カラクリピエロ

たなからぼたもち

山本シナ先生の部屋で正座をしながら出てくる言葉を待つ間の緊張感。
パラ、と名簿をめくる音がやけに大きく聞こえて、ごくりと息をのみこんだ。

「――…罠を仕掛ける方は割とクリア率が高いですが、してもらう関係はほとんど駄目ですねぇ」
「は、はい…おっしゃる通りです」

目の前にいるのは一見優しそうなおばあさんなのに、なかなか顔が上げられない。
これは補習についての連絡がきそうだと予想して、溜息が漏れそうになるのを懸命に堪えた。

「そうだわ」

ポンと両手を打つシナ先生の声に膝のあたりをぎゅっと握る。
そうっと顔を上げたらにこにこ笑顔にぶつかったけど、ちっとも安心できない。

「久々知くんにしましょうか」
「…え?」
「五年い組の久々知兵助くんを指名します」

相変わらずのにこにこ顔で、名簿になにかを書き込んでいるシナ先生が「甘えるのは良い練習になりますから」と言うものの、それがなかなか理解できない。
呆然とする私をよそに先生は期限を決めて、それまでに久々知くんに何かご馳走して貰うこと、と課題の内容を告げた。
後でシナ先生に報告して、それを先生が久々知くんに直接確かめるらしい。

誤魔化そうとしないように。
そう釘を刺されてギクッとしてしまったのは失敗だった。

――高級品じゃないなら簡単じゃないの。

友人に愚痴ったらあっさり返されて言葉に詰まってしまった。私にとっては全然簡単じゃありません。

これが例えば逆…ご馳走してあげる、だったら気軽に言いだせるのに。

そう呟いたら友人は溜息をついて「仕方ないなぁ」と言いながら“とっておきの方法”を教えてくれた。

+++

「――今日は何を買いに行くんだ?」
「え!?ええと……町に着いたら考えるとか…でも、いい?」
「俺は全然構わないけど、珍しいな。名前が目的を決めてないのは」

小松田さんに外出届を提出しながら久々知くんが振り返る。
たまには、と答えながら曖昧に頷く私をじっと見て小さく笑った。

「…まあ、いいか。名前になら」

意味深な言葉に何度も瞬きをして久々知くんを見たけれど、にっこり笑顔が返ってくるだけ。そのまま手を差し出されたのが嬉しくて、ドキドキしながら久々知くんの手を握った。

「久々知くんは何か買い物ないの?」
「ん?そうだな…今のところ足りないものはないし、委員会の方も特に…」

歩調を緩めて考え込む久々知くん。
思考して確認している横顔をそっと窺うように見てから、友人からのアドバイスを実行すべくうるさい心臓を抑える。

――まず密着しなさい。ただし、歩きづらいと感じさせないこと!

腕を抱きこむ感じで、と実践混じり(ちなみに相手は私だった)に教えられたことを思い出しながらちょっとずつ距離を詰める。

(足、ひっかけないようにしないと…)

足元を見下ろしつつ繋いでいる手を支点にしながら腕をくっつけると、久々知くんの指先がぴくりと動いた。
一瞬振り払われるんじゃないかと思って心臓がドクリと音を立てる。だけどそんなのは思い過ごしで、より強く手を握られただけだった。

ほっとして緩く息を吐く。軽く唇を噛んでから深呼吸して、空いていた手を久々知くんの腕に絡めた。
ドックンドックンうるさい鼓動を耳に入れながら、手は繋いでない方が歩きやすいかもしれないとどこか冷静に考える自分がいる。

「……一つだけ、聞いてもいいか?」
「う、うん」
「今日、山本シナ先生は一緒?」

何を聞かれてるのかわからなくて久々知くんを見上げる。久々知くんは口元に手をやって俯きがちで目は合わなかったけど……、耳が真っ赤だった。

一気に顔が熱くなって、つい久々知くんの着物を握りしめてしまう。
慌てて力を抜くと久々知くんが私を見てゆっくり瞬いた。

「な、何のことかわからないけど……先生は、自分の部屋じゃないかな…出張されるって話は聞いてないし」

しどろもどろに答えながら、もう無理かもしれないと思い始める。
このあとは店先で“上目遣いしながらおねだり”って言われたけど、実践できる自信がない。

――目は逸らさないのがポイントよ。大抵はこれで気前よく奢ってもらえるから!

パチン、とウィンクする友人の楽しそうな表情を思い出す。
誘い文句についてまでみっちり教えてもらったのに、いざとなると全然形になってくれなかった。

名前、ちょっと寄り道したいんだけど」

久々知くんの提案に対して咄嗟に声が出せなくて何度も頷く。
私は足元に視線を落とし、久々知くんについていきながら店先での行動を頭の中で想定してみた。

(…………どうしよう、成功したところが想像できない)

ジャリ、と土を踏む音と自分に影を落とされたことにはっとして顔を上げる。
廃屋か廃寺か――移動先について判断する暇もなく抱きしめられて、危うく悲鳴を上げるところだった。

「え、……え!?」
「…これ俺が対象の抜き打ちだったら間違いなく終わってるよな」

少しずつ強くなる腕の力に戸惑いながら、ふわっと久々知くんの匂いがして胸が高鳴る。
目を瞑ってゆっくり寄りかかると、久々知くんが小さく息を吐いた。体温が近い。

「久々知くん、あの、」
「…うん。課題だろ?名前のか俺のか、どっちなんだろうって思ってるけど」
「…………私のです」

いつバレたんだろう。
久々知くんに感づかれたら失格になっちゃう?
それとも“ご馳走して貰う”が実行できれば大丈夫?

ぐるぐる考える私を覗き込んで、久々知くんが柔らかく笑う。
それにドキッとさせられながら身構えていると、唐突に目尻に口づけられて思いきり目を見開いてしまった。

「な…、な、な、なんで!?」
「これくらいしておかないと落ち着けないし」
「わ、私は、久々知くんのせいで全然落ち着けないよ…!」

絶対赤くなってる顔を俯けて口元に手の甲を当てると、抱き寄せられて耳元でくすくす笑われる。
久々知くんは私の後頭部に手を置いて、ゆるく撫でながら「ごめん」と謝ってくれた。けど、相変わらず笑ってるからきっと全然悪いと思ってない。

名前、機嫌直して」

恥ずかしかっただけで、別に不機嫌になったわけじゃない。
だからそう思われるのは困るなって思ったのに、優しく抱きしめられて、言おうとしていた言葉は吹っ飛んだ。

「――そうだな…じゃあ、甘いもの。食べに行かないか、奢るから」
「…………い、いいの?」

びっくりして聞き返すと久々知くんはきょとんとした後パチパチ瞬きをして、不意に顔をほころばせた。

「やっぱり名前は甘いものに弱い」
「ち、違う、それに釣られたわけじゃないよ?」
名前が俺のほう向くならなんでもいいよ」

そんな殺し文句で私の言い訳を封じる久々知くんにまた顔が熱くなる。
悔しさ混じりのせいで睨むように見上げる私に、久々知くんは笑いながら私の額にそっと唇を落とした。





「山本シナ先生に呼び出されるなんて……とうとうくのたま長屋で何かしでかしちゃったの?」
「…………雷蔵、“とうとう”ってどういう意味だ。名前に何かご馳走したかって聞かれただけだよ」
「えー、それだけ?あ、三郎!それ最後の一個なのに!せめて食べていいか聞くべきだろ!」
「ははっ、甘いな勘右衛門。こういうものは早い者勝ちと相場が決まっている!」
「奢ったもん聞いてなんか意味あんのか?いてっ、おい学級委員長共、乱闘ならよそでやれ!」
名前の課題だったみたいだ」
「みたいって…気づかなかったの?」
「最初は罠に誘い込む気かなって……途中からは理性が試されてるのかと思ってた」
「もった?」
「ぎりぎり駄目だった」
「駄目だったのかよ!」
「でも一応場所は選ん」
「わーーー!いいよ言わなくて!!」
「あー…、で?結局名前は合格したのか?」
「うん。おまけで、って扱いらしいけどな」




喜び勇んで報告(お礼)に来た夢主は学級コンビの乱闘に巻き込まれます。

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