カラクリピエロ

歩くような速さで(1)


※尾浜視点





その日は朝から天気が悪くて、起きたときからなんとなく嫌な予感がしてた。
ふと言葉少なになるおれを友人連中が心配してくれたけど、どうにも気分が浮上しない。

――そして、こういうときの嫌な予感は当たるものって相場が決まってる。

+++

「かかかか、勘ちゃん!わ、私、好きな人、できたかも!」
「…………は?」

挨拶もなしに部屋に飛び込んできて、興奮した様子で口元を押さえる幼馴染は、しきりに「どうしよう!」を繰り返す。
呆けるおれを放置して、名前は頬に手を当てながら悩ましげな溜息をついた。

「あのね勘ちゃん…」
名前、その呼び方やめろって言っただろ」
「うん。でね、勘ちゃん聞いて」

頷いたのに直ってない。
普段はちゃんと“勘右衛門”て呼ぶくせに、気を抜くとすぐ昔の呼び方に戻る。

ほんと言うと名前から呼ばれるのは別に嫌じゃないんだけど、一度同級生にからかわれてから、なんとなく注意するようになってしまった。

「――なの。しかもね、“せっかく可愛いんだから”って!笑顔で!」

しまった、全然聞いてなかった。
胸元で手を組んで頬を染めて、どこかの誰かについて語る名前は楽しそうだ。
いつもなら楽しそうな彼女に同調して相槌を打つところだけど――今回ばかりはできない。

(嫌な予感ってこれだったのかもな…)

喋りっぱなしの名前を横目に気づかれないよう溜息をつく。
実のところ、おれは名前がこういう恋愛ごとに興味を持つのをずっと待ってた。
だけど、それがこんな展開になるなんて――予想外だ。

昔からおれの後ろをちょこちょこついて回って、なにかというとおれを頼ってくるのは学園に入学してからも一緒だったのに、どうしてこうなったんだろう。

昨日まで色恋なんか全然興味ありませんって感じだったからすっかり油断してたおれが悪いのか。

「勘ちゃん!」
「んあ?」
「……聞いてなかったでしょ」
「ああ、やっと終わった?」

おれの反応にぷりぷり怒り始めた名前は棚から菓子箱を取り出して、その中の一つを手に取った。
封を開けながら文句をこぼしていたのは一瞬で、食べ始めた途端静かになる。
どうやらお気に召したらしい。

当然その菓子はおれのだけど、こうして名前が食べるために用意してる節もあるから、食べられても問題はない。

「…美味しい?」
「うん」
「そりゃよかった。でも一言くらい言えよな」
「ん、いただきました。勘右衛門、これのお店連れてって」
「んー…じゃあ今度の休みでどう?」

そんなに気に入ったのか。
満足そうに笑う名前につられて笑いながら誘ってみたら、名前は二つ目に手を伸ばしつつ、空いていた手の小指を立てておれに突き出した。

「はいはい、指きりね」
「嘘ついたら豆腐定食一週間」
「なんでだよ……」
「勘右衛門がこの前“もうしばらく見たくない”って言ってたから!」

ふふん、と“してやったり”みたいな顔で笑ってるけど、正直罰としては甘いよなと思う。
まあ嘘なんてつく予定ないんだから、意味ないことに変わりないんだけどさ。

甘えたがりで子どもっぽくて、自分にとっての保護対象で――なによりも大切な女の子。

好きになるなら、最初はおれにしときなよ。

(……って、言えたらよかったのに)
「食べたい?」
「それ食べかけじゃん」
「だってこれで最後だもん」
「は…?あ、ちょっと名前!おれまだ一つも食べてないんだけど!」

ジト目で名前を見下ろすと、彼女は気まずそうに目を逸らし、小さくごめんと呟いた。
それだけで、まぁいいかって気分になっちゃう自分に溜息が漏れる。

「ごめんってば勘右衛門!そんなに落ち込むと思わなかったの、ねえごめん。怒らないで」
名前、おれそんなに心狭くないから」
「…うん、知ってる」
「ほんっとおれってお前には極甘だよね。ほら、ちょうだい」

最後の一つ(食べかけ)を持つ名前の手をそのまま引き寄せて口をつける。
唇に名前の指が触れて一瞬ギクリとしたものの、くすぐったい、と彼女が笑ったことで呆れに変わってしまった。

「…これで“好きな人できた”とか…冗談にしか聞こえないよな」
「なんで?」
名前がお子ちゃまだから」

ムッとした名前がおれを睨んでくる。
いかにも“そんなことない”と反論してきそうな顔をして、言葉の代わりに唇を尖らせた。

「――ほら、そういうとこ」
「勘ちゃんは好きな人いないくせに、なんでそういうこと言うの!?」
「いるから。っていうか呼び方」
「え……いるの!?私聞いてない!!誰、誰、誰!?」
「興奮しすぎ、苦しい、痛い、ついでに名前には教えない」
「じゃあヒントだけでいいから!お願い!」

勢いよく詰め寄ってきた名前に胸倉をつかまれて、キラキラした目で見上げられる。
ここで口付けでもして「お前だよ」って言っちゃおうかとも考えたけど……やめた。
どうせなら、思い切り意識させてからの方がいい。

「私の知らない人?くのたま?可愛い?」
「その前にさ、名前が好きになったかもしれないやつのこと教えてよ」

興味津々といった様子で質問を重ねる名前を遮る。
話題変換についていけなかったのか、彼女はきょとんとした顔で二度ほど瞬きしてからぎゅっと眉間に皺を寄せた。

「さっき言ったじゃん!」
「だって全然聞いてなかったから」
「もー!!じゃあ今度はちゃんと聞いててよね」

こほん、と咳払いをして相手を語りだす名前を眺める。
本当は聞きたくなかったけど、情報収集は基本だし知っておいたほうが何かと便利だろう。

「背は勘右衛門より高くて、力が強くて、笑顔の素敵な人だった!」
「…………ぜんっぜんわかんない」
「あ、あと五年生!」
「へえ、名前は?」
「知らない」
「はあ?」

思い切り呆れた声を出して、また睨まれる。
でも今はそんなことを気にしている場合じゃない。ならどうやって知り合って“好き”なんて言い出したんだ。
聞けば、名前はおれを立たせて身体を寄せてくる。

「廊下で転びそうになってたのをこうやって」

それからおれの手を取って、自分の腕の下から腰に回すように誘導するから、ついそのまま抱き寄せてしまった。だけどおれたちにとってこんな距離は慣れたものだから、名前は動揺したりしない。

「こんな感じで、助けてもらったの。怪我しないように気をつけてねって!ドキッとしちゃった!」
「…………あのさあ、それほんとに好きなの?」

ただ助けてもらったときの行動と言葉が衝撃的で、ってだけにしか思えないんだけど。

しかも、暗に自分が対象外と言われたようで苛立ちが混じる。
名前はそれに気づいていないのか――それともただ気にしてないだけなのか――口元に手をやって「うーん」と呟いてから首を傾げた。

「ドキドキして素敵って思っただけじゃ駄目なの?」
「……おれに聞くなよ」
「いいじゃん、勘ちゃんはどうやって判断してるのかって参考にするから」

身近な距離でおれを見上げてくる名前に心臓が跳ねたけれど、今はそれを認めるのが妙に悔しい。

「ねー、教えて」
「名前知らないのはありえない」
「じゃあこれから調べてくる」
「これから?人見知りするくせに、どうやって?」
「なんか、勘ちゃん今日いじわる!!」
「あ、そういうこと言うんだ。せっかく協力してやろうと思ったのに」
「…………」

黙り込んだ名前が俯いて、しがみつくようにしておれにくっついてくる。
おれに言い負かされそうになったときと、泣きそうになったときの名前の癖だ。

今回は前者だろうなと思いながら、抱き締め返しそうになるのをやりすごすために目を逸らしたら――戸口で固まっている兵助と目が合った。

「ご、ごめん、まだ早かったな」
「ちょ、待った兵助!これそういうんじゃないから!!」

兵助はぐるんと踵を返し、早足で部屋を出て行く。
引き止めるにしても名前がくっついてるから身動きがとれず、やけに静かに閉められる戸を見守ってしまった。

「っていうか、“まだ”ってなんだよ……」
「勘ちゃん」
「ん?」
「一緒に、ついてきてくれる?」
「…いいよ、わかった。でも今日は授業ないし、明日い組から回るってことでいい?」
「うん、ありがとう!」

嬉しそうに笑ってまた抱きついてくる名前の背中をぽんぽんと叩く。
慣れ親しんだ間柄っていうのも考えものだなと思いながら、小さく息を吐き出した。

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