カラクリピエロ

歩くような速さで(9)


※尾浜視点





次の日も、その次の日も、おれは名前と食事をすることはなく、まともに会話もしていない。
話そうと名前を捕まえてもあの男がさりげなくやってきて名前を連れて行ってしまう。

「奪い取るんじゃなかったのか?」

ニヤニヤ笑いながら声をかけてくる三郎の方を見もせずに「そうだよ」と答えてやる。
肩にのしかかってくる腕をどかす気力もなく、重い溜息が漏れた。

「大丈夫か?」
「…………さあね」
「参ってるのはお前だけじゃないと思うけどな」
「どういう意味?」
「そのままさ」

くつりと笑っておれの肩を数回叩くと、三郎は用事があるからと去っていく。
そのまま、と言われたことを小さく繰り返し、おれ以外に思い当たるのは名前しかいなかった。

そういえば、あいつに連れて行かれるときの名前はどんな顔をしていただろう。何を言っていた?

――思い出せない。

おれがイライラでいっぱいになって名前が見えてなかったせいだ。
思い出せないから――残念そうな顔をしていたんじゃないか、離れるのをためらっていたんじゃないか、そんな期待をしてしまう。

ぐるぐる考えながら自分の部屋に帰りつくと、兵助がわざわざ出迎えてくれた。
思わず瞬いて「は?なに?」と口にしたおれに、困りきった表情をした兵助はおれを部屋へ押し込みながら自分は外へと出て行き、ピシャリと戸を閉めてしまった。

「兵助!?」
『あと頼んだ!!』

戸を挟んだことで篭って聞こえる声を残し、足音が遠ざかっていく。

なんなんだ。
よくわからないまま中に入ると隅っこに膝をかかえて蹲るくのたま――名前が見えて、ものすごく驚いた。

名前?なにしてんの。どっか痛いの?」

考えるよりも先に口をついて出る台詞は反射みたいなものだ。
パッと顔をあげて弱々しくおれを呼ぶのも、どこか懐かしさを感じる。

ぽんぽんと頭に手を置いて緩く撫で、顔を覗き込もうとしたけど…名前がおれにしがみ付いて泣き出すから…それはできなかった。

どうした、何があった、怪我じゃないのか。いつもなら次々浮かんでくる疑問をぶつけられるのに、今回は何故か躊躇う。
代わりのように頭を撫でて、繰り返し名前の名前を呼んだ。

名前がしゃくりあげ、おれの装束に顔を押し付けてくる。
軽く抱き締めて頭を撫で、時折背中をたたいてやれば名前がゆるく息をはいた。

落ち着いてきたかと撫でるのをやめると、案の定両手で目を擦り始める。

名前、擦るなって」

名前の両手を片手でひとまとめにして押さえ込み、手ぬぐいを使って目元を優しく押さえる。
普通こういうのって女の子の役目って気がするけど、名前だしな。

「勘ちゃ…、」
「うん。ゆっくりでいいから」

ぎゅうう、と音が出そうなくらい、きつくおれの手を握り締め、こくんと頷く名前の動作は昔から変わらない。
時折ぐすぐすと鼻を鳴らし、泣きじゃっくり混じりで――しかもまとまってない話は、あの男の名前から始まった。

名前に手を握られていなかったら部屋を飛び出していたんじゃないかと思う。

「――で、あいつに何されたんだ?答えによっては今から殴りに行くから教えて」

深呼吸してとりあえずのお伺いを立てる(どっちにしろ後で殴るけど)おれに、名前は勢いよく首を振る。
どうして庇うんだとイラッとしたけど、直後に「もうやった」と呟くのを聞いて、そういえばこいつも一応くのたまだったというのを思い出した。

「…殴るようなことされたんだ」
「わ、わたし、勘ちゃんのこと、相談、して、て、」
「…………え、おれ!?」
「私は、勘ちゃんのこと、好きでしょって、言われて」

どういうことだ。
自分の名前が出てきたことも意外なのに、名前がおれのこと好きって、なんでそれをあいつが…それも確信してるみたいに――

「た、試してみれば、わかるって、」

おれの内情をよそに名前の話は続く。
だけどその内容は嫌な予感を伴うもので、知れず繋いだままの彼女の手をぎゅっと握りなおした。
治まりかけていた涙がまたポロポロこぼれて名前の頬を濡らす。
耐えきれずに先を促しそうになったおれは名前を見て、無意識に震える唇に口付けていた。

慌てて離したそれは、すぐに名前に塞がれて不覚にも声が漏れる。
驚きで名前を凝視すると今度は首に抱きつかれ、急いで倒れないように片手をついて名前を支えた。

「勘ちゃん、が、いいの…」
名前……」
「勘ちゃんじゃなきゃ嫌、勘ちゃんとしかしたくない、私、だから、殴っちゃって」
名前、ちょっと、離して」
「…………いや。恥ずかしい」

おれの心臓が持ちそうにないんだけど。
しかも抱きつきながらそういう可愛い態度見せるとか…

名前がおれに照れること自体があまりないせいか(自分からよくくっついてくるからだと思うけど)、余計に嬉しくてドキドキした。

「ねえ、名前
「いや」
「もういっかい、したいんだけど」

ビクッと大きく震える名前の反応も、今度は“いや”って言わないところも、少しずつ力が抜けてる腕も、全部愛しい。
待ちきれなくて先に目に入った首筋に軽く口付ける。
また色気のない悲鳴が聞こえて思わず声を出して笑ってしまった。

「か、勘ちゃん!!」
「好きだよ名前。女の子として」
「…………うん」
名前は?」
「す…、すす、好き。たぶん、男の子として」
「おい」

なんでそこ曖昧にするんだ。
いまいち喜びきれない言い方だけど、好きって言うためにそんなに顔真っ赤にしてくれるんだから…………今は、いいかな。

「いつかその“たぶん”なくしてやるからな」
「……ちゅーしたいのは、勘ちゃんだけだよ」
「――……当たり前。おれだって名前にしかしたくない」

ん、と目を閉じる名前に心臓が大きく音を立てる。
それがなんだか悔しくて、わざとゆっくり近づいたら名前がおれの装束を強く引くから、おれの方が奪われた。

「……名前、」
「勘ちゃん、もっかいしよ」
「お前、それ絶………っ対、他で言うなよ!?」

頷いたのを確認して、今度はおれが翻弄するつもりで口付ける。
煽ってくれたお礼にじっくりたっぷり時間をかけてやったら、涙目で「もうしない!勘ちゃんのバカ!」と言われたけど、名前も悪いと返してやった。

+++

「――で、結局無事に元鞘なわけか?」
「時々勘右衛門が荒れたくらいで、普段とたいして変わんなかったな」
「俺としてはありがたい」
「兵助は同室だもんね…」

ズズッとそろってお茶を飲む四人を横目で睨みつけ、溜息をつく。
どういうわけか甘味処で奢らされて(そりゃ色々迷惑かけたかもしれないけど!)おれの懐は既にとても寂しい。

「おいしい?」
「うん。雷蔵くんも食べる?はい」
「え、あ、そんなつもりじゃなかったんだけど……ふふ、ありがとう」
名前、私にはないのか?一番の協力者だぞ私は」
「おかげで『は組』に友達できたしね」
「…友達になったのか…というかお前やっぱり気付いてなかったんだな?まあ当然だけどな!」
「三郎うるせぇ」

……それはともかく、なんで名前がおれから一番遠い席に座ってるのかってことだ。
元々はおれが名前と交わした約束を果たしているところで、名前が幼馴染兼“彼女”になった初めてのデートなのに、これって酷くない!?

「なあ勘右衛門」
「なに兵助」
「結局あいつ…どうなったんだ?えーと……ほら、は組の」
「あー……殴ったよもちろん」
「殴った!?」

おれの言葉を繰り返し、切り崩そうとしていた甘味が醜くつぶれる。
変な形だなあとそれをぼんやり見て、首を縦に振った。

「なんでまた」
「泣かせたから。しかも名前にキスしたし」
「は!?」
「八うるさい。耳元ででかい声出すな」

こっちを凝視してくる八左ヱ門にいやな顔をして耳に指をつっこむと、名前が勢いよく首を振っているのが目に入った。

「してない!私勘ちゃんとしかしてないもん!!」
「っ、ゲホッゲホッ、」
「熱ッちぃ、おい雷蔵!!」
「ご、ごめん八…ゲホゲホッ」
「……友人のそういう色恋情報ほど聞きたくないもんはないな。名前、背中さすってやれ」
「ん。勘ちゃん手ぬぐい貸して!」

三郎の指示で咽る雷蔵の世話を焼き、手を伸ばしてくる名前に手ぬぐいを渡す。
普通逆だろ、と八左ヱ門がつっこんでくるのは無視して、疑問交じりに見てくる兵助に溜息をついた。

「……まあ、実際未遂だったらしいけど…名前はあいつと友達になっちゃうし、なんだかんだであいつのおかげっぽいのがムカつくし、泣かせたのは事実だから」

一発で全部チャラにしたんだから、おれは結構心広いんじゃないかと思う。

「――でさ、おれはそろそろ名前と二人きりでデートしたいんだけど」

誰にともなく言えば、兵助がきょとんとした顔で「知らないのか?」と聞いてくる。何をと返す前に視線を移すからつられて見ると、名前が誤魔化し笑いをしていた。

名前、今なら許してあげる」
「…わ、私が、ついてきてってお願いしたの」
「なんで」
「だって、なんか…わかんないけど、勘ちゃんと二人きり、緊張するんだもん」

身を縮みこませて俯いてもじもじする名前に驚いて目を見開く。
仕草が可愛いのはもちろんだけど、その内容に。

――“たぶん”が取れる日はきっと遠くない。
それを感じて名前に笑い、いつものように「仕方ないな」で彼女を許した。

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