カラクリピエロ

生物委員会(閑話:久々知・後編)



俺と三郎が網から抜け出す頃には、先ほどまでの騒動が嘘のように作法委員の面々はまったりと茶を飲むムードを作り出していた。

「随分時間がかかったな」

一息ついたところで声をかけられて視線を向ける。
時間がかかったのは網がやけに頑丈なうえに目が細かくて、抜け出すための隙間を作るのに手間取ったからだが……なんとなく言いたくない。曖昧な返事をして苦無をしまった。

一年生二人が促すまま示された場所に座る。直前まであからさまに警戒していた俺と三郎に、立花先輩は楽しそうに笑って席を移動した。俺の、真正面に。

「では本題に入ろうか」
「――はい」
「随分と派手な余興でしたね」
「楽しめただろう?」

三郎が皮肉気に口にするのを笑顔で受け流す立花先輩。その問いには肯定しても否定しても大して変わらないんだろうと思った。

「私の質問に久々知は好きなように答えてくれればいい。誤魔化してもいいし嘘をついても構わん…だからそう身構えるな」
「…わかりました」

と、口では素直に答えたが、この雰囲気の中で身構えるなと言うほうが無理だろう。
一年生は興味津々にこっちを見ているし、戻ってきた浦風も妙に真剣だし、なにより立花先輩の目が笑っていない。

「すみません、ちょっといいですか」
「なんだ鉢屋」
「例えば、兵助が完璧に嘘をついたとしたらどうなります?」

俺は元から嘘を付く気も誤魔化す気もなかったけど(内容といえば名前についてのことだろうし)、三郎は“黙ってろ”と目配せしてくる。

――まぁ、それで三郎の気が済むならいいか。

小さく息を吐いたところで「別にどうもしない」と答える声が聞こえた。

「…が、できる限り正直に答えてくれると私たちとしては嬉しい」
名前のことで、俺は嘘をつく気はありません」
「断言はしないほうがいいと思うが」

ふふ、と笑った先輩がどこか嬉しそうに見えて内心面食らう。
なんだろう、上手く言えないが…不快ではないものの、妙に居心地が悪い。

「どうせ名前にも伝わるんでしょう?」
「伝えるつもりはないぞ」
「立花先輩は、ね」
「そうだ。私は、ない」

笑い合う三郎と立花先輩の奥で、二人を見比べている下級生は不思議そうにしているが口を挟む気はないらしい。
前もって先輩からそう言われているのか……それとも、名前がいるときもこういうやり取りはよくあったりするんだろうか。
ふと先日の医務室での掛け合いが脳裏に浮かび、あるんだろうなと確信に近いものを感じた。

「…立花先輩」
「なんだ?」
「…………先輩にとって、名前は…その、どういう位置にいるんですか」
「随分回りくどい聞き方をするな久々知は。それに、それは私からお前に聞きたかった内容だが……まあいいだろう」

可笑しそうに笑った立花先輩は一拍置いて茶を飲むと、今度は何かを噛み締めるようにゆっくり瞬いて、柔らかく微笑んだ。
笑顔一つでここまで色々な表情ができるんだなと関係ないことを思う。

「――名前は、私の可愛い妹分だ。あれは私が見つけて、私が委員会に引き入れ、作法に留めた。よそへやる気がない程度には気に入っているし、大切に思っている」

立花先輩が名前を大事にしているのは、今まで垣間見た会話や行動からも気付いていたけれど――名前といるときの雰囲気とはどこか違う。
真剣さに気圧されて思わず息を呑む。

だけど、引く気はない。

ぐっと膝上に置いた手を握り締め、腹に力を入れる。目は、絶対に逸らさないと決めた。

「……俺は、名前が好きです」
「…………」
「誰よりも優しくしたい…大事に、したいと思ってます。時間ではどうやっても先輩には敵いません。でも、想う強さでは負けていないと思います」

静かに俺を見返していた立花先輩がふと口元を緩める。
同時に張り詰めていた空気も一緒に緩んだようで、やや遠くから「は~」と気の抜けた声がした。

「久々知、その話は名前にもしたことがあるか?」
「え? いえ、ありませんが…」
「してやるといい。泣いて喜ぶぞ」

まるで茶化すような調子で言われ、どう返したらいいかわからない。
戸惑う俺を見かねてか、今までだんまりだった三郎が「それをネタに先輩は名前をからかうんでしょう」とつっかかっていった。

…泣くというのは大げさだとしても、実際名前の反応は気になる。立花先輩の言うように喜んでくれるんだろうか。
俺の言葉で喜ぶ彼女は見たいとは思うが、立花先輩の話通りに反応を取る名前を想像すると、僅かに不満が混ざる。

表面上は笑顔でも言葉に棘を滲ませた掛け合いを横目に考えていると、部屋の隅でおとなしくしていた浦風が寄ってきて俺のすぐ傍に正座した。

「僕、久々知先輩が言ったこと、信じますから」
「うん…?」
「もし苗字先輩のこと傷つけたら、そのときは作法委員は…す、少なくとも僕は、許しませんから」
「あっ、浦風先輩抜け駆けです!」
「いて、こら伝七、おれは真剣に――」
「久々知先輩、僕らもですからね!その日のために腕磨いておきますから!」

浦風を押しのける勢いで彼の両側から一年二人が詰め掛ける。
次こそは、と意気込む兵太夫は目的が違っている気もするが、作法委員が全員敵に回る図には背筋が寒くなった。

(……俺は、そうならないように頑張るだけだ)

「ところで久々知、もし私が名前を女として見ていると言ったらどうした?」
「は!?」

至って軽く投げかけられた質問に思考が止まる。
知れず眉間に皺が寄り、そのまま立花先輩を見ればにっこりと上機嫌な微笑みを返された。

「もし、言われても、渡しませんよ」
「万が一そうであった場合、名前に協力してお前と引き合わせることもなかったわけだが」
「っ、」
「ふふん、私の功績の偉大さがわかったか久々知。わかったら今度申請する予定の火薬量に色をつけてくれないか」
「――、そ、それとこれとは関係ないでしょう。規定以上は認められません」
「残念だ」

言葉とは裏腹に、妙に嬉しげな笑顔を見せる立花先輩に言葉が詰まる。
どうにも口では勝てそうにないと視線を逸らせば、不機嫌そうにしている三郎が目に入った。三郎も言い負かされたんだろうか。

「まあ、私のは冗談だが……」
「立花先輩?」

語尾が上手く聞き取れずに問えば「なんだ?」と俺から質問したみたいな反応をされる。こっちがなんだと返したい。

口をつぐんだ俺を見て、先輩はポンとわざとらしく手を打った。

「久々知にこれをやろう」
「…なんですか?」
「そう身構えるな、ただの地図だ」

ぴらりと渡されたのは本当に単純な地図で、だけどこれの示す場所の意味がよくわからない。

「どこですかこれ」
名前の見合いがある家だ」
「…………は?」
「聞こえなかったのか?見合い会場だよ」
「いや……はい…え!?名前の…って、どういうことですか!?」
「…兵助、落ち着け」

俺の腕を叩いて宥めてくる三郎に頷いて深呼吸をする。
地図は勢いよく握り締めたせいでくしゃりとよれていた。

見合いって、名前にそんな話が来ているなんて、一言も聞いてない。
連想するのは当然その先にある契約、婚姻――だめだ混乱してる。

こんな大事なことを立花先輩は知っているのに、どうして俺は知らないんだ。

「久々知、お前の疑問はもっともだ。だからそれは久々知が直接名前に聞いて解決しろ」

笑顔の立花先輩に、俺はちゃんと返事が出来ただろうか。
隣で三郎が何かを言っていた気もするが、上手く頭に入ってこなかった。





「立花先輩はことを荒立てたいんですか」
「どうしてそう思う?」
「…聞き返さないでください」
「ふふ、久々知の答えが気に入ったからな。ちょっとした協力だ」
「これが?」
「知らないでいるよりいいだろう?」
(……いまいち納得できないんだが)





-閑話・了-

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