カラクリピエロ

火薬委員会(19)



立ち上がろうとしたところで私の装束がくいくいと引かれる。
私に対してこういう可愛い動作をする人物はこの中では一人しかいない。

苗字先輩、少し時間いいですか?」
「うん、いいよー」

振り返ると、伊助は視線をうろうろさせて小さく溜息をついた。

「兵太夫のことなんですけど…」

伊助はしっかり約束を守ってくれたらしい。
どんな意見が聞けるのか嬉々とする私とは逆に、どこか憂鬱そうにしている伊助。視線を合わせようとしないのが妙に引っかかる。
急かすでもなく黙って先を待つと、彼は言いにくそうに話し始めた。

「その、い…『いつもカラクリの実験に付き合ってくれて感謝してます』……って」
「……へぇ……」

こわごわと私を伺う伊助の台詞を頭の中で繰り返す。
自然と兵太夫が作法室に仕掛けるあれこれに引っかかったことを思い出して、顔が引きつってしまった。

「兵太夫はそれ、笑顔で?」
「よ、よくわかりましたね」
「まあね。カラクリいじってるときの兵太夫はそりゃあもう可愛くてイイ笑顔だから…ありがとう伊助、よーくわかった」

兵太夫には是非とも先輩への礼儀を教えないと。
伊助に礼を言いながら考えていたら、それが透けたのか彼は小さく――どこか怯えるように私を呼んだ。

「楽しみに待ってて…って兵太夫に言っておいてくれる?」
「は、はい!」

しゃきっと背筋を伸ばした伊助のいいお返事に思わず笑う。
そんなに力まなくても、と付け加えると緊張していた表情が緩んだ。

「よかったね、名前ちゃん!」

唐突に。伊助に和んでいた私の横からずいっと斉藤さんが近づいてきた。
反射的に後ずさり瞬きを繰り返すと、彼は一人興奮気味に「おめでとう」と祝いの言葉を口にした。意味がわからない。

「いきなりなんですか斉藤さん」
「兵助くんに聞いたよ、両想いになったって」

にこーっと満面の笑みで言われて斉藤さんを凝視したあと久々知くんを見れば、三郎次と何かを話しているところだった。
衝動的に詰め寄りたくなったけれど、なにを責めればいいのかわからない。
きょとんとした顔の伊助が不思議そうに首を傾げて「タカ丸さん、今更では?」と呟いた。

「え、伊助くん知ってたの!?」
「え?知っていたというか……元から、そうだったんじゃ……?」
「でも通じ合ったのは昨日だって話――」
「斉藤さん!!」

それ以上黙って聞いていられず、会話に強引に割り込む。恥ずかしすぎる。顔が熱い。
自分が言えた義理じゃないけど、こんなに駄々漏れでいいんだろうか。
男の子はそういう色恋事に関して恥ずかしいとか、隠したいとか…ないものなの?

「これでお母さんに会いにいけるね」

よかったよかった、と繰り返していた斉藤さんの溢した台詞に固まった。

「――斉藤さんすみません、ちょ…っといいですか」
「痛い!?名前ちゃん、爪!爪食い込んでるよ!?」

腕を掴んで引っ張って、強引に蔵の隅に移動する。
髪結いは口が堅いんじゃなかったんですか。

「その話は、まだ言ってないんです!」
「なんで?」
「い、言えるわけないじゃないですか!昨日の今日ですよ!?」

小声で、しかし勢いよく言いながら斉藤さんを睨みつける。
いくら恋仲と呼べる間柄になれたとは言え、すぐに実家まで付き合ってくれなんてさすがに言えない。
しかも見合いを潰すため、という身勝手な名目で両親に紹介なんて…へたしたら婚姻の申し込みになりかねない。

(そりゃ、久々知くんのお嫁さんなんてなれるものなら……って今は考えない!)

一人考えに耽って勢いよく首を振る私に、斉藤さんがどうしてと言いたげな視線を寄越した。

「言うだけ言ってみてもいいんじゃないかなぁ…」
「…………怖いんです」
「こわい?」

私の言葉を繰り返す斉藤さんに頷く。
だって、もし…もしも、拒絶されたら。
直接嫌だとは絶対言わないだろうけど……さすがにそれは、とか、ごめん、とか…マイナスな言葉でさえ聞きたくない。

知れず俯いて唇を噛んでいると、斉藤さんは「そっかぁ」といつものおっとりした調子で言いながら私の頭をなでてきた。

「ぼくは絶対大丈夫だと思うけど……まだ平気?」
「…………まさに調整中です」

事情を把握しきっているらしい斉藤さんの疑問が見合いについてだと判断して、肩を竦めながら答える。
ついでに、さりげなく頭から髪に手を滑らせた斉藤さんから距離をとった。

「あ、ひどい」
「何言ってるんですか。勝手に触らないでください」
「兵助くんには許すのに」
「そっ、れは……さ、斉藤さんこそ、さらっとそういうことやるの駄目だと思います!」
「これは手癖っていうか……職業病みたいなもの?」

まるで世の髪結い師の癖であるかのように言わないでください。
しかも、そんな無害そうな笑顔で。

「――今すぐ治してください」

すぐ傍で聞こえた低音に驚く。
久々知くん、と私が反射的に呼ぶのと同時に、斉藤さんも彼の名を呼んだ。

「努力はするけど…」
「けど、じゃありませんよ」
「兵助くん厳しい!」
「どこがですか、むやみに触らないでください」
「……あ、そういうことか。うん、ごめんね」

淡々とした久々知くんに対していた斉藤さんは急に表情を崩して頭を掻く。
手癖についての話は収束したらしい。

「ところで兵助くん、急に変わりすぎって言われない?」
「…………言われては、」
「自覚はしてるってことかー」
「…………」

ムッとした顔で答える久々知くんに、にこにこ笑顔の斉藤さん。
さっきまでの勢いが逆転したみたいに見えて、思わず笑い声が漏れてしまった。

名前?」
「仲いいなあって」
「それはない」
「兵助くん!?」

そろそろ戻るか、と私を促す久々知くんは、あからさまにショックを受けた斉藤さんを気にする様子もない。
斉藤さんに対してものすごく厳しいのか、私に対して優しいだけなのか――できれば後者だと嬉しいなと思いながら(斉藤さんには申し訳ないけど)、工具箱を手にする久々知くんを見ていた。

「あれ、伊助と三郎次は?」
「先に帰したよ。名前も土井先生のところ行くよな?用具倉庫寄っていいか?」
「…うん!」

一緒に行くのが当たり前みたいに聞いてくれるのが嬉しい。
勝手ににやける顔に手をやって、見られないようにちょっと俯いた。

「タカ丸さん、鍵閉めますからタカ丸さんも――」
「兵助くんは変なとこ真面目だなぁ」
「――は?」
「…なんでもない。それぼくが戻しておくから貸して?」
「いいんですか?」

笑顔全開で頷く斉藤さんに久々知くんが工具箱を渡す。
三人で一緒に蔵から出て鉄の扉を閉めたあと、斉藤さんは「またね」と手を振って用具倉庫の方へ向かっていった。

「……名前、」
「ん?」
「いや、怪我の調子はどうだ?痛みとか、平気か?」
「触らなければ大丈夫みたい」

答えながら、本当は別のことが聞きたかったんじゃないかなと思ったけれど、久々知くんが誤魔化したいなら構わない。
私の答えを聞いて安心したように微笑む久々知くんに笑い返すと、そっと手を握られた。
とたんに動きがぎこちなくなって、顔が熱くなる。私はなかなか馴れることができないらしい。
小さく笑う久々知くんの声を聞きながら視線を彷徨わせる。口から心臓が飛び出しそうだと思いつつ、ゆっくり手を握り返した。

驚いたらしい久々知くんが私の名前を半端に呼ぶ。
こっちをじっと見ているのがわかったけど、久々知くんを見返すことはできなかった。

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