カラクリピエロ

ペット志願の勘右衛門

今日シャンプーが切れていなければ。
外が土砂降りじゃなければ。
普段は通らない近道を使おうとしなければ――、私に向かって手を振る元同級生を前にしてそんな“たられば”を考えていた。



コンクリートに当たって跳ね返る水滴の高さや傘にぶつかる雨音の重さ。水を吸い込んで濡れる靴の不快感。
イライラしながら公園を通過していたら、この大雨だっていうのに傘も差さずにベンチに腰掛ける人影を発見して一瞬ゾッとした。まるで幽鬼だ。オカルトなんて信じてなかったけど思わず足があるかを確認してしまった。
雨粒が跳ねてるし泥だらけのスニーカーは水たまりに浸かってる。
じゃあ彼は変人だ関わりたくない、と結論付けて素通りしようとしたら唐突に苗字を呼ばれた。

「あれ?苗字だよね?苗字名前ちゃん」
「………………どちらさま?」
「やだなー、尾浜だよ。学級委員長やってた尾浜勘右衛門くん」

足早に通り過ぎてしまおうと思ったのにフルネームで呼ばれて立ち止まったら、私に向かって笑顔でひらりと手を振る。
それからずぶ濡れの髪をかきあげて、すぐそばに置いてあったバッグをごそごそ探り始めた。
顔と名乗りでおぼろげながら思い出していた私は溜息をつきながら彼に近づいて、僅かに傘を傾ける。既にぬれ鼠の尾浜くんには明らかに意味のない行為だけど自分だけ傘に入ってるのも気が引けた。

「ありがと」

尾浜くんはバッグを探っていた手を止めて、へらりと嬉しそうに笑う。
別に、と返せば目的のものを探り当てたのか何かを差し出してきた。

――大川学園大学部の学生証。

「…………それで、これをどうしたらいいの?」
「おれの身分証明。で、今夜一晩泊めて」
「は!?」
「ついさっき彼女に振られて追い出されてさぁ…おれ今日宿なしなんだよね。どうしよっかなーってぼーっとしてたら苗字が通りかかってくれたから」
「いやいやいやいや何言ってんの、その冗談面白くないから」
「え、おれ本気だけど」

あっけらかんと言われて私の方が絶句してしまった。
一応顔見知りとはいえ、大して親しくもない異性に“泊めて”ってお願いするなんておかしいんじゃないの。
尾浜くんの女性事情はわからないけど、私の記憶が確かなら親しい男友達だっていたはず。そっちを頼ればいいと思う。

「それがさー、携帯壊されちゃって…ほら」
「…………えー」
「あは、携帯って結構脆いよね」

見せてもらった携帯は折り目の部分で真っ二つに割れていた。逆パカってやつだろうか、初めて見た。
呆然としていた私は尾浜くんの盛大なくしゃみを聞いてハッと我に返る。自分の携帯を貸してそれで連絡をつけてもらおうとしたけど、元々シャンプーだけ買ってすぐ帰るつもりだったから持ち歩いていなかった。
迷いに迷っている間、二度目のくしゃみ。

「ごめん」

眉尻を下げて笑う尾浜くんを見て、思いっきり大きく息を吐きだした。
嫌々だという感情が表にもでてしまったけど、実際嫌なんだからしかたない。彼に立つように促して、こっち、と行き先を指差す。

「いいの?」
「泊めるんじゃなくて、携帯貸すだけね」
「ちぇー…まあいいか。ありがと苗字!」

――私はこの笑顔と納得したかのようなセリフに騙された。

渋々自分の家に彼を迎え入れて、床をびしょぬれにされたらたまらないと風呂場に押し込んだ。
タオルと一緒に携帯を差し出せば、当然のように「誰のが入ってる?」と聞き返されて顔がひきつった。

「尾浜くんの友達のアドレスなんて入ってるわけないでしょう」
「でもおれ覚えてないし…」
「覚えてないの?一つも!?」
「じゃあ苗字は友達の携帯番号そらで言える?」
「……だ、だけど、それじゃ」
「てっきり苗字の携帯に登録されてるかと思ってたんだけどなぁ……っくしょい!うー…寒い、脱いでいい?」
「だめに決まってるでしょ!」

信じられない。ありえない。尾浜くんと私の感覚は違いすぎる。
だからと言ってブルブル震え始めてしまった彼を外に放りだす度胸もない。

「…外に出なければよかった…」
「おれは苗字と会えてよかったなーって思うよ」
「私はよくないよ!」

叫ぶように言い返しながら、お風呂の電源を入れる。
一方的にシャワーの使い方を説明してバスタオルを押し付けて、何か言葉を返される前にドアをピシャリと閉めた。

Powered by てがろぐ Ver 4.4.0.