カラクリピエロ

生物委員会(閑話:久々知)




『――どうして知ってるの?』

あの時の名前の表情には、純粋な疑問しか浮かんでいなかった。
気まずそうにするとか口ごもるとか、そういう後ろめたさなんて全くない、ただの問いかけ。

それは…最初から俺に言う気も、言うつもりもなかったということだ。

否定してくれるんじゃないかと期待した問いかけに、返ってきたのは無言と戸惑いに揺れる瞳。

……関係ないわけじゃないと言って欲しかった。
ただ俺に伝えるタイミングを逃していただけだと――そう思っていたのに。

ガッと音を立て、円が描かれた板に手裏剣が突き刺さる。
もうどれくらい打ち込んだのか自分でもわからないほど板の中央付近はボロボロで、その下にはばら撒かれたように手裏剣が落ちていた。

息が切れかけているのを無視して更に打つ。
脳裏に浮かぶ、今にも泣きだしそうな名前を振り払うように。

――俺を呼ぶ震える声。
――離れる指と、不安を浮かべる表情。

「…くそっ」

ガツ、と板の角すれすれに突き刺さる手裏剣を見て、溜息を吐きだす。
思考から追い出そうとすればするほど意識して手元が狂う。
思い通りにならない手を眺め、額から流れる汗をおざなりにぬぐうと「大暴投だね」と後ろから声をかけられた。

「…勘右衛門」

軽く放られた竹筒を反射で受け取る。かすかに聞こえた水の音に気づいて栓を開けた。

「腹減らないの兵助」

水を飲みながら勘右衛門の問いを曖昧な返事で誤魔化す。
とてもじゃないがそんな気分じゃない。

名前の見合いがショック?」

ぎくりとしながら勘右衛門を見ると、勘右衛門はいたって軽い調子で手裏剣を打つ。
的の中央付近に刺さったかと思えばすぐに落ちたそれに肩を竦め、「ボロボロで刺さんないよ」と呆れたように言った。

「…こんなになるまで溜め込んでないで言っちゃえば?今はおれしか聞いてないしさ」
「――…、」

促されて開きかけた口を閉じる。
どう形にしたらいいかわからずに歯噛みすると、ビュッと音を立てて拳が飛んできたから慌てて避けた。

「おい、」
「考えすぎなんだよ兵助は」

間髪入れずに蹴りを繰り出してくる勘右衛門は、本当に話を聞く気があるのかわからない。
気を抜いたら容赦なく倒されそうで、しばらく組手に没頭するはめになった。

「――ちょ、タイム…腹痛い」
「……自分から、仕掛けておいて……」
「飯食ったばっかりなんだって。兵助だって疲れ切ってたくせに、なんだよその持久力」

今日は先に食べたのかとぼんやり考えながら、座り込む勘右衛門の隣に腰を下ろす。
あぐらを組んで立花先輩にもらった地図を取り出すと、思っていたよりも紙がくしゃくしゃだった。俺はよほど強い力でこれを握りしめたらしい。

「――……、泣きたくなったんだ」

独り言のように、脈絡なく話し出す俺に勘右衛門は無言のまま、ただ足を投げ出した。
それを視界の端に入れながら地図の皺を伸ばす。

名前にとって、俺はなんなんだろう、って…思ったりもした」

俺は見合い話を伝えられる相手じゃないんだと言われたようで悲しかった。
どうして、と疑問交じりの眼差しが返されたことも。

「…好きだって言ってくれる、それが嘘じゃないのもわかってる。なのに……」

まるで彼女の気持ちを疑うような思考に俺自身が驚いて、苛立った。
もしあの場に残っていたら、思いもよらない言葉で彼女を傷つけてしまいそうで怖かった。

…大事にしたいって言ったそばからこれじゃ、立花先輩も呆れたんじゃないかと思わずにいられない。

「…兵助はさ、名前にどうしてほしいの?」
名前に…」
「っていうか、三郎から聞くの忘れてたけど名前は見合いに乗り気だったりすんの?」

彼女にどうしてほしいかを考える暇もなく、重ねられた質問に言葉が詰まる。

「…わからない」
「それ本気で言ってる?」
「本当にわからないんだ。名前は何も言ってなかったし、俺も聞かなかった」
「聞かなくても想像つきそうなもんだけどなぁ…」
「だとしても…それは事実じゃない」

俺を見てなぜか溜息をつく勘右衛門がぐっと体を起こし、何かを言いかけて止めた。

「なんだ?」
「…兵助はばかだなーって」
「いきなりだな」
「それとも期待するのが嫌とか?」
「――っ、」
「あ。図星」

俺を指差す勘右衛門から目を逸らし、内心舌打つ。
からかわれるかと思ったがそんなことはなく、代わりに小さく笑われた。

「……名前はさ、いまだに片想いっぽいとこあるよね」
「俺は名前のこと好きだってちゃんと、」
「あー、兵助の気持ちはこの際どうでもいいんだって」

片手をひらひら振る勘右衛門に遮られ、そのうんざりした表情にムッとしながらも口をつぐむ。
勘右衛門は俺をじっと見ると「理想化でもしてんのかな」と独り言のように呟いた。

「理想化?」
「いや…違うかな……ともかくさ、おれはお互いもっと歩み寄ればって思うわけ」

考えるのを放棄したのか、いきなり話が飛ぶ勘右衛門に一瞬思考が止まる。
内容を反芻して“歩み寄る”のは確かに大切だろうなと思いながら頷いた。

「…………ありがとう」

礼を言ったら勘右衛門は目を見張り、数回瞬いてからへらっと顔を緩ませた。

「おれ、お前らが二人でいるの好きだからさ」
「…うん」

がむしゃらに鍛練して勘右衛門と組手までして、気持ちもいくらか整理できたと思う。
今なら名前と向き合っても落ち着いて話ができそうな気はしたが、その前に勘右衛門から投げられた問いを消化したいと思った。

――俺は名前にどうしてほしいのか。

俺自身はどうしたいのか。
ふと考えながら持ったままだった地図を見下ろす。
日時については教えてもらえなかったが、こうして場所が決まっているということは日取りは近いだろう。

「…会いたいな…」
「いやー、さすがに遅いし、今日はやめといたほうがいいと思う」
「――そうだな」

気づけば食堂が利用できる時間はとっくに過ぎている。
どちらにしろ考えがまとまっていないから会いには行けない、と自分に制約をつけながら…あの悲しげな顔がちらついて、今夜は眠れないだろうと思った。





「そうだ兵助、八が後で話あるから来いって」
「…俺に?なんだろう」
「さあ。途中でおばちゃんに連れてかれて聞けなかった。まあ委員会っていうか、名前のことだと思うけどさ」
「…名前から直接聞きたいんだけど」
「さすがにそれはおれじゃなくて八左ヱ門に言えって」




-閑話・了-

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