カラクリピエロ

生物委員会(16)



名前、立てるならこっちに、」

私に向かって伸ばされる手を見上げる。
久々知くん、と呼びかけたつもりなのに、声がでない。

「…ほん、と…に…?」

ようやく出せたと思った途端、久々知くんの姿がにじむ。
もっとしっかり見て確かめたいのに、何度目を擦っても駄目で、伸ばされた手が今にも消えてしまいそうだ。

消えないように、掴み損ねないように、もう一度目を擦る。
背伸びをして、精一杯腕を伸ばす――けど、届かない。
あと、少しなのに。

――…ごめん。

あのとき見送ってしまったすり抜けていく指と、悲しそうに笑う顔が、ぼやけてにじんだ久々知くんに重なった。

「っ、…いかな…で…」

遠ざかりかけた手がピクリと震えて止まる。
息が苦しくて、それを整えようと目を離した一瞬の隙に久々知くんの姿が見えなくなっていて……ぎゅう、と心臓が掴まれたみたいだった。

「……」

一気に力が抜けて、ぺたりとその場に座り込む。
胸を押さえた直後に穴の中が暗くなって、音を立てながら人が落ちてきた。

にじむ視界の中で、パタパタ土を払っている姿を呆然と見上げる。

「…………汚れてるんだけど、抱きしめてもいいか?」

困ったような顔で、控えめに広げられる両腕に手を伸ばす。
すぐに屈んで膝をついてくれた久々知くんの胸に顔を埋めながら、今度こそ離さないように夢中でしがみついた。

「…っ、……ごめ、ん…なさ…」

ちゃんと順を追って伝えたかったのに、全然うまくいかない。
唇を噛んで一度息を吐き出したら、背中に回されていた腕の力が増した。
温かいそれは久々知くんがここにいるのを実感させてくれて、また涙が出た。

名前、」

何かを堪えるような呼びかけに胸が痛くなる。
衝動に任せて顔を押し付けると、苦しいくらいの強さで抱きしめ返してくれた。

「…………好きだ」

そっと囁くような言葉に肩が跳ねる。
緩む腕に促された気がして力を抜いたら、目尻に口づけられて思わず両目を閉じた。
涙の跡を伝うように、頬にも唇が触れる。驚いてびくっと震えながら瞬きをしたら、小さく笑い声が聞こえた。
久々知くんは最後に額に口づけて私を抱きしめる。顔が熱い。

「…言ったよな。前よりも、ずっと名前が好きなんだって。誰にも渡したくない、触らせたくない……俺のだ、って言って、独り占めしておきたい」
「久々知く――」

顔が久々知くんの胸に軽く押し付けられて強制的に遮られる。
すぐに解放してくれたから苦しくはなかったけど、その手で緩やかに髪を撫でられて――言われた内容を思い返して、ドキドキした。

「俺はどうしたいのか、一晩中考えて……見合いに行く名前の邪魔をするのが一番かなと思ったんだけど……」

言葉を切る久々知くんを見上げる。
じっと見つめられるのが落ち着かなくて俯こうとしたら、頬に手を添えられて上向かされた。

「……俺の全部をやるから、俺に、名前をくれないか」
「わ、私…?」
「一生かけて大事にする」
「そ、れ……」

それは、まるで――

「け、結婚、の、約束、みたい、に…聞こえる」
「うん。そのつもりだけど…なんで片言なんだ?」

なんでって……なんでって、なんで!?
突然のことに混乱して声にならない。
まっすぐ見つめられて、顔が一気に熱くなるのを実感しながら久々知くんを凝視すれば、彼は数回瞬いてから柔らかく微笑んだ。

「今だけじゃなくて…この先も…ずっと、名前と添い遂げたいって思ったんだ――だから約束を取り付けるのは当然だろ」

久々知くんが言うのを聞きながら、また涙が浮かんでくる。
隠したいのに顔は相変わらず久々知くんの両手に挟まれたままで、瞬きをした途端こぼれて久々知くんの手を濡らした。

「……名前、返事はくれないのか?」

優しく私の目元をぬぐいながら聞かれて唇が震える。
伝えたいことはたくさんある気がするのに、なかなか言葉になってくれなくて…もどかしくなりながら久々知くんに抱きついた。

「――わ…私も、」

動揺して息が上手くできないせいか、頭がくらくらする。
私を支える久々知くんの手がぴくりと動いて緊張が伝わってきた。

「私も…ずっと…一緒にいたい」

途切れがちになってしまったけど、久々知くんがほっと息を吐いたのがわかって心臓が跳ねる。
耳を澄ませると間近でトクトク速い心音が聞こえて、余計に呼吸がうまくできなくなった。

私を抱きしめる腕と「名前」と呼びかけてくる声が甘くて優しい。
ゆるく息を吐き出したら、眠りに落ちる直前の少しずつ音が遠ざかっていく感覚がした。
目が覚めたらやっぱり夢でした、ということになりそうで――私はすがるように久々知くんの装束を握りしめて、目を閉じた。

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