カラクリピエロ

不器用な溺愛


※鉢屋視点





名前が風邪をひいた。
少し前から声が変だとは思っていたが、私から からかう余裕を奪うほどになり、どうやら寝込むまで悪化したらしい。

『うつしちゃうからこないで』

伝言だ、と朝にくのたまが持ってきた文(というよりは紙切れ)を眺めて黙り込んでいると、向かいから忍び笑いが聞こえた。
目をやれば雷蔵が「飽きないね」と言いながら私の目の前にリンゴをひとつ。

「…なんだ?」
「僕からのお見舞い。届けてくれるよね?」

誰に、と聞き返すつもりが雷蔵の笑顔に押し戻される。
さっさと行って来いと後押しされているのはわかるが、妙な反抗心が素直に頷くのを阻止していた。

「俺だ、入るぞー」

返事をする前に戸が引かれ、八左ヱ門が入ってくる。
すぐ後ろには『い組』の二人もいて、それぞれが持ってきたものを机の上に置いた。
リンゴ、リンゴ、リンゴ…って今日はリンゴの特売でもあったのか!?

雷蔵のと合わせて四つ、目の前に転がるそれを雷蔵が風呂敷で包む。

「これ善法寺先輩から。熱あるようなら飲ませろってさ」
「これは立花先輩。のど痛めてるだろうからって言ってたよ」
「で、俺のに追加な。熱さましにも使えるぞ!」

薬と、薬用らしい飴、そして…豆腐。兵助の“万能で素晴らしい”とでも言いたげな笑顔は置いといて――

「なぜ私が持っていくこと前提でここに集めるんだ、これが目に入らないのか?」

名前直筆の“来るな”と書かれた一文を見せつけて言えば、一様に溜息をつかれた。

「せっかく三郎のために、おれらで口実用意してあげたんだから素直に使えって」
「まあ三郎がいかねぇなら俺が届けてくるよ。見舞い品はともかく薬はあった方がいいだろうし」

勘右衛門の言葉に思わず詰まったところで、八左ヱ門が手際よく風呂敷の中身を追加して(豆腐は放置された)持ち上げる。
どうするんだ、と視線で問いかけてくる八に舌打ちして、腰を上げた。

「三郎、忘れてるぞ」
「…………兵助、それはわざとだ。中身が豆腐の水気でびちゃびちゃになるだろ」
「お前がくのたまに変装して手で運べば大丈夫だよ」

いつもなら屋根裏伝いにひっそりと侵入していくところを、堂々と正面から行けと?
な、と笑顔でろくでもないことを言い出す豆腐小僧は、どうやら私にスリルを体験してほしいようだ。

+++

名前の部屋を目指し、くのたま長屋をなるべく早足で進む。
あいつの部屋がやけに遠く感じるのはさっきからまとわりついている緊張感のせいだ。
潜んでいく方が何倍も楽だと感じるのはここ――くの一教室の敷地――くらいのものじゃないだろうか。

変装術はお手の物だが、さすがに女特有の丸みまで再現するのは難しい。
外出から帰ってきた生徒を装えばよかったと気づいたのは長屋を半分ほど過ぎたころ。
半ばやけになって突き進み、目的の部屋へ。一応声を作ってから名前に声をかけた。

くぐもったかすれ声が了解か否かよくわからない返事をよこす。
起きているならいいかと戸を引いて、目の前の光景に固まった。

名前が上体を起こしているのは、いい。むしろ変に気を使わなくて済む分助かる。
こちらに背中を向けているのも、まあいい。
着物を半端に脱いでいる――これは、駄目だ。

名前が抑えた咳に合わせ、華奢な背中が小刻みに震える。
背に流れる髪が揺れ、なめらかな肌がちらちらと露出した。
腰まで落とされた寝巻きがもぞもぞ動き、片腕が引き抜かれたところで名前が動きを止める。

「? ごめん…寒いから閉め」
「ま、待て動くな!」

相変わらずのかすれ声で言いながら、振り返ろうとした名前に待ったをかけた。さすがにそれ以上動かれたら見えてしまう。
見たいか見たくないかを聞かれれば愚問だなと答えるが、不意打ちは危険だ、色々と。

豆腐を皿ごと床に置き、ガタガタ音を立てながら扉を閉めたところで…自分の間違いに気づいた。

――なぜ私は後ろ手に扉を閉め、部屋の中に入ってしまったのか。

「…………さ…三郎?」

恐る恐るといった感じでこっちに問いかけてくる名前は申し訳程度に前を合わせただけで、ある意味さっきよりも悪化していた。
背中も肩も丸出しで、問いかけの姿勢は上目遣い。前を掻き合わせているせいで胸が強調されているように見える。
素早く頭を振り、視界から逃がす意味も込め、咄嗟に持ってきていた自分の上着で名前を覆った。

びくっと震えて息を吸い込んだ名前の口を慌てて塞ぐ。
ここで叫ばれでもしたら面倒だからとそうしたが、自分で自分を追い込んでいるような気がしてきた。

密着した身体は布一枚しか隔てていないせいか体温も柔らかさも生々しい。名前が熱いのも、瞳が潤んでいるのも、名前が発熱しているせいだ。わかっているのに――煽られる。

煩悩に負けそうになっていた頭を思い切り振る。
病人の名前を前に余計なことを考えている場合じゃない。

(――私は今くのたまだ、くのたま、くのたま、くのたま)

繰り返し、暗示をかけるようにして名前から手を離す。
咳払いをひとつして、終わったら声をかけろと言い残し、できるかぎりの速さで部屋を出た。

無心になろうと努力しているうちに(結局無心にはなれなかったという事実には目を瞑る)、戸が少し開く。
呼べと言ったのに、自ら動く名前は風邪を悪化させたいんだろうか。

「まさか、声が出なくなったのか?」
「…出る」

思いっきり掠れているが聞き取れないほどじゃない。
名前を布団に追いたてながら追及すれば、名前はムッとした顔を俯けて布団を握った。

「……呼んで…答えがなかったら、嫌だったんだもん」
「………………そこまで薄情じゃないぞ私は」

心が乱されているのを考えないように、かろうじて返したら、名前が手を伸ばしてきた。
珍しいこともあるものだと、何の気なしにその手を取る。指先を握られたことに驚いて名前を見ると、名前はふにゃりと相好を崩した。

「……ありがと」
「なんだいきなり」
「…来て、くれたから」

嬉しそうに笑う名前を直視していられず、預かってきた見舞いの品を取り出して並べる。
リンゴと薬と飴、それから豆腐。

「私はこれを届けに来ただけだ」
「うん。ありがとう、嬉しい」

美味しそうだね、と手に取ったのはやはりリンゴだ。

「…冷たくて気持ちいい」
「そうか?」

リンゴを頬にくっつけて微笑む名前の真似をしてみるが、全然そうは感じない。
せっかくだから剥いてやるかと装束に手を入れて、目に入った桃色に顔をしかめた。気づいたからには落ち着かない。

名前、私の上着はどうした」
「…貸して」
「は?」

目に見えるところには見つからず、室内を探りながら聞けば思ってもない返事が返ってくる。
思わず聞き返すと名前は顔を真っ赤にして、絞り出すように同じ答えを返してきた。

「今日…だけ。お願い」
「……いたずらするなよ」
「い、いいの?」
「私からの見舞い品ってことにしてやる」

巧妙に隠しておいて、駄目だと断ったらちゃんと返す気があったんだろうか。
桃色の制服から藤色の制服(袴のみ)へ早替えして、顔も雷蔵のものに変える。
一息着いたところで名前を見れば、浅い呼吸を繰り返し、うっすら汗をかいていた。

「馬鹿、しんどいならそう言わないとわからないだろう。というかなんで起きてるんだお前は。ほら、さっさと寝ろ!」

なんでも何も名前が起きていたのは自分が来ていたせいだろうが、自己申告しないのは名前の悪いところだ。
ぎゅっと布団に押し込んで手ぬぐいで汗を拭いてやる。
名前は驚いた顔で何度か瞬くと嬉しそうに笑った。

「三郎…リンゴ、食べたい。うさぎにして」
「兎!?」
「できる?」

からかうような顔で言われて無言でリンゴを手に取る。
黙々と兎を削り出して、どうだ、と見せたらものすごく微妙な顔をされた。

「すごいけど違う」
「どこがだ、ちゃんと兎だろう?耳もあるし尻尾もあるし、つぶらな瞳だ!」
「そういうリアルなのじゃなくて、うさぎリンゴ」

懲りずに起き上がった名前は私から道具を取り上げてリンゴを切っていく。
それを見ながら自分で作った完成品を食べていたら、今度は文句を言われた。

「なんで食べちゃうの?」
「まだあるんだからいいだろ一つくらい」
「それは、私が食べたかったのに…」
「…………」

目に見えて落ち込むなんて大袈裟だろうと思ったが、その反応はなんとなく嬉しいとも思う。

ブツブツ言いながらなぜか豆腐に手をつける名前に、見よう見まねで“うさぎリンゴ”にしたものを皿に乗せてやった。

無言ながらも嬉しそうにそれを食べる名前からそっと視線を外す。
どうせ食べきれないだろうとリンゴの消化を手伝い、ついでに薬を飲ませると、再度名前を布団の中に押し込めた。

「…もう帰っちゃうの?」
「そんなにいてほしいのか?」
「うん」

からかうつもりで聞いたのに、率直な答えに動揺してしまう。
だが名前はほとんど眠りかけだったから、私の些細な変化を気づかれることはないだろう。安堵して緩く息を吐き出す。

「…………お前が、来るなと伝言を寄越したくせに」
「うん…、……風邪、うつったら、ごめんね」
「私はお前ほど柔じゃないから安心しろ」
「……さぶろ…」
「なんだ」
「……、」
「?」

聞き取れなくて顔を近づけたけれど、名前は結局言い直さないまま眠りに落ちていた。

そっと髪をかきあげ、額に手をおいて熱を測る。
まだ微熱はありそうだが、先ほどの様子なら明日には回復するんじゃないだろうか。

「…早く元気になれよ」

なんといっても張り合いがないのはつまらないからな。

(…………誰に言い訳をしているんだ私は)

衝動的に、軽く額に口づける。
ほんのりリンゴの匂いがするのは私か、それとも名前か…そんなどうでもいいことを考えた。

らしくないことをしたからか落ち着かず、布団を整えてやっていたら指先に薄い布の感触。こっちも整えた方がいいかと引っ張ったら、出てきたのは自分の装束で思わず息を呑んだ。

「ん、…っ、くしゅ、」
「!」

少し迷ったものの、一度布団をどかして(無防備に脚をだしすぎだろうと思ったが見なかったことにした)元通りになるように自分の装束を掛け、再度布団を乗せる。
名前はもぞもぞ動いて身体を丸めると、満足そうに私の装束を握った。





「おはよう三郎!不破くんもおはよ!」
「…………なんだ…こんな朝っぱらから…………」
「早く起きられたし、返すのも早い方がいいかなと思って。ありがとうこれ」
「………………ああ、それな。その様子だとよく眠れたのか?」
「うん!…いい夢、見た」
「…どれ私にも体験させろ」
「きゃ!?きゃああああああ!!」
「!? な、なに!?どうしたの?さぶろ…いや、苗字さん?え?なにごと?」
「は、は、はな、離してよ!!」
「今は鼓膜が痛くて無理だ」
「う、うそつき…!」

「ん~~!今日はいい天気になりそうだなぁ…」
「…雷蔵、お前大物すぎるぞ」
「おはよう八左ヱ門、どうしたの?」
名前の悲鳴で起こされて来たんだよ…なにごとかと思うだろ!?」
「あー…見たとおり?」
「来て損した!!」

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