カラクリピエロ

海に行く

※久々知視点





「海ーーーーーー!!」

あ。と思ったときにはもう遅く、名前は誰よりも早くスタートダッシュを切っていた。
いつになくテンションが高い。砂浜に入った途端、さっさとサンダル(名前が違った気がするが忘れた)を脱ぎ捨ててそのまま海へとつっこんでいった。
わき目もふらずに突っ走るほど海に来たかったのか。
仕方ないな、と思いながらも微笑ましさの方が勝って、苦笑をもらして名前の脱ぎ捨てたサンダルを回収すべく腰を折った。

「カレシ優しいじゃーん」
「うわっ」

笑い声とともに背中を叩かれ、危うく転びそうになる。
咄嗟に支えてくれた雷蔵に礼を言って犯人――勘右衛門を見れば、名前に負けないくらいの勢いで海に向かって走っていくところだった。

「……まったく……八と三郎は?」
「食糧調達にコンビニ寄るって。……さすがに空いてるね」

周囲を見回した雷蔵が苦笑混じりに肩を竦める。
夏には海水浴場としてにぎわう砂浜も、今の時期はボードを持った人がちらほらいるだけで静かなものだ。
無意識に名前のサンダルを揺らしながら雷蔵に同意して、頬を撫でていく風につられるように空を仰ぐ。

「いい天気だな」
「今日は少し暑いくらいだってさ」
「じゃあ丁度いいか」

ジリジリと焼けつくような暑さではないものの、運動すれば汗ばむ陽気。さすがに泳いだりはできないけれど、足を浸したくらいでは風邪など引かないだろう。
ぼんやり水平線の方を見つめたまま動かなくなった名前を眺めて言えば、なぜか雷蔵に笑われた。

「――あ。名前、クラゲいるよほら」
「え…? っ!?」
「こんだけいるとちょっと気持ち悪いなー」

海中を指す勘右衛門の示す先を追った名前がびくんと肩を揺らす。
ちょうど波打ち際に到着した俺にはどんなものか見えなかったけれど、勘右衛門の呑気な感想に比べて名前の動揺っぷりが激しいから、想像しているより多いのかもしれない。
名前はクラゲを刺激しないようにでもしてるのか、じりじりと位置をずらし俺の方へと戻ってきた。

「く、久々知くん、」
「…ひっぱればいいのか?」

手を伸ばしてくる彼女には申し訳ないと思いながらも、必死に頷く名前の可愛らしさと頼られる嬉しさが混ざって笑いが漏れてしまう。
華奢な手首を掴んで引こうとしたら、小さく悲鳴を上げた名前に逆に引っ張られ、思いきり海に足を踏み入れてしまった。
濡れたと思うより早く、ぐにゅ、と何かを踏んだ感触が気持ち悪くて思わず名前の手を強く握って足を浮かせる。
その咄嗟の行動がまずかったのか、俺はその踏んだものでバランスを崩し勢いよく海の中に転んだ――みごとに名前をまきこんで。

+++

――季節を微妙に外した海への訪問は名前の「海が見たい」が発端だった。

夏休み明けのテスト三昧、終わらない課題、校内での突発的な祭りの準備や委員会でのストレスなどなど、名前は精神的にかなりまいっていたらしい。
珍しく自分からくっついてきて、俺の背中にぐりぐり頭を押し付けながら(くすぐったかった)、ときおり思い出したように俺を呼ぶ。
そのつど律儀に返事をしていたのは名前が嬉しそうにするからで、もっとわがままを言えばいいのにとこっそり思っていたからだ。

名前に言われない限り何もしない。
そう決めて我慢していたのに、俺の彼女は恐ろしいほど欲が薄いのを忘れていた。
いつまでたっても俺の背中でごろごろするだけの彼女に、結局俺が耐えられなくなって振り向くまでそう時間はかからなかったと思う。

「……はぁ…また俺の負けだ」
「なんの勝負?」

抱き寄せて名前の肩に顔を押し付けるようにして漏らすと、名前はそっと俺の背に手を添えながら不思議そうに問いかけてくる。
全く釣り合ってない駆け引き(彼女にその気がないんだから当然なんだけど)に内心で悪態をついて、抱きしめる力を強くした。
いつもはこのあたりで落ち着かなげにそわそわしだす名前が、俺に身を預けるように力を抜いて、さっきと同じくごろごろ懐いてくるものだから…変に動揺してしまった。

名前?」
「うみがみたいなぁ…」
「――は?え、海?」
「うん」

押し倒していいものか悶々としていた俺は名前の言葉を何度も反芻して、ようやく彼女が疲れているんだと気付いた。
いきなり突拍子もないことを言い出すのは逃避の一種だろう。

「それでね、漫画とかドラマみたいに思いっきり叫んで海に飛び込むの」
「…風邪ひくぞ」

ひと息ついて髪にキスをすれば、くすぐったそうに笑う彼女が「そしたら看病してね」と珍しくお願いしてくる。
たまにしか聞けない名前の“お願い”が嬉しくて熱を上げてるなんて、きっと本人は知らないんだろうな。
ふつりと湧いたもどかしさを誤魔化すように、名前の耳朶を食んで了承を返すと即座に耳が真っ赤になって名前自身も小さく跳ねた。

「じゃあ、週末にでも行こうか」
「どこに?」
「海。さすがに飛び込みは止めるけど」

今の時期なら空いてるだろうと言えば、名前がぱっと顔を明るくして抱きついてくる。
不意打ちに心音が大きくなるのを聞きながら、ありがとう、と嬉しそうに笑う彼女にキスをした。

+++

――どこから漏れたのか、いつのまにか友人連中まで便乗して一緒に来ることになっていたけれど、それはまぁいい。
問題は、どうして今俺の下に名前がいるかってことで、濡れたズボンが気持ち悪いだとか視界の端に映るクラゲが鬱陶しいだとか、勘右衛門の笑い声がうるさいとか――――誰だ、飛びこむのは止めるとか言ったの。思いっきり突き落としてるじゃないか。

「ごめん」

混乱する思考を振り払って身を起こし、名前の腕を引く。
目を丸くしていた名前は数回瞬くと、仕方ないなぁと言いたげに笑って小さなくしゃみをした。

「ら、雷蔵、タオル!!」
「今探してるから、ちょっと待って」
「兵助、なんで…いきなり、名前押し倒してんの」
「…笑いすぎだろ」

腹を抱えてヒィヒィ言ってる勘右衛門に溜息をついて、砂浜に打ち上げられたクラゲのせいだと指をさす。
いつまでも海の中に座り込んでいるわけにもいかないと腰を浮かせた途端、名前に抱きつかれて再度海に浸かる羽目になった。

「えっ……な、なんだ!?」

自分の首に抱きついている名前の背を支える。
びくっと震えた名前は引き剥がされるとでも思ったのか、腕の力を強めて「やだ」と呟いた。

名前?どうした?」
「クラゲ、きもちわるい」

そういえば、さっきも名前はクラゲに戸惑っていたっけ。
動けなくなるほどなのか、もしかして刺されたのか……聞く前に俺は名前の膝裏に腕を通して抱き上げると、そのまま一緒に海からあがった。名前の悲鳴や戸惑う声は無視だ。
砂の上なのが少し気になったが、とりあえず名前を降ろして脚の具合を確認しながら、今日はずいぶん丈の短いズボンを穿いてると今更のように思った。

「…………久々知くん?」
「あ、悪い。どこか痛いとか、気分悪いとか――雷蔵、タオル!!」

ぎょっと目を見開く名前から雷蔵へ視線を移し、ちょうどバッグから探しあてたらしいそれを投げてもらう。
そのまま有無を言わさず名前に被せ、ぐっと息をつめた――濡れて透けたシャツは目に毒だ。
目のやり場に困りながら、なんとなく彼女のつむじを見つめる。

「…………本当に悪い。名前、着替え持ってきてるか?」

俺の言葉で事態を把握したのか、名前はなぜかほっとした様子でおもむろにボタンに手をかけた。

「な!?なに、して…」
「大丈夫。これね、着てるの水着だよ」
「は……?」
「ほら、久々知くんとプール行ったときも着てたでしょう?」

片手でシャツを引いて「ね?」と聞いてくる名前だけど、それとこれとは違うと思う。
着ているものは同じかもしれないし、水着ということは見えてもいい、濡れても平気だと言いたいんだろう。
だけど、今はシャツを着ているせいか下着にしか見えないとか名前のその仕草はエロいとか、白くてやわらかそうな胸に触れたいだとか、押し倒して今すぐ痕をつけてしまいたいだとか――

「え、ちょっ、久々知くん!?」

理性が打ち勝つうちにとUターンした俺は海に飛び込んで気が済むまで頭を冷やした。

「あのー、久々知くん」
「いやだ」
「…………まだ何も言ってないのに」

名前はぎゅっと自分の膝を抱えて小さくなる。
俺はそんな彼女を後ろから包むように抱きしめて、ビーチバレーに熱中している(わざわざビニールのボールを買ってきたらしい)友人連中へと目をやった。

干しときゃ渇くだろ、となんとも豪快な八左ヱ門の提案で、俺のシャツと名前のシャツは即席物干しにかけられて揺れている。
名前は温度調節用にと持ってきていたらしいパーカーを羽織っているけれど、大きめのそれで逆にやらしさが増したような気がするのはなんでだろう。

「久々知くんは参加しないの?」
「…………え?」
「ほらあれ。今ってどっちが勝ってる?」

ぐっとこっちに寄りかかり、顔を上げる名前を見て喉がなる。
答える気はあるのに、吸い寄せられるように唇を寄せ、びくりと跳ねた名前の顔が赤くなるのを確かめてからそっと口づけを落とした。






「……なあ」
「言うな八左ヱ門。私たちはなにも気づいていない。そうだろう?」
「今ならボールぶつけても事故ってことになんない?」
「いやいや、名前に当たったらどうするのさ」
「大丈夫だよ雷蔵、絶対兵助がかばうから」
「…そう言われればそうだな。よし八、トス上げろ」
「いいけど絶対外すなよ」





尾浜&不破チームvs竹谷&鉢屋チームです。

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