カラクリピエロ

生物委員会(閑話:久々知)


※30話、久々知視点





名前が三年生から聞いたという場所へ足を進めながら、彼女と繋がっている指先に意識を向ける。

『――久々知くんの手、好き』

なんだか微笑ましい行動をし始めたと思った途端に、これだ。

照れくさそうにはにかむ顔まで一緒に思い出して、顔が少し熱をもつ。
昨日の朝といい、さっきといい、まるで俺が油断した隙を突くように爆弾を投げてくるなんて…
頬を染めて嬉しそうに笑う名前は純粋に気持ちを伝えてくれてるだけだろうけど、押し倒されても文句は言えないと思う。

さく、と草を踏む音にハッとして景色を確認する。
何もない、と感想を漏らしたら、同意するようにくすくす笑う名前が「“穴場”だからね」といたずらっぽく言った。

奥へ進みながら“珍しいものが生えてそう”と口にする彼女は、言葉通り薬草でも探しているのか足元を見つめたまま。かと思えば急に足を止め、前触れもなくその場に座ってしまった。

着物が汚れるんじゃないか。それを心配している自分に気づいて戸惑う。
俺は潔癖というわけじゃないし、自分のはもちろん友人のものだって気にしたことなんかないはず――考える途中で軽く手を引かれ、促されるまま隣に腰を落ち着けた。

小さく息を吐いた名前が緊張した面持ちで背筋を伸ばす。それに気づいて、ひとまず思考を切り替えた。

名前は膝元に視線を落とし、ぶち、と草を引き抜く。
別に薬草や珍しい花ではない。急な行動に驚きながら表情を伺えば、名前はきゅっと唇を引き結び、落ちつかなげに視線を泳がせていた。

開いては閉じる唇が言葉を紡ごうとして震える。

「………………私、」

言いにくそうに絞りだされる声を聞いて――安堵している自分がいた。

俺はこれから何を言われるのかを知っている。もちろん名前も気づいているだろう。
話してくれるのを待つと決めたのは自分自身だが、今まで黙っていた分、少しくらいは罪悪感を感じて欲しいと思っていた。

たとえ名前にその気がなくても、ただの茶番だとしても。俺にとってはそうじゃない。
名前の今後に関わってくる話なんだから、あっさり吐きだされたくなかったんだ。

そっと名前の手を覆うと、びくりと身体を震わせて泣きそうな顔で視線を向けてくる。
巻き込まれた草で手を切らないように、指を開かせながらそれを取り除いた。
彼女は浅く呼吸を繰り返し、懸命に言葉を紡ごうとしているのがわかったから――俺も大人しく待つことができた。

「私、今度、お見合いがあるんだよ……」
「……うん」

予想していたはずなのに、心臓が大きな音を立てる。
すぐには治まらない鼓動の合間に微かな痛みを感じて、思い通りにならないものだなと苦笑した。

誤魔化すように、見せてもらった手紙に書かれていた日付を口にする。
名前はまだ読んでいなかったのか僅かに目を見張り、諦めたように「そっか」と呟いた。

――あの手紙は、名前が散々渋っていたことに対する小言から始まり、確定した日付、場所……それから、“念のため”と称して相手の情報が書かれていた。

ぼんやりと、夜に勘右衛門とした会話を思い出す。

名前は見合いに乗り気なのか”

手紙の内容から考えれば、答えは否だ。
だけど……それは俺の想像じゃなく、文字でもなく、名前から――

「行きたく、ない」

ぽつりと、小さく聞こえた呟きに驚いて名前を凝視する。
直接聞きたい。そう考えていたことを彼女に伝えてしまったのかと思った。

「…あ、あれ…なんで?」

慌てたように顔を伏せる名前が忙しなく目元を擦る。
僅かに身体を反らし、離れたがる様子を見せるから……繋いだままだった手を引いて、腕の中に閉じ込めた。
覗き込めば、驚きで目を見張る名前が何度も目を瞬かせている。
頬をつたい落ちていく涙を止めたくて唇を寄せると、名前の肩が小さく跳ねた。

「ちがうの、これは」

言いながら首を振る名前に意味をたずねても“違う”としか返してこない。
戸惑いと混乱を同時に浮かべ、名前が俺の胸を押す。当然、逃がす気はなかった。
弱々しい抵抗を押さえ込むように腰に腕を回しながら――名前に初めて「好きだ」と伝えたときのことを思い出していた。

(あのときも、名前は逃げたっけ)

華奢な背中に手を添えて、距離を詰める。
彼女の頭に頬で触れるようにすり寄って、そのまま肩を抱くと名前が身じろいだ。

――そろそろ落ち着いただろうか。

表情を確認したくて少しだけ身を引く。視線を下げれば目に入るのは両手で俺の着物を掴み、まだ不安そうにしている名前の顔。

不安がることなんかなにもないのに。
あったとしても、名前がそれを吐き出してくれれば、どうにかして解消してやる。

じっと見つめ返すと名前は再び涙を浮かべ、唇を開いた。
小さな声で途切れがちに紡がれるのは、俺に向けての、告白。

「久々知くんしか…」

ドクンと心臓が跳ねる。
鼓動の速さのせいか、胸が熱い。

「――久々知くんだけ、好きなのに」

震える声と、頬を伝う涙。
掠れていても、しっかり届いた“好き”という言葉のせいで、熱いを通り越して苦しい。
衝動を抑えきれず、「行きたくない」と言いながら首を振る名前の目尻に口づけてしまった。

俺は、名前が好きだ。
可愛くて、愛しくて、しかたない。

全部――俺のものにしたい。

名前が小さく震えたことで、ぎくりとした。

もう抑えておくのは無理かもしれない。だって、実際にこの手で…指で、触れてしまった。
指先に残る柔らかさにドキドキしている。

驚いた顔で数回瞬いた名前は、口元を隠すようにしてくすくす笑う。
ほんのり頬を染めて、可愛らしく。
――それは、結果的に俺の背中を押した。

俯きがちになっていた彼女の頬へ、手のひらを滑らせる。
軽く額を触れ合わせると、名前はびくついて俺の胸元を握り、徐々に顔を赤くしていった。

睫毛が素早く上下するのを見つめる傍らで、自分の手からはそわそわしている様子が伝わってくる。
ふと拒絶されていないことに気づいて、心音が一際大きくなった。
直後、名前は真っ赤な顔でちらりと俺を見て――ゆっくり、目を瞑った。
力を入れすぎて微かに震える睫毛を間近に捉える。
それを可愛いと思いながら……、そっと唇を触れ合わせた。

ふんわりした感触に驚いて、反射的に離れてしまった。
ドクドクうるさい心臓を無視しながら、しれず自分の唇を舐める。

指で触れたときとは全然違う。
頬や、額への口づけとも違う。

自分でも意外なほど緊張しているけれど、同時に“もっと”と求める感情の方が強く、俺は考える余裕もなく再び名前に口づけを落としていた。

欲求を満たすように、唇を強く押し付ける。
薄い皮膚伝いに伝わってくる温かさと柔らかさが心地いい。
ときおり感じる震えを確かめようと唇を動かした途端、名前が小さく声を漏らした。

苦しそうなのに、どこか色っぽい――――心臓の音が、うるさい。

「やばい……」

口付けがこんなに気持ちいいものだなんて知らなかった。
俺に寄りかかって息を整える名前の色気も、やばい。

自制もかねて口を引き結んでいると、名前は俺の着物を引きながら胸に顔を埋めた。

「…………なんか、てれるね」

ぽつりと呟いて、恥ずかしそうに、嬉しそうに笑い声を漏らす。

――もう一回してもいいか。それを聞く前に、俺はもう行動を起こしていた。




-閑話・了-

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