火薬委員会(12)
一体どこへ行ってしまったのか、善法寺先輩の助けは期待できそうに無い。
にっこりと音がしそうな笑顔を浮かべた立花先輩は、ものすごく優しく私を呼んだ。
「名前」
「は、はい」
「続きを聞かせてもらいたい」
「一体なんのお話でしょう」
「…言っていいのか?」
「っ、だ…だめです」
先輩の言う“続き”は十割の確率で藤内についた嘘の話だろう――つまりは私の嫁ぎ先。そんな話を今ここでしろなんてとんだ嫌がらせだ。
言葉に詰まり、両手で布団をきつく握り締める。
早く先輩から目を逸らしたいのに逸らせない。
蛇に睨まれた蛙というのはこんな気分なんだろうか。
当然、先輩は私がどういう反応をするかわかってて口にしてるに違いない。タチが悪いなんてもんじゃない。最悪だ。極悪だ。さすがサディストだ。
私と立花先輩を交互に見る五年生のみんなの視線が痛い。聞きたいけど先輩の手前我慢してるって雰囲気が伝わってくる。
先輩はみんなの注目なんて意に介した様子もなく小さく笑うと、一直線に私の傍まで来て「久々知か?」と耳元で囁いた。
「せ、先輩!」
それ以上言うなとばかりに私は先輩の装束の胸元を掴んで睨んだけれど、案の定立花先輩は笑顔を崩さず、そればかりかやけに丁寧に私の手を剥がしにかかる。
「そう興奮すると怪我に障るだろう?」
「誰のせいですか!あれは…その、咄嗟の、嘘ってやつで、」
立花先輩に掴みかかる姿勢を先輩自身に解かれながら答える。
藤内が気にしないようにと言いそうになって言葉を選んでいると、つい目が泳いだ。
ふっと笑った先輩に気づいて顔をあげれば至極楽しそうな先輩と目が合った。
「――無論、気づいていたとも」
ひく、と自分の顔が引きつる。
悪びれもせず言い放つ先輩を殴ってやりたいのに、私の手は先輩が掴んでいるから自由にできない。戸口の方へ顔を向けて藤内を呼ぶ先輩をなんとか攻撃したくて身を浮かしかけたものの、それは叶わなかった。
「そう殺気立つな久々知」
「わ、私は苗字で、す!?」
言い返す途中で肩越しに腕が伸びてきて、立花先輩からやんわりと私の手を取り返してくれる。それを半ば呆然と見守ってしまった。
背中には触れてないけれど、とても身近に体温を感じる。
「私たちにとってはいつものことだぞ」
「……俺には関係ありません」
頭上から聞こえた声で、わかっていたのに改めて久々知くんだと実感して妙に焦ってしまう。瞬きの回数が増えて挙動不審になった私は、ふいに不破くんと目が合った。
何故かほんのり赤くなった不破くんが視線を逸らすものだから、余計恥ずかしい。
「あの、久々知く――」
「名前、お前モノにできたのか」
「も…、も!?た、な、…!」
モノって!
立花先輩はなんてこと言うんですか!
…と、私はそう言ったつもりだったのにうまく形になってくれなかった。
くつくつ笑う先輩は藤内を傍らに座らせて、その頭を優しく撫でる。
今まさに自分の顔が真っ赤になっているのがわかるだけに、藤内からの真っ直ぐな視線が居た堪れない。
「あ、あのね、藤内」
「…久々知先輩が苗字先輩の」
「わあああ!藤内それ以上は駄っ、う!?」
口止めのために無理やり動いたせいかズキーンと思い切り激痛が走った。
慌てたように私を呼ぶ久々知くんが寄りかかっていいと言ってくれたので頭を預ける。
「苗字先輩…」
「だ、だいじょうぶ…全然、痛くない、すごいげんき…」
「全く説得力がないな」
「立花先輩は、黙ってて、ください」
呼吸を整えて、おろおろする藤内に笑顔を向ける。肩に置かれた久々知くんの力が強くなった気がした。
「……ごめんなさい……」
「藤内、それはもう無し。ほら、久々知くんがいるからすぐ回復でき…………あの、て、手当てって効くよね?こう力が貰えるっていうか……ちょっとそこそういう顔しないでくれる!?」
呆れたとでも言いたげに肩を竦め、視線を交わしあう五年三人(不破くんは照れ笑いで頬を掻いていた)を横目で見る。
「名前に対してじゃねぇよ」
「そっちの豆腐馬鹿がな」
「確かに珍しい」
竹谷と三郎に続いて立花先輩まで言うものだから気になって顔を上げようとしたのに、パッと視界を塞がれてしまった。
「…お前らうるさい」
「兵助も名前の不意討ちに耐性つけないとね」
「勘右衛門」
久々知くんの低い声で怒っているのかと思ったけど、勘右衛門と不破くんがあはは、と笑うのが聞こえたから違うらしい。
…………。
…わ、私はいつ暗闇から解放してもらえるんだろう…?
委員会体験ツアー!の段 -火薬-
1907文字 / 2011.01.04up
edit_square