カラクリピエロ

生物委員会(27)



久々知くんが黙ったままだと妙にそわそわしてしまう。
沈黙に耐えきれずに呼びかけると、久々知くんは私を見て微笑む。
その優しい表情にドキッとさせられて、わけもわからず焦りながら声を出した。

「あ…の、違うよね。さっき、七松先輩が言ったこと」
「…どうして?」

笑顔で聞き返されて答えに詰まる。まさかそんな風に返されるなんて。
一瞬前まで優しいと思っていた表情と変わってないはずなのに、不思議と悪戯っ子みたいに見えた。

「――違わないよ。七松先輩が名前に触ったからだ」
「ッ、」
「痛そうだったのもあるし……名前から離れないんだから不機嫌にもなる」

さらりと言われて目が泳ぐ。
何も答えなくていいように残っていたご飯を口に運ぶけど、ドキドキしすぎて味がよくわからなくなっていた。
久々知くんが不機嫌だった理由も聞かされて、顔はもちろん胸の辺りまで熱い。

「…先輩に、名前を独り占めしておくなんて無理だってはっきり言われたよ。自分でもわかってる…………けど、上手くいかないもんだな」

私は既にいっぱいいっぱいの状態だったのに、久々知くんは食後のお茶を啜りながら苦笑交じりに零す。
続けざまにそんなことを言われたら、どうしたらいいかわからない。心なしか息がうまくできなくて、胸が苦しい。

目を合わせることができずに久々知くんの手元を見つめる。くすりと小さく聞こえた笑い声は彼のものだったけど、顔を上げることはできなかった。

――このまま心臓が止まったら久々知くんのせいだ。

一向に引いてくれない顔の熱をそのままに、久々知くんが淹れてくれたお茶を受け取る。
ゆっくりそれを飲みながら、このあとの予定について切り出した。

「…二時間後くらいでも大丈夫?」
「俺も食べ終わったあとって言おうと思ってたから。門の前でいいか?」

うん、と頷いて空になった膳を手に席を立つ。
そういえば忍たまからの視線は結局なんだったんだろう。周囲を見回してみても、今は特に感じない。

「気のせいじゃないと思うんだけどなぁ…」
「…………、」
「ん?今なにか言った?」
「いいや、なにも」

――また、笑顔。
こうして柔らかく微笑む久々知くんを見るのは好き。それに弱いのも自覚してる。
だけど今の久々知くんからは、なんとなく……前にはなかった何かが出てるんじゃないかと思う。
色気というか……ふわふわした甘い匂いみたいなものが。

勝手に速くなる心音を落ちつけようとさりげなく視線を外したら、頬を指が撫でていった。

「――名前、顔赤いぞ」
「…久々知くんのせいだもん」

ますます久々知くんを見ることができなくて横を向くと、小さく笑われた。
楽しそうな雰囲気を滲ませる久々知くんを内心で意地悪だと思いながら、後片付け中のおばちゃんに“ごちそうさまでした”と声をかけて出入り口へ向かう。

途中、入口から一番近いテーブルに体育委員が揃っているのが見えた。
ぐったりうつ伏せたまま動かない金吾と、起きてはいるものの食事が全然減ってない四郎兵衛の様子から、体育委員会のマラソンを思い出して身震いしてしまった。

名前?」
「ちょっと…思いだし震い」
「なんだそれ」

くすくす笑ってくれる久々知くんを見て、胸がキュンと高鳴る。
思わず彼の袖口を掴んでしまったことに自分で驚きながら固まった。
きょとんとした顔をした久々知くんが、直後に目を細めて私の手に触れる。そっと装束から外されたあとは、そのまま久々知くんの手の中に納まって柔らかく握られた。

「…そういえば、“毒虫騒動”ってなんだ?昨日、生物委員会でなにかあったのか?」

久々知くんに手を引かれ、くの一教室の方へ向かいながら問いかけられる。
私の心を占めていたのは“嬉しい”って感情と、握られてる感触とか温度とか、久々知くんの手の大きさだったから、反応するのに少し時間がかかってしまった。

「毒虫騒動?」
「ゆうべ勘右衛門が言ってたんだ。詳しいことは名前に聞けって」

それを聞きながら、私も勘右衛門の言葉を思い出した。

――兵助はそれ知ってる?

今まで意識したことがなかったけど、私は、自分に関する情報を大事なものだと思ったことがない。
自分自身がそうだから、当然周りにとっても同じだと思う――思い込む“癖”がある、らしい。そんな風に立花先輩からはっきり指摘されてドキッとした。

正直、今でもそんなに価値があるとは思ってない。
だけど、私が久々知くんのことをなんでも知りたいって思うみたいに、彼も同じように思ってくれてるなら……見栄を張らずに、少しずつ、話していきたい。

「――前に…ゆ……ゆ、幽霊が、苦手って言ったの覚えてる?」
「ああ。一緒に一年は組まで行ったときだな」
「他にもね、虫が…苦手なの。昨日は草むしり中にこれくらいの蜘蛛が膝の上に…乗ってきて……」

説明しながらその時のことを思いだして、血の気が引く。
名前、と呼びかけられ、手を強く握られて…なんだかほっとした。
大きく息を吸って、それをゆっくりと吐きだしながら指先に力を込める。

「そ、それで……パニックになっちゃって、大騒ぎして…すぐ勘右衛門が止めてくれたから何事もなく済んだんだけどね。実は、昨日が初めてじゃないんだ。前のときは…竹谷が、」

捲し立てるように言いながら意味もなく前髪に触れ、自嘲気味に笑う。
また光景を思い浮かべそうになって、足もとに落とした視線を忙しなく動かしていると、急に手を引かれた。
戸惑う間もなく久々知くんに緩く抱きしめられる。
え、と自分の声が漏れるのを聞きながら何度も瞬くと、腕の力が増した。

「…無理して思い出さなくていいよ」
「別に、無理なんて」
「その顔で?」

そんなことを言われても、わからない。
あっという間に追いやられた光景を気にする余裕もなく、触れるぬくもりと囁くような声と、ドクドク激しくなる心音に目が回りそうになる。

名前は、“勘右衛門か八左ヱ門に聞け”って断ってくれてもいいんだ。あいつらにはそう言うだろ?」
「で、でも…………久々知くんには、私、自分で言いたいの」
「……名前がそうやって頑張ってくれるのは嬉しいけどさ。虫が苦手だってわかっただけでも充分だから」

抱きしめられたまま、トントン、と宥めるように肩を軽く叩かれる。
そんなに気遣ってもらうほどじゃないのに。なのに、久々知くんの言葉に甘えたくなる。
返事に詰まり、代わりに久々知くんの装束を握ると「今日は?」と訊ねる声がした。

「……今日?」
「生物委員、また生き物の世話か?」
「確か……昨日の続きで、菜園の草むしりと罠作りだって言ってた」
「分担は?」
「それは聞いてないけど…どうし――ッ!?」

問いかけに微笑みが返されたかと思えば、唐突に額に口づけが降ってくる。
一気に体温が上がった私は今度こそ目眩を起こし、久々知くんを支えにしたことでますます体温を上げた。

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