カラクリピエロ

生物委員会(17)



ぼんやりと目を開けて、視界に入るのは見慣れた木目の天井。
最近医務室で起きることが多い気がすると思いながら、それに違和感を覚えて勢いよく身体を起こした。
途端に目の前がくらりと揺れて、差し出された手を反射的に借してもらう。

「大丈夫か?」

控えめにかけられた声は、私の好きな人のもの。
そっと握られる手と肩に置かれた手の温かさにトクンと胸が高鳴った。

「……っ、」

久々知くんを呼びたいのに、なぜか上手く声が出せない。
焦りでぎゅっと胸元を握ると、久々知くんに抱き寄せられた。

名前

びくっと跳ねた肩と小刻みに震える指先を包まれながら、優しく名を呼ばれ、ゆっくり肩を叩かれる。
一定のリズムで、何度も何度も繰り返し。じわじわと火照ってくる顔と手に反比例するみたいに震えが止まった。

「も、大丈夫…だから…」
「のど乾いてないか?水あるぞ」

反射的に頷くと久々知くんはすぐに水を用意してくれた。
お礼を言って、自分の熱を冷ますように少しずつ口にする。
だけど久々知くんに間近で見つめられ続けて落ち着けるわけもなく、さらに落とし穴の中でのやりとりまで思い出してきて、顔の火照りを冷ますのは諦めた。

せめて心音だけでも、と深呼吸を繰り返す。
さっきはただ謝ることしかできなかった。久々知くんがくれた言葉は私が嬉しいばかりで、どうしたら同じものが返せるかわからないままだけど――

「――私ね…久々知くんに話したいこと、あるんだ」
「……うん」

頷いて私の手をとる久々知くんを見て、昨日の再現みたいだと思う。
立花先輩に言われたことを思い返しながら、ぎこちなく久々知くんの手を握り返した。
息を呑む気配に視線を上げると素早く瞬く久々知くんと目が合う。その顔がほんのり赤くなるのがわかって、無性にドキドキした。

「…俺の、これは…名前のせいだからな」

耳が照れ交じりの呟きを拾う。
気まずそうに外された視線はますます私の心拍数を上げ――同時に彼を抱きしめたい衝動に駆られた。

それを自覚した途端、体温が一気に上がる。久々知くんに気づかれませんようにと祈りながら、話を進めてしまおうと身を乗り出した。

「――失礼しまーす、四年い組綾部喜八郎でーす」

驚きすぎて、息を吸った姿勢で固まる私をよそに「入りまーす」と間延びした声とともに戸が開く。
微かに聞こえた舌打ちに驚く暇もなく、ぐいっと強く腕を引かれて久々知くんに突っ込んでしまった。

「っ、え!?」
名前先輩、元気になりましたか?」

戸惑いながら久々知くんを見上げる私の背中に喜八郎の問いかけ。
振り返る途中で私を後ろへ追いやるように久々知くんが動いたから、彼を挟んで喜八郎と向き合う格好になった。

「…なんの用だ」
「今言った通り、先輩の様子を見に来たんですが……新野先生はいらっしゃらないんですか?」
「新野先生なら朝食をとりに食堂へ行かれたよ」

そうですか、と返す喜八郎の様子はいつも通りだけど、久々知くんがいつも通りじゃない。
空気がピリピリしてるし、言葉に棘があるような気がする。

「あ、あの、久々知くん?」

どうしたらいいかわからず、とりあえず制服を引いて声をかける。
久々知くんはびくっと肩を震わせると複雑そうな顔で私を見て、間を置いてからわずかに身体をずらした。

名前先輩」
「! な、なに?」

久々知くんの様子を気にしていたら溜め息交じりに呼ばれ、はっとしながら喜八郎の方を見る。
見過ぎだと指摘されたような錯覚にとらわれて、勝手に顔が熱くなった。

「…元気そうですね」
「う、うん……あ。そうか…ありがとう、喜八郎」
「なんのことでしょう」
「久々知くんと、会わせてくれようとしてたんでしょ?」
「いいえ」
(…斉藤さんまで巻き込んでおいて…)

しれっと答える喜八郎をじっと見続けていたら、ふいに口元がほころぶ。
物珍しさに目が離せないでいたら、もういいですね、と唇が動いた。

名前先輩」
「ん?」
「今度泣くときは、僕のところにきてください」
「……?」
「僕が幸せにしますから」

思わず目を見開いて絶句する。
それはどういうこと、と問う前に喜八郎が両手の指でハートを作った。

「僕は名前先輩が好きですから。遠慮はいりませんよ」

呆然と見返しながら、無意識に胸元を握る。
ひゅっと息を吸う音がやけに大きく聞こえた。

喜八郎は普段なかなか言うことを聞いてくれないし、困らせられることばかり。思考は読めないし、話がかみ合わないことも多々ある作法委員の後輩……弟、みたいなもので――そんな風に見たことはない。特別だけど、でも…

「…綾部」

呆れを含んだ久々知くんの声に身体が震える。
いつのまにか俯いていた顔を上げれば久々知くんの背中が見えて、その向こうから「はい」と普段通りの返事が聞こえた。

「“はい”じゃなくて…普通俺の前で言うか?」
「すでに久々知先輩には伝えていたのでいいかなと思いまして」
「…………綾部のところへは行かせないからな」
「――期待してます。名前先輩、そういうわけですから」

見上げる位置に喜八郎の顔が見える。
退室するのがわかって慌てて立ち上がり、これだけは伝えないと、と近寄った。

「喜八郎、あの……ごめん。嬉しかったけど、私、喜八郎のことは」
「“弟”でしょう?知ってます――前に言われましたから」
「…………そう、だっけ」
「先輩はそのまま…変わらなくていいです」
「……うん、ありがと」
「でも――」

ぐい、と急に腕が引かれ、よろけながら喜八郎の肩を掴む。ぼそりと耳打ちされたことに驚いて、思わず喜八郎を突き飛ばしてしまった。
だけど弾き飛ばされたのは私の方で、久々知くんが支えてくれなかったら尻もちをついていたに違いない。

「おい綾部!」
名前先輩、ではまた委員会で」
「~~~~っ、あいつ……名前、今…、」
「ひゃ!?」

唐突に頬に口づけられて心臓が跳ねる。
喜八郎が耳打ちしてきた方とは逆側で、完璧に不意打ちだと思いながら頬を押さえると、不満そうな顔をした久々知くんと目が合った。

「……消毒」
「え、」
「医務室だし、あるよな」
「ちょ、ちょっと久々知くん?」
「されたろ、綾部に」

ムッとしたまま薬棚の方へ向かう久々知くんに手を引かれ、この行動の意味に気づく。
じわりと顔が熱くなるのを実感しながら、邪魔するように薬棚の前に立った。

「…み、耳打ちされただけだよ」
「…………耳打ち?」

こくこく何度も頷いて口を開こうとしたら距離を詰められる。
耳元で「なんて?」と囁かれてぞくりと背筋があわだった。少し離れたいのに、久々知くんの腕に阻まれて動けない。

名前、なんて言われたんだ?」
「っ、い…“いつでも、待ってます”って…それだけ」
「…やっぱり油断できない」

そう言いながら身体を離す久々知くんにほっとして、その場にずるずる座り込む。
くすぐったくてむずむずする耳を押さえ、今更のように頭巾がないことに気づいた。

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