがいない。

「あれ?」

もしかして試合に参加しているのかと焦って視線を走らせる。
見逃したら、なにしにここまできたのかわからない。

「あ」

見つけた、と思った瞬間、久々知くんの蹴りが入って相手をしていた忍たまが距離をあけて座り込む。
久々知くんが慌てたように走り寄ってその人を助け起こすのを見ながら、苦しさを感じて息を吸った。
無意識に息を止めていたのかもしれない。

「――せ…ぱい」

ほとんど見逃したのが残念とか、もっと近くで見たかったとか、そんなことを考えながらまだ目が離せない。
今までだってたくさん見てきたつもりだけど、全然飽きないどころか新しい発見も多くて…心臓が痛いくらい速い。
ふとこっちを向いた久々知くんにドキッとした途端、彼が大きく目を見開く。

(え?)
「先輩!」
「え!わ、ちょっと!?」

考える暇もなく両腕と装束を思いっきり引っ張られ、尻もちをついていた。
なにやら兵太夫が怒ってる。庄左ヱ門は心配してくれているようで、虎若(装束を引っ張ったのは彼らしい)を始めとした他の一年生も似たような表情で私を見ている。

「聞いてるんですか苗字先輩!」
「えーっと……ごめんなさい。どうして怒られてるのかわかりません」

剣幕に押されてつい丁寧に返した私に、更に目を吊り上げた兵太夫が「落ちる気ですか!」と叫んだ。
そんなつもりは全くなかったけど、身を乗り出し過ぎて落ちそうになっていたのは確からしい。
本気で怒っている兵太夫と助けてくれた一年は組の皆に改めて頭を下げる。

「ごめんなさい」
「……ほんとに、びっくりしたんですからね」
「うん、ごめん。ありがとう」

むすっとした顔をしているけど、兵太夫が許してくれたのがわかる。
重ねてお礼を言えば庄左ヱ門が安心したように笑った。
それが『は組』の皆に広がっていくのを間近で見ながら、私の傍に座り込んでいる兵太夫の頭を撫でた。

「…先輩のせいで終わりそうもないので、手伝ってくださいね」
「はいはい」

あの時、びっくりした顔をした久々知くんは私に気づいてくれてたのかな、と一度窓の外を見てから土井先生が作ったという課題に目を落とす。
いつの間にか兵太夫だけじゃなく、その場にいる『は組』に手を貸す状態になっていて、普段の土井先生の苦労がちょっとだけわかった気がした。

――授業の終わりを知らせる鐘が鳴る。
今日の久々知くんもかっこよかったなぁと思い出しながら窓辺に寄ったら(落ちないでくださいよ、と兵太夫に釘を刺された)、そこから飛び込んできた人とぶつかりそうになってものすごく驚いた。

「……やっぱりいた」
「久々知先輩!」

私が認識するよりも早く、は組の誰かが彼を呼ぶ。
微かに唇を動かした久々知くんが目元を緩め、そっと私の頬を撫でた。

(――今、なんて言ったんだろう)

不躾なほど彼を凝視している自分に気づいて一気に頬が熱くなった。

「ど、どうして窓から……あの、私は別にサボってたわけじゃなくて、一年生の邪魔はしちゃったかもしれないけど手伝いもしたからそれでチャラにしてほしいというか」

ごにょごにょ言い訳を重ねる途中で移動を促すように手を引かれる。
一年生に見送られつつ、なにも言わない久々知くんに不安を覚えてそっと手を握り返すと、足を止めながら大きな溜め息を落とされて肩が震えた。

「……さっき、見てたろ?」

うん、と頷いて反射的に謝りそうになるのを堪える。
だって悪いことをしてたわけじゃない。

(そりゃ、盗み見だったけど)

駄目って注意されたってこの先も機会があれば同じことをしそうだ。
なにを言われても返せるようにと思いながら顔を上げたら、ふわりと優しく抱きしめられた。

「…………え!?」
「あんまり、かっこ悪いところは見られたくないんだけど」
「? かっこよかったよ?」

それも、かなり。普段は見られない姿につい興奮して、一年生を心配させてしまうくらいに。
肩に乗る久々知くんの頭にドキドキしながら心の中で付け加える。そういえばあの場面を見られていた気がする。
思い出したら恥ずかしくなって身をよじったけれど、逃がさないと言いたげに腕の力が強くなり、ますます心臓がうるさくなっただけだった。

名前はずっと見てたわけじゃないのか?」
「見てたかったんだけど、途中から兵太夫…は組の手伝いで」
「ああ…そうか…………なんだ」

久々知くんの声はよかったと言いたげなのに、どことなく残念そうにも聞こえる。
私の勘違いかもしれないけど、それを伝えたくなって顔を上げたら額に軽く口づけられて、問いかけの言葉は吹っ飛んでしまった。

「もう一回聞きたい」
「な、なにを?」
「さっきの。見てた感想」

なぜだろう。なんだか伝えるのが妙に恥ずかしい。
久々知くんとの距離かもしれないし、その表情や声かもしれない。
まっすぐ見つめていられなくて、逃げるように胸に顔を埋めながら“かっこよかった”と口にしたものの、自分でも驚くくらい小さな声になってしまった。

でも、言い終わったときにぎゅうと強く抱きしめてくれたから。
きっと私の言葉をちゃんと拾ってくれたんだと思う。

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