カラクリピエロ

生物委員会(25)



――また碌に眠れなかった。

身支度を整えて食堂へ向かいながら、あくびを噛み殺す。
寝不足気味だからゆうべはすぐに寝つけると思ったのに、今日のことを考えたら緊張して眠れなかった。
浅い眠りを繰り返して気づけば朝――私はこんなに小心だっただろうか。

ぶるりと頭を振って気持ちを入れ替える。
爽やかな朝なんだから、悶々と考え込むのは合わない!

「――おはよう」
「…え」

ぐっと手を握って顔を上げた途端、視界に入ったのは敷地の塀に寄りかかって微笑む久々知くん。
私はまだ半分寝てるんだろうか。
目を擦り、何度も瞬きをしたらくすりと笑われた。

「ほんとに…?」

思わず漏らすと、久々知くんは片手を私の目の前に差し出して微笑む。
手のひらを上に向けて……でも何も言わない。
ドキドキしながら誘われるように自分の手を乗せると、緩く握られて心臓が大きく跳ねた。ついでにばっちり目も覚めた。

「食堂のおばちゃんに聞いたらまだ来てないっていうからさ。迎えに来てみた」

また夢なんじゃないかという考えが脳裏に浮かぶ。
朝は私の都合で基本的にバラバラだから、こうして敷地の出入り口で待ち伏せされたのは初めてだ。
どのくらい待っててくれたのかなと思いながら久々知くんを見たら、その問いを先読みしたみたいに「さっき着いたところ」と言われた。

「…久々知くんは、まだ寝てると思ってた。ゆうべ、遅いって聞いてたから」
「そのつもりだったんだけどな…勘右衛門がバタバタうるさくて寝てられなかった」

言葉が足りない気がして見上げると、久々知くんは少し困った顔をしながら返事をくれた。
ちゃんと伝わっていたことに安心してほっと息をつく。
小さく笑いまで漏れてしまったせいで不思議そうな顔をされたけど、首を振って今更な朝の挨拶を返した。

「今日の朝食は豆腐料理?」
「どうだったかな…メニューは見てこなかった。なんでだ?」

なんだか機嫌がよさそうだから。
そう言おうとしたのに、きょとんとした顔で返されて言葉が喉に詰まる。
無自覚なのかを見極めようと見つめたら、にこっと笑顔を返されて私が耐えられなかった。

(……悔しい)

僅かに目を逸らして唇に力を入れる。
久々知くんはそれ以上の追及はせず、今にも鼻歌を歌い出しそうな雰囲気で時折私の手を揺らした。やっぱり、機嫌はいいらしい。

――誘うなら今じゃないだろうか。

ハッとして思わず手に力が入る。ぴくりと震えた久々知くんの指を意識してドキッとしたけど、さっきの悔しさを思い出して逆に力を強くした。

「……名前の手は小さいよな」
「そんなことな…ひゃ!?」
「指も細いし」

つつ、と久々知くんの親指が確かめるように私の指を撫でる。
くすぐったいのと恥ずかしいのとが重なって咄嗟に引き抜こうとしたところ、すぐに指先を握られて失敗した。

「そ、そうやって撫でるの駄目!!」
「…どうして?」

聞き返されたことに戸惑いながら、反射的に「どうしても」と返す。
戸惑いが音に表れて上ずったあげく、どもってしまったのが恥ずかしい。
久々知くんは「残念」と呟きながら力を緩めてくれたけど、改めて繋ぎ直しただけだから全然落ち着かない。
まさか、久々知くん自身に誘うのを邪魔されるなんて、想定外だ。

「ごめん…浮かれてるな俺……」
「久々知くん?」

口元を押さえて一度空を見上げた久々知くんは大きく息を吸って、吐いた。
それから私を見て、困ったように笑う。

名前にそんな顔させるつもりじゃなかったんだ」

そっと頬を撫でられて肩を震わせると、すぐに離れていく手。

そんな顔って、私はどんな顔をしてるんだろう。
もう一度ごめん、と呟いた久々知くんは笑顔になって軽く私の手を引いた。
食堂に行こう、って合図だってわかったけど――私は両足を踏ん張って、久々知くんを引き止める。

「…待って」
「え?」
「わたし…、私は……久々知くんに触られるの、嫌じゃないよ」
「っ、名前、ちょ、ちょっと」
「それと――むぐ!?」

ずいっと距離を詰められて口を覆われ、驚いている間に道を外れて木陰へ押し込まれる。
久々知くんはいつの間にか真っ赤で、私の両肩を掴んだ状態で少しずつ頭を下げていった。

「………わかってる。名前はそんなに深く考えてないって、わかってるから」

呟くように繰り返す久々知くんがゆっくり息を吐き出す。
一人で完結してしまいそうなところに口を挟もうとしたら、私の肩を掴む手に力が入り、顔を上げた久々知くんと目が合った。
どくんと、心臓の音が大きくなる。

声を出そうと思うのに、音にならない。
ジリジリと自分の体温が上がっていくのを感じながら、引き寄せられるまま久々知くんの腕の中に収まっていた。

咄嗟に手を前に出したのか、久々知くんとの間に挟まれてる私の手のひらが彼の鼓動を伝えてくる。
私と同じくらい速くて、温かい。それに気づいたら余計に体温が上がっていく。もどかしい、胸の奥がむずむずする。

名前

耳元で名を呼ばれてぎゅっと目を閉じたら、もう一度。さっきよりも近くで、囁くように呼ばれた。
そっと吹き込まれたそれに、ぞくりと背筋があわだつのを感じる。
思わずしがみつく私を宥めるみたいに、久々知くんに背中を撫でられた。

優しい手つきに力を抜く――同時に、ぐぅ、と聞こえたお腹の虫の鳴き声。

「…………っ、」
「……ふっ、……く、くく……」
「…し、しんじられない…もう……」

――恥ずかしすぎる。
顔を上げられず、肩を震わせる久々知くんに思いっきり額を押し付ける。
久々知くんはぎゅうっと私を強く抱きしめてから、とんとん、と背中をたたいた。

「俺も腹減ったし、食べに行こうか」
「…………」
名前がこのままこうしていたいって言うなら、好きなだけ付き合うけど」

一定のリズムで私の背中をたたきながら、どうする?と聞いてくる久々知くんの声は優しい。
だけど一向に恥ずかしさは引かず、無愛想に「行く」と呟くだけの返事をしてしまった。

「…名前

くすくす笑う久々知くんが覗きこんでくる。
唸り混じりに視線を外せば、不意に頬へ口づけられて、そこを押さえながら久々知くんを凝視してしまった。

「やっとこっち見た。いつまでも気にしてないで行くぞ」
「~~~~っ、久々知くんだから…久々知くんには、聞かれたくなかったのに」
「可愛かったから大丈夫だよ」

なにが大丈夫なのか全然わからない。
なのにちょっと喜んでる自分がいる。なんて単純なんだろう私は。

穴があったら埋まってしまいたいと思いながら、ぐいぐい引かれる力に逆らえず木陰から連れ出されてしまった。

「――……恥ずかしいついでに、お願いがあります」
「ん?」
「あの、ね…久々知くんと、一緒に行きたい所があるの」
「いいよ」
「その、疲れてるかもしれないんだけど――……って、え!?」

あまりにあっさり承諾されて呆然としてしまう。
数回瞬きをする間に、久々知くんは歩調を緩めて私の隣に並んだ。

ふわりと私の好きな笑顔で見下ろされ、また心臓が跳ねる。

「…名前、続きは?」
「――誰にも…邪魔されたくないから…………おねがい」

促されるまま昨日必死で考えた誘い文句を口にしてたけど、ふと久々知くんは私がこれを言うのを知ってたんじゃないかという気がして、探るように見つめてしまう。
目が合った途端びくりと震えた久々知くんは、私から目を逸らして口元を隠してしまった。

「…………知ってた?」
「いや、その………………うん」
「一緒に、行ってくれる?」
「え?」

やっぱりそうかと思いながら、改めて返事を聞くつもりで首を傾げたら、目を丸くされて急に不安が押し寄せた。
渋られても“どうしても”ってお願いするつもりだったけど、久々知くんを相手に強気を出すのは少し…いや、だいぶ勇気がいる。
ぐっと胸元を握って息を吸うと、目の前に手のひらが出された。

「違う、ごめん。断る気はないんだ。ただ、知っててあえて言わせたこと、責められるかと思った」
「へ…」
「…行くよ、どこへでも」

まだどこへ行きたいのか言ってないのに。
久々知くんはほんのり頬を染めて嬉しそうに笑う。

――これは、目の錯覚じゃないよね?

じっと見とれていることに気づいて慌てて視線を下げながら、ドクドクと激しく脈打つ鼓動を宥めるように深呼吸を繰り返した。

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